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私と双極性障害。②



前回の私と双極性障害。①では、発症とその後の仕事との関係性について書きました。今回は双極性障害と私生活のかかわりについて書いていきます。よろしくお願いします。



1)双極性障害と共に生きるということ(生活編)

1.治療1年目~

双極性障害の治療薬(自分の場合は定時薬は炭酸リチウム→長期的服薬で気持ちの波を穏やかにするお薬です)を飲み始めたことによって、徐々にですが生活に支障が出るほどの体調の浮き沈みは収まっていきました。どうしても体調不良時や気持ちが沈むときは頓服薬の服用である程度のコントロールをすることもできていました。

この頃の職場とのトラブル面に関しては前記事のとおりですが、私生活においても長年引きずっていた家族関係のトラブルが続いておりまして、具体的に言うとそれが祖父母の残した実家の管理問題と不意打ちの如くな姉や親せきの来訪だったのです。

元々、治療を始めた年度の春ごろに当時老人ホームに入所していた祖父が亡くなりまして、その更に数年ほど前に祖母も亡くなり、諸事情で妹も家を出ている状況でしたので、当時の実家には私1人で住んでいました。その中で家の管理が不十分だった点やそもそもの所有権の話で祖母方の親戚と揉めまして、今後記事にするかもしれない更に過去からの遺恨もあり、その問題が自分の心の奥にズシンと重荷になってのしかかっていたのです。

実家に住んでいた期間は、そうやって少し体調がよくなっては上記の件を含んだリアルのトラブルや過去のトラウマのフラッシュバックで辛い現実感に支配されて体調が逆戻りになるような状態が続きまして、それは社会生活を送る中でも大きなダメージとなりました。自宅に居ても常に警戒心を解くことができず、それは転職前の有休消化での1か月間やその後に休職した1.5か月間も同様でした。

元々誰もいなくなった実家に独りで住み続けること・その管理をすること・その管理が行き届かず親戚や近隣住民からバッシングされること、これらの全ては病み始める前から辛く感じていたものであり、休職期間中にも同様の日々が続いたことで限界が訪れ、

私は逃げるように家を出ました。

2.治療2年目~(約3年間)

前記事に書いたように、この時期に異動した職場では満3年間働くことができていました。

家を出たと書きましたが、休職期間中に引っ越し先を見つけることに成功し、実家からの脱出に成功しました。傍目から見れば夜逃げ同然に見えたことだとは思いますが、死ぬか家を出るかの極論の二択しか選ぶことができない程度には当時の自分は追い込まれていたので、死ぬくらいならと思い一念発起してアパートでの暮らしをはじめました。

その際(休職期間中から)、同僚兼昔からの友人から外食の奢りなど自分から見たら多大な支援をしてもらったのを一生忘れません。そのころになって初めて、自分も人を頼ってもいいんだということを知りました。何分自己肯定感が地の底でしたので、自分に人を頼る権利などないと思い込んでおりましたからね。

そうして、今の奥さんとの出会いやら・職場でもトラブルの方からやってくるトラブル体質の再来やら・なによりも実家を出たことによる重圧からの解放やらがありまして、仕事の中での多少の浮き沈みはあれど、日々にやりがいと少しの生きがいを感じながら生きれるようになり始めていました。

服薬治療も続けてはいましたが、頓服を飲む頻度はぐっと減り、定時薬の服薬量も本当に最低限といえるラインまで来ていたので、今度こそ躁鬱が寛解しかけているのか…?と感じ、キャリアアップへのリトライといったていで、介護職になってから2回目の転職に挑むこととなります。

余談ですが、入籍後の新婚旅行(車での貧乏旅行ですが)で旅の魅力に浸かり、そこにも生きがいと天地合一の実感を得ることができていました。そういったプラスの要素も自分の人生は暗いだけのものではなくなったんだと思える理由の一端となっていったのです。それ自体はポジティブなことなので、心底よかったとは思えています。

そうして意気揚々と転職をし、これも前記事参照ですが、心身の崩壊に繋がって行ってしまいましたね。人生本当にわからないものです。

3.治療5年目~

転職後の生活リズムの乱れ・自律神経の不調・人間関係での摩耗・純粋なオーバーワークで、転職前までは良くなってきていたと思っていた心身が1回目の休職時以上に壊れてしまい、今に至ります。

一般基準の職場でそうなったのかというときっとそうではなく、離職率が80%を超えるようなところであると入職後に知りましたので、まぁなんというかお察しです。自分の見る目がなかったという部分に関しては猛省しております。

そのような環境下で、好きな料理も作れず・絵も全く描けず・介護職としてのキャリアアップにも絶望し・やがて仕事中の動機・息切れ・吐き気・めまいなど、身体の方の状態が先におかしくなり始め、やがてメンタルの方も何も感じられなくなり、不意に我を取り戻しては現実感に絶望する日々が続きました。

それまでほとんど飲まなくなってきていた頓服薬も、ほぼ毎日常用しないと眠れないような状態まで落ちまして、このままでは真面目に命を落としかねないと感じ、退職前のワンクッションとして休職することを選びました。会社(施設)への愛着もないので、100%戻ることはないでしょう。

4.治療6年目(休職~今)

休職後の最初2週間はしばらく発熱が続いていたこともあり、ほぼほぼ寝たきりのような状態でした。翌月には小外出ができるくらいには体調戻りましたが、1日行動すると翌日は頭痛とめまいで起きていられなくなる状態が続き、休職から1.5か月以上たつ今でも丸1日起きているのはとても辛いです。

ただ、もしもう介護職は無理でも、社会復帰自体を諦める気持ちはなく、こうしてnoteを書いているのも、タイピング・ライティング・日中離床のリハビリとして行っている側面があります。それ以上に、自分の中に天高く溜まった澱を文章としても出力したくなった、というのも一因ではあるんですけどね。

服薬に関しては、休み始めは頓服のお世話になる日がほとんどでしたが、今現在はほとんど定時薬の服用のみである程度状態を落ち着けることができています。

それでもまだ人込みで吐きそうになったり、人との会話で疲労感を感じたりと、対人への恐怖感のようなものがぬぐい切れずにいます。これこそが、今介護に復職をしたくない最大の理由ですね。いまだに続く過去のフラッシュバックと併せて、どれだけ脳から追い出そうとしても出ていかない、澱の塊ができてしまったのです。

それでも、料理をしたり・絵を描いたり・こうしてnoteを書いたり・たまに外出したり、と仕事の縛りから解き放たれた生活でリフレッシュできた部分もあります。この生活をずっと続けられるわけではないですが、この期間をうまく将来やキャリアチェンジに使うことができれば、と思います。

2)最後に(続)

またしても結構な文量になったので一旦ここで記事を終えようと思います。仕事・生活と書いてきて、双極性障害発症前の生活や実際の症状など書ききれていない部分もまだまだありますので、次回③の記事ではそういったところを深堀していきます。

いつもながら、長文にお付き合いいただきありがとうございました。




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