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【読書感想文的エッセイ】あの地平線輝くのは5

 次の星には酒飲みがいた。このシーンは他の星のシーンと比べ、とても短い。滞在時間にして5分くらいだろうか。数回会話を交わすだけで、星を出ていってしまうという少し特別な星である。
 酒飲みはずっと酒を飲んでいる。なぜ酒を飲んでいるのかと聞かれると、酒飲みは、自分が酒を飲んでいることが恥ずかしいから、それを忘れるために酒を飲んでいるのだ、と言う。論理的に矛盾しているように聞こえるが、感覚的には言わんとしていることが理解できる人もそれなりにいるのではないか。おそらく彼はアルコール依存症であろう。酒を飲んでいることが恥ずかしいから、それを忘れるために酒を飲むという自己再帰的な構図からは、そう簡単には抜け出せない。彼には、恥ずかしさを忘れる手段が酒を飲むことしかない。この負のサイクルを細かく見ると、おもしろいことが分かるかもしれない。

 まず始点を決めなければいけない。最初に酒を飲んだタイミングを仮に(A)としよう。すると(A)の記憶が出来る。これを(A')とする。この記憶(A')には「恥ずかしさS(A')」が内包されている。そしてこの「恥ずかしさ」を忘れるために、また酒を飲む=(B)。記憶(B')が出来て、その中にS(B’)がある。それを忘れるためにまた酒を飲む=(C)。記憶(C')が出来て、その中にS(C’)がある。このような連鎖がずっと続いている。式で表してみると
・A⇒A'     体験Aによって記憶A'が生まれる。
・S(A’)∈A’  「恥ずかしさS(A’)」はA’に含まれている。
・B⇒B'      体験Bによって記憶B'が生まれる。
・B⇒S(A’)∈A’ 体験Bによって記憶A'に含まれていた「恥ずかしさS(A’)」が消える。
・S(B')∈B’  「恥ずかしさS(B’)」はB’に含まれている。
・C⇒C'     体験Cによって記憶C'が生まれる。
・C⇒S(B’)∈B’ 体験Cによって記憶B'に含まれていた「恥ずかしさS(B’)」が消える。
・S(C’)∈C’  「恥ずかしさS(C’)」はC’に含まれている。
 ……
こんな感じだろうか。さて、ここで体験Bに注目したい。体験Bをすると、記憶B'が生まれると同時に、「恥ずかしさS(A’)」が消える。しかし実際には、記憶Bにも「恥ずかしさS(B’)」が含まれている。つまり次のような事態になっている。
・B⇒S(A’)∈A’ 体験Bによって記憶A'に含まれていた「恥ずかしさS(A’)」が消える。
・B⇒S(B')∈B’  体験Bによって「恥ずかしさS(B’)」を含んでいる記憶B'が生まれる。

結局のところ、「恥ずかしさS(A’)」が消えても、「恥ずかしさS(B’)」で補ってしまっている。

 これまで、酒飲みの証言を真に受けていろいろ書いたが、実際、酒を飲んでいることが恥ずかしくて酒を飲んでいるのかは不明である。もしかしたら「別の何か忘れたいこと(X)」があって、そのために酒を飲んでおり、そして気付いたときには、前述の形式に則った形で「恥ずかしさS(A’)」が(X)を代替するようになったと考える方が自然かもしれない。その(X)は誰にも分からない。もちろん王子さまにも分からない。

 これは恥ずかしさに限った話ではないだろう。人はモノやヒトに依存するとき、無意識的にそれらを何か(X)の代理物としていることが多い。これはあくまでわたしの推測なのだが、酒飲みはホントウのところ「忘れたいこと」なんてないのかもしれない。言い換えるなら「忘れたくないけど、忘れたこと」を求めているのかもしれない。フロイトならここでファルスや父親との関係を持ちだすのだろう。そして「この酒飲みの父親はすでに亡くなっているとみて差し支えない」と言うはずだ。

 ぼくもこの「忘れたくないけど、忘れたこと」にはいくつか心当たりがある。奇妙な言い回しだ。忘れたのに、心当たりがあるのだ。ぼく自身もよく分からない。でも、確かに、なんとなく、以前は穴が開いていて、今は分からないように埋め立てられている場所が心の中にある。みなさんにも、そういう場所があるかもしれない。ぜひ心に触れて確かめていただきたい。『星の王子さま』の王子さまが旅をしている途中で出会うキャラクターたちは人間が溺れがちな欲望を表しているという理解が一般的だ。これに照らし合わせると、酒飲みは「快楽」を表していることになる。しかし、その割には描かれ方があまりにも悲壮的ではないだろうか。たった2ページしかないこのシーンには、人間心理のドン底のドン底のドンドコドンまで突っ込んだ根源的な何かが垣間見える。人間の根源とは何か。それは、幼年期だろう。だから彼は酒を飲んでいる。失われた幼年期をもとめて。


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