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【読書感想文的エッセイ】あの地平線輝くのは2

  いわゆる自粛期間中、自分の部屋にぽつんといることが、たった独りで砂漠にいるように思えてきた、と言うと感傷的すぎるだろうか。LINEやTwitter、そして宅配便すら来ない日は、ホントウに自分が存在しているのか不安になった。誰とも話さなかったぼくは、誰にとっても存在していなかった。感染症から身を守るために家に引きこもるが、これはこれで身体に悪いんじゃないかというくらいには、孤独を感じた。もちろん、砂漠に不時着した彼とは比べるまでもない。しかし、幸せや悲しさは決して相対的なものではなく、その人にとっては絶対的なものなのだ。自粛期間中にテレビスターが何人も自ら命を絶ったが、人間はいとも簡単に死ぬことが出来るのだ。だから、何かに悩んでいる人に「そんなことくらいで」と言ってはならない。いろいろ思うことはあるが、本筋からずれてきたので、そろそろ戻ろうと思う。

 王子さまは些細な事で―言ったそばから、早速使うけども―バラと喧嘩した。いや、些細な事の積み重ねだった。虫が付いたときに取ってあげなかったり、風が強いときガラスケースを被せてあげなかったりといったことだ。もしかしたら、王子さまはちゃんとやろうと思っていたかもしれない。ただ、やろうと思っていたそのときに、バラが少し先に、少し怒ってしまったのかもしれない。彼女はちょっと気が強いんだ、王子さまの声が聞こえてくるような気がする。ちょっと気の強い女の子とちょっと気の弱い男の子のカップルはついに別れてしまった。でも『星の王子さま』を王子さまとバラの恋愛小説として読むには、二人はあまりにも幼すぎるような気もする。しかし、まったく恋愛的要素がないかと言うと、それもまた違うような気がしてくる。
 少し、勇気ある解釈を示してみたい。この物語は、幼なじみの片割れが親の仕事の都合で引越さねばならなくなった、というような読みが可能なのではないか。小学校へ入る前から公園の砂場で遊んでいた男の子と女の子がいる。小学生になっても一緒に遊ぼうね、と言っていた2人だが、クラスという社会のなかで生活するうちに徐々にそれぞれの友達と過ごすようになってしまった。卒業間近という頃に、片割れが親の都合で引越さなければいけないことを知る。周りの目を気にして、見送りには行かなかった。中学校では異性の友達ができたり、お付き合いしたりするが、何か違うような気がする。そして高校で奇跡的な再会を果たす。そこから二人は今まで時間を埋め合わせるように、急接近する。なんとも甘ったるいメロドラマだが、まったく突拍子もない話ではないように思う。『星の王子さま』は恋愛感情を自覚する以前の、そしてその感情に気づいた後の、パートナーとの距離の話ではないだろうか。
 とあるお笑い芸人は地球上に男は35億人いると言っていたが、一方の男の人は女は星の数ほどいると言う。これは男にとって、女は星のように綺麗だ、あるいは手の届かない存在だ、というメタファーからきているように思えるが、わたしはこの例えはあまり好きではない。王子さまにとって、バラは唯一無二の存在であった。王子さまは地球に来て、多くのバラを目撃し、ショックを受けるが、自分の星にいたバラとバラ園にいた彼女たちとの違いを、キツネとの対話を通して気付く。すなわち、それは過ごした時間の差であった。あの小さな星で過ごした時間は、二人にとってかけがえのないものだったと気が付いたのだ。その時間が二人を運命の相手にしていくのだと。「キミを失って、初めてキミの大切さに気付いたんだ!」という使い古された台詞があるが、あながち間違ってはいない。最初から気付いておけよ、というツッコミもあるだろうが、やはり実際に気付くのは難しいのかもしれない。
    物語の終盤、王子さまは元々いた星へ帰れるようにヘビにお願いする。ちゃんと帰ることができただろうか、わたしはそれだけが気がかりだ。宇宙はあまりにも広く、そして元々いた星はあまりにも遠すぎる。宇宙では「光年」という単位で距離を表す。光が1年間に進む距離を1光年として、星間航行にどれくらいの時間がかかるかを割り出すことができるのだ。地球に一番近い恒星であるケンタウルス座アルファ星であっても、4.3光年の距離がある。王子さまのいた星までは、どれほどの時間がかかるのだろう。仮に王子さまが光の速さで移動できたとしても、ケンタウルス座アルファ星までは4.3年もかかってしまう。遠ければ遠いほど移動には時間がかかる。相対性理論に基づいて考えると、王子さまはずっと子供のままだが、帰った頃にはバラはすっかり大人になってしまっているかもしれない。王子さまは大人になったバラに、なんと声を掛けるだろうか。やはり『星の王子さま』は、とある幼なじみの宇宙規模の恋愛物語かもしれない。


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