【読書感想文的エッセイ】あの地平線輝くのは4
次の星には自惚れ男がいた。彼は王子さまが来るやいなや、さあ、わたしを褒めろと言って、王子さまに拍手をさせる。自惚れには、良い自惚れと悪い自惚れがあるように思うのだが、残念ながら、今のわたしにはそれを語るほどの言葉を持ち合わせていない。これは自己評価の問題だ。
「他人が自分をどう評価するか」ではなく、「自分が自分をどう評価するか」という問題はかなり複雑だ。例えば、周りの人から「あなたは充分に努力している」という評価をもらったとしよう。でも、自分は「いや、こんなものはまだ努力とは言えない」と思っている。この逆のパターンもあるだろう。周りからは「もっと努力するべきだ」と言われるが、自分は「充分にやっている」と思う。周りと自分の評価の乖離が起きる。この状態をどう評価すれば良いのだろうか。自惚れることはいけないことなのか。自信家とは違うのか。違うとすれば何がどう違うのか。分からないことだらけである。
その昔、ソクラテスという人物がいた。彼は他の人と同じようにいろいろなことを知っていたが、他の人が知らないことについても知っていた。それは「わたしには分からないこともある」という無知の発見だった。これは「無知の知」というふうに言われている。彼は他の自称知識人に質問をしまくり、無知の知の啓蒙に努めた。そんな彼は、民衆を騙そうとしていると疑われ、死刑宣告を下されて、服毒死した。
彼は自惚れてはなかったか。自分は自分が何も知らないということを知っている。ここまでは良いと思う。ただ、だとすれば質問をして、黙々と勉強すればいいところを、他の人間にも無知を自覚させようとした。批判がくるかもしれない。人間が創り出した諸科学は、すべからく無知を自覚し、それを解明したい欲望がアクセルとなってきた。そして哲学は諸科学の親だ。その哲学の父、ソクラテスを自惚れと言うのは何事か、と。弁明させてほしい。わたしはソクラテスを批判したいわけではない。むしろ逆である。あのソクラテスでさえ、考えようによっては、自惚れ男となんら変わらないかもしれないということを、これを読んでくれた皆さんに「啓蒙」したいのである。
人間というのは弱い生き物だ。誰もが自分は他人よりも優れていると思いたいのだ。わたしは自惚れてもいいと思う。知らないことをみんなに知らせることはいいことだ。よく大人は「知らないことが良いということもある」と言うが、そんなものはまやかしである。知らない方が良いことなんてない。たいていそういうことを言う大人は、知られたら都合の悪いことをみんなに秘密にしているのだ。
「知らないことをみんなに知らせる」といえば、情報商材がパッと思いつく。情報商材を販売している人はすごいと思う。「バズる記事の書き方!」とか「ブログで月50万!」とか「フォロワーがたった1カ月で3万人!」とかよく言えたものだなと。今の書き方だと誤解を生みそうだ。わたしなら、そういった情報やテクニックは絶対に公開したくない。自分だけの秘密にしておきたい。通学路の途中にある橋の下で家族に隠れてネコを世話するように、一人でよしよししていたい。情報「商材」と言うくらいなのだから、それなりに買い手がいるのだろう。その点ではある意味ソクラテスよりマシかもしれない。みんなが求めていることを、彼らはやっているのだから。ただ、これは個人的な意見なのでスルーしてくれて構わないが、そういった情報商材を販売する人は、どこか鼻に付くところがある。わたしも一応、劇団の運営をしている人間であるので、どうやったら集客できるのか、ということについては多少の心得はあるつもりだ。だからこそ、情報商材の販売ルートを見ると、「こうすれば、お前は買うだろう?」と言われているが気がして、率直に書くと舐められている気がしてしまうのだ。どうか安心してほしい、わたしの性格がすこぶるにひねくれているだけだと思うから。そして、そういう手段を使ってしまうと、むしろ人が寄り付かなくなるという現象も起こりえることを経験的に知っている。劇団運営もなかなか難しいのだ。先ほど、情報商材のタイトル例をいくつか挙げたが、これは高校や進学塾でよくある「合格体験記」、あるいは就活情報誌にある「就職体験記」と非常によく似ている。わたしは高校生の頃から、あの類の文章を読むと「それは、あなただから出来たことでは?」と思うような人間だった。むしろ「これだけは絶対にやるな!浪人体験記!」の方が圧倒的に買い手はいるだろう。ブログやSNSについての情報商材はただの「バズり体験記」だ。ある程度は参考になるだろうが、今の時代、その手の内はほとんどバレていると言っても過言ではないと思う。それにもかかわらず、合格体験記のように、これをすれば副業で月何十万稼げますと言い、それが唯一のルートかのように見せる。実際、ネットサーフィンを頑張って続けると、無料で教えてくれる人なんていくらでもいるのだ。果たして彼らは現代のソクラテスになりえるのだろうか。
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