見出し画像

Polar star of effort (case12) アスリートとアスリートに関わる全ての人達に・・・

 一流アスリートが信じられないようなパフォーマンスを発揮する秘密・・・
 それは、「重力を利用した身体の使い方」にあります。
  「Utilizing Gravity Movement (U.G.M.) 利重力身体操作法」
 重力に「抵抗する」のではなく「利用する」。
 この「polar star of effort」シリーズは、一流アスリートの持つ身体の感覚を解剖学に基づいて理論的、段階的に「求めるべき状態、動作」を明確にしていく試みです。
 求める状態が理解できれば、努力の方向性が明確になります。
 真面目で努力を惜しまない人ほど、その努力が結果につながらない場合が非常に多くみられます。
 その、ある意味残酷なスポーツの世界で、「努力は報われる」という経験を、多くの若者、子ども達に積み重ねてもらいたい。
 正しい身体の使い方が理解できれば、それが可能になるのです。

                              Case 12    16歳 男子 水泳

 「実は、部活を辞めようかと思っています。」
 「え? また、どうして?」
 「高校の水泳部の練習がキツすぎて・・・」
 と打ち明けてくれたのは、山本 悟 16歳 高校1年生。
 小、中学校と水泳をやっていて、そのまま高校でも水泳部に入部したといのこと。
 ちょうど一カ月前、右肩を痛め練習を続けることができなくなってしまい、父親に付き添われて私の施設にやってきた。
 練習中、右肩に痛みを感じたが、騙し騙しメニューをこなしていたが、徐々に悪化し、一週間後には腕が上がらないほどになってしまったという。
 整形外科のドクターには「肩関節周囲炎」と診断されたとのことで、部活の方はケガ人用の陸上トレーニングを続けていた。
 「肩関節周囲炎」とは、俗に言うところの「四十肩」「五十肩」である。
 肩の関節の周りには、小さい筋肉が多く付いている。それら小さい筋肉の腱や関節包の炎症による痛みである。
 多くの場合、肩甲骨、肩関節の可動制限や可動のバランスの崩れが原因である。
 悟君の場合、16歳という年齢、長年水泳をやっている運動経験から考えると可動制限は考えにくい、となると腕の使い方が原因と思われた。
 チェックをすると健側の左側は可動域が広く、良好な状態であった。恐らく、痛める前は右側も同じぐらいの状態であったと推測でき、やはり使い方の問題だと考えられる。
 回復には、なんといっても血流の促進が一番である。施術と痛まない範囲での動的ストレッチを繰り返しリハビリしていった。
 血流促進には動かすのが一番なのだが、動かし方を誤ると悪化してしまう。四十肩がなかなか治らないと言われるのはそういった側面もある。
 悟君の回復は早かった。一カ月もすると痛みもなくなり、練習に復帰できる程までになったのだが、そんな矢先「部活辞めようかと・・・」と打ち明けてくれたのである。

 私は「練習厳しいんだ?」と尋ねると、
 「はい。僕は、小、中学と経験者だったので中級クラスからスタートしたんですが、正直、2回溺れてレスキューされました。上級クラスはもっと長い時間泳ぎます。ヤバいです。先輩たちは、『最初はそんなもんだよ。』って言ってくれますけど・・・」
 「へー、どれくらい泳ぐの?」
 「最低、3時間は泳ぎっぱなしです。」
 「3時間! 凄いね。そんなに泳ぐんだ。」
 「はい、でも強いところならこれぐらい普通です。上級クラスは、もっときついメニューで3時間半以上は確実に泳いでます。」
 「そうなんだ・・・」

 話を聞くと、決して悟君の高校の水泳部が理不尽に厳しいわけではないようである。
 むしろ泳力に合わせてクラス分けをし、ケガ人やリハビリ用の練習も柔軟に対応しているようで指導が行き届いているように思えた。
 水泳の上達、競技力を高めるには、どれだけ多く泳いだかが物を言う。極端な話、水の中にいた方が楽、もしかしたら魚並みに水の中で生活できるのでは?と思われるレベルまで水に慣れる必要がある。
 当然、泳ぐ距離、時間が長くなるのは避けられない。
 これは、スキーやアイススケートなども同じである。
 初心者にとっては、スキー板やスケート靴なんかは足枷以外の何物でもない。履かない方がまだ転ぶ回数が減る。
 しかし、時間をかけて滑り続け、慣れてしまえばスキー板、スケート靴をはいた方がスピード、俊敏性など機動力が圧倒的に高まる。
 昔、大学のスケート実習で、我々ラグビー部の学生5人 VS アイスホッケー部の学生1人でアイスホッケーのレクリエーションをしたことがあった。
 当然ながら、全く歯が立たない。一矢報いたいと、反則だが5人で一斉にタックルしに行ったのに、誰一人として指一本も触れることができなかった。

 そんなことを思い出しながら、そういえば昔、小学生のスイミングスクールでバイトしたことはあったが、水泳部がどんな練習をしているのか、この年齢まで聞いたことがなかった。
 「もう2カ月も泳いでないので、絶対体力は落ちています。あの練習についていける自信がないんです。」
 「なるほどね。でも復帰していきなり同じ練習じゃないでしょう。部活の先生も段階的に見てくれるんじゃないの?」
 「はい。それはそうなんですが・・・」
 「正直に先生に相談してみたら?」
 
 ということで、先生に相談した結果、体力が戻るまで初級クラスで調整メニューを行うことになり、彼は部活を続けることになった。
 さて、ここで問題になるのが、悟君の体力が回復し再び中級クラスに上がった時、同じことにならないかどうかである。
 このままでは、同じ結果になる可能性は捨てきれない。
 悟君の話からすると、泳ぎ方、特に腕の使い方が確立されていないようだった。疲れてくると身体全体が使えなくなり、腕の力に頼ってしまうのである。
 そうなると急激に進まなくなり、泳ぐのが辛くなる。結果、溺れてしまったり、肩を痛めてしまう。
 これは、正しい腕の使い方を認識していないために陥ってしまう状況である。
 疲れていない時は何となく出来ているのだが、疲れてきた時に頑張って泳ごうとするあまり力んでしまう。意識的に身体を使うと扱いやすい末端部、つまり腕の力を使い失速してしまうのである。
 再発を防ぐには、悟君に泳ぐ際の正しい腕の使い方を身に付けてもらうのが得策であると考えた。
 悟君にそのことを話すと
 「やりたいです。お願いします。」と快諾してくれた。

 一流アスリートは「動作の大原則」に従って身体を使っているため超人的なパフォーマンスを発揮することができる。
 その大原則とは、
「重力を利用して、肩甲骨、胸腰椎移行部、骨盤を連動させ体幹部のバネの力を引き出すこと。そして、その連動は肩関節、股関節の螺旋の連動によって誘導される。」
 というものである。
 これは泳ぎでも同じである。水の浮力があるため重力は無関係かというとそうではない。進むためには重力を利用しなければならない。
 ボートのようにスクリューをガンガン回して波を切って進むのではなく、重力を利用した上下動によって自身の周りに生まれた水流を推進力にするのである。

 「すみません、あの、キョウヨウ・・・コウブってなんですか?」
 「ああ、ごめん、胸腰椎移行部だね。背骨の真ん中の部分。体幹部の中心。体幹部の動きは全てこの部分で行われるんだよ。」

 悟君は眉をひそめながら「腰じゃないんですか?」と聞いてきた。
 「そうそう、よく『腰を捻る』とか、『腰を入れる』っていうけど、正確に言うと腰じゃなくて、もう少し上の部分なんだよね。上の胸椎は肋骨が付いていて動きにくいし、下の腰の骨は大きくて動きにくい、その中間の部分。」
 「かなり上の方なんですね。」
 「そう。鳩尾の下あたり。常にこの部分が動かされるように意識してみて。」と私は鳩尾の下辺りを指さしながら答えた。

 「ところで悟君は、自由形だよね?」
 「はい。」
 「悟君は腕の動き、ストロークと体幹部のうねり動作(ドルフィン)がつながっていないようだね。」
  分かっているのかいないのか、とりあえず「はい。」と答える悟君。
 「腕で水をかくことで前に進むという考えを一度捨てよう。」
 「え?腕を使わないで泳ぐのですか?」
 「いや、腕は使うよ。腕を使うとはどういうことかというとね・・・」
 「はあ・・・」
 「腕を使うということは、肩甲骨を使うこと、肩甲骨を使わせると背骨のしなりが生まれる。この背骨のしなりが泳ぐ際の推進力になるんだよ。」
 ここでも、腕に掛かった負荷を肩甲骨に伝える「立甲」が役に立つ。

 「立甲」 

 腕全体で水の圧を受ける。腕に掛かった水圧を肩甲骨に伝え、胸腰椎移行部をしならせる。
 この連動によって体幹部の出力を引き出すのである。 
 腕の力で進もうとすると腕が先行してしまい胸腰椎移行部に力が伝えられない。こうなると体幹部の出力を引き出せず、失速する。 
 やはり水泳においても動作の大原則、「重力を利用して、肩甲骨、胸腰椎移行部、骨盤を連動させ体幹部のバネの力を引き出すこと。そして、その連動は肩関節、股関節の螺旋の連動によって誘導される。」は活きている。   「この前話したように、肩甲骨も鎖骨も『腕』なんだよね。そして、使い方次第でテコのように働くんだよ。」 
 「テコ? 重いものを持ち上げるときに使う、あのテコですか?」
 「そうそう。肩峰っていう肩の先っちょを支点にして肩甲骨と腕を一本の棒にするんだよ。そうするとテコの完成。」
 例えば、腕に上から負荷が掛かると、腕が下に下げられ肩甲骨が上に上がる。 逆に下から押し上げられると肩甲骨は下がりながら肋骨に押し当てられる。  

 水の圧を腕で受けることによって肩甲骨、胸腰椎移行部、骨盤を連動させ、体幹部のバネを引き出す。

 このようにストロークによって体幹部のうねり(ドルフィン)を引き出せれば、自身の周りに生じる水流を邪魔することなく、波に乗ることができる。
 水圧を受けることで身体を波打つように動かせば、文字通り自分の周りに生じる「波」とシンクロし力を使わずとも進むことができる。
 腕の力によって進もうとすると、腕の動きが自分の周りの水流を乱してしまう。「波」に乗るどころではない。水と喧嘩をしてしまい水圧がそのまま抵抗になってブレーキをかけてしまう。
 ここまで説明すると悟君は、
「速い選手が、手のひらで水を『つかむ』ようにするって言っていたんですけど、それとは違うんですか?」
 「それは、たぶん、『つかむ』違いだね。」
 「つかむ違い?」
 言葉通り握力や手首の力で水をつかもうとすると、腕や肩に力が入ってしまい、腕先行になってしまう。
 この場合、「つかむ」とは、手の掌全体で水を優しくキャッチする感覚であると推測できる。
 例えば、飛んできた生卵をキャッチする際、握力で取ろうとすると卵は割れてしまう。
 卵が割れないようにキャッチするには、衝撃を吸収するようにつかまなければならない。見た目は同じ「つかむ」だが意味合いが全く異なる。
 衝撃を吸収するようにつかむのであれば、水の圧を受けるのと同じ、結果的に腕全体に圧を受けることと同義である。
 このように、アスリートの動きの感覚を言葉で表現するのは非常に難しい。その選手は確かに「つかむ」感覚で泳いでいるのだろう。
 その感覚を人に伝えようと「水を『つかむ』ように泳ぐ」と表現すれば、「なるほど、『つかむ』のか!じゃ握力で・・・」と解釈してしまう人もいる。
 文字通りに真似をすると、腕の力が身体の連動を妨げ、水流を乱しブレーキをかけてしまう。結果、肩に負担をかけケガにつながるのである。
言葉は同じでも動作の中身は別物なのである。

 「そういうことなんですか・・・」
 「そうそう。さあ、実際に動作トレーニングやって行こうか。まずはこれ。」

 「コツは、遠心力を利用して力を入れないこと。あとは腕の重さを受けた時にお尻を後ろに引き上げるようにしてみよう。腰を反らないで、少し上の部分、例の胸腰椎移行部をしならせる。」私は、実際に動きながら説明した。
 「こんな感じですか?」
 「そうそう、胸が前に、お尻が後ろに突き出る感じ。」
 「肩甲骨の下辺りが引っ張られます。」
 「そう、その感覚を忘れないで。左右20回ずつやってみよう。」
 「なんか、ダンスみたいです。」
 「良いところに気が付いたね。ダンスにそんな動きあるよね。ダンスだけじゃなく、投げる動作やバレーのスパイクとか、テニスのサーブ、バドミントンのスマッシュ等々に共通する基本動作だよ。」
 「腕がムチみたいに振れる感じです。」
 「いいね!その感じ。」
 悟君は動きを止めて、「でも、これでいいんですか? 体力アップというか腹筋、背筋のような筋力強化を想像していました。」
 「そうだね。まずは体幹部の使い方をマスターすることが先決。動作が身についてきたら筋力強化だね。ただし、いわゆる腹筋、背筋はやらないし、バーベルを使っての筋トレも今回はやらないよ。」
 
 水泳で重要なのが、腋の下である。「腋の下の支持力」腕に掛かった負荷を胸腰椎移行部に伝えるには、上腕と肩甲骨をしっかり連結する必要がある。

 つまり、上腕の骨と肩甲骨をつなぐ筋肉の働きが重要になる。

 ここまで説明すると悟君は、
 「あ、知ってます。ローテーターカフっていう筋肉ですよね。やっぱりインナーマッスルの筋力は大事なんですね。」
 「お、良く知ってるね。」
 「はい、肩を痛めた時に調べました。インナーマッスルの筋トレは効果的って書いてました。」
 ローテーターカフとは、肩のトレーニングや動作を調べると必ずといっていいくらい出てくる有名な筋肉たちである。

 「悟君、今、あえて『筋力』じゃなくて『支持力』という言葉を使っているんだけど、たぶん、君が想像している筋力とはだいぶ違うと思うよ。」
 「はあ・・・?」
 一般的なイメージでいうと「筋力」イコール「収縮力」と考えがちである。
 この考え方で言うと
 パフォーマンス向上 → ローテーターカフの筋力が大事 → ローテーターカフの収縮力をアップさせるための筋トレ。
となるが、これが大きな落とし穴になる。
 ローテーターカフの有用性はそれぞれの筋肉たちが協調して働くことである。どれか一つが出しゃばってしまっては協調性を崩して肩に負担をかけてしまう。
 その協調性を高めるために絶対的に必要なのが柔軟性である。
 「収縮力」を鍛えると筋肉はどうしても縮こまる方向に働き、硬くなりやすい。筋肉が硬くなれば肩関節の可動域が狭くなり、パフォーマンスが下がる。それだけならまだいいが、ケガにつながる可能性も高くなる。
 「じゃ、どうすればいいんですか?」
 「『張力』で支えるんだよ。」
 「張力?」
 「簡単に言うと、筋肉を伸ばして支える筋肉の使い方。」
 「伸ばす?ストレッチのような感じですか?」
 「そうそう。そこで秘密兵器の登場。これ!」

 「これは・・・え? 腹筋はやらないって言いましたよね。」
 悟君が驚くのは無理もない。これは「アブローラー」である。通常は腹筋を鍛えるための道具である。

 「(笑)やらないよ。使い方はこう。『猫の背伸びストレッチ』」

 「どう? 悟君。伸びる?」 「伸びます!すごく!前に行くほどキツいくらい伸ばされます。」
 「絶対やってはいけないのは、力を入れて耐えること。だからキツすぎる手前で止めてね。あくまでストレッチだからね。」
 「分りました。」
 「そしたら、少し弾むように動かしてみようか。」
 「こ、こうですか。」

 悟君には、「猫の背伸びストレッチ」を20回、3セットやってもらった。
 「どう、どんな感じ?」
 「なんか姿勢が・・・背が高くなった感じがします。腕がメッチャ上がります。でも、腋の下あたりが、筋肉痛になりそうな感じです。」
 通常の筋トレ、「収縮力」を高めようとすると終了後、筋疲労とともに筋肉が張って関節の可動域が狭くなる。しかし、逆に「張力」を利用すると可動域が広くなりつつ筋肉が鍛えられる。
 「いいね。これで腋の下の支持力を鍛えつつ体幹部のバネの使い方の精度を上げていこう。じゃ、次はこれ。」と私は、話をしながらスミスマシンに向かった。

 「これも、腋の下の支持力を高めつつ、体幹部のバネを引き出すトレーニング。」

 「名付けて『エビ懸垂』遠心力を利用して腋の下を伸ばし、肩甲骨、胸腰椎移行部、骨盤を連動させる種目。じゃ、悟君、一回やってみよう。」 
 「エ、エビ・・・。いや、これは難しいです。タイミングが合わないです。」
 彼は、四苦八苦しながらチャレンジしたが、すぐに手を合わせながら
 「手がヤバいです。メッチャ痛いっす。腕もパンパンになってきました。」
 「グローブ使おう。コツは、バーを握らない。引っかけるだけ。あと慣れるまでは、肘は伸ばしきった状態で振り子のように前後に揺れてみよう。あくまでストレッチだからね。」
 「わ、分りました。」

 体幹部のバネによって出力させるには「力み」は厳禁である。
 まずは、力まない動きを体感することがポイントになる。
 悟君には基本の動作トレーニングに加えて、以上の3種目を取り入れたメニューを作成し、取り組んでもらった。
 彼は、水泳部の先生に話し、早めに練習を切り上げ、リハビリがてら私の施設でトレーニングする許可をもらってくれた。
 
 さて、ここで一つ「壁」がある。
 陸上で水泳の動作に近いと思われる動きを練習しても、実際の水中で泳ぐ動作との間には壁が存在する。
 その壁を乗り越えてトレーニング動作を水泳の動作にリンクさせられるかどうかは、彼次第である。
 手取り足取りではこの壁は越えられない。本人が自身で気付かないと本当の力にはならない。

 同じく一流のアスリートになるためには、ある「壁」を越えなければならない。「特異点」と言っても良い。
 その特異点こそ「重力を利用した身体の使い方」である。
 一般的に考えられている「重力に『抵抗』する身体の使い方、筋肉の使い方」ではなく「重力を『利用』した身体の使い方」に開眼というか、覚醒する必要がある。
 一流アスリートは意識的にしろ、無意識的にしろ、重力を利用した身体の使い方ができている。
 もし「覚醒」できれば劇的にパフォーマンスが向上し、一気に一流の領域に立ち入ることができるが、できなければ一流アスリートへの道は閉ざされてしまう。
 世の中には、様々なトレーニング方法が溢れている。よく、「どんなトレーニングが効果的ですか?」と聞かれることがあるが、身体の使い方に「覚醒」すれば、どんなトレーニングをやってもパフォーマンスは上がる。
 つまり、自分が取り組んでいる競技でトップ、一流を目指すなら「覚醒」は必須なのである。
 その為、多くの指導者は自身が「覚醒」した方法で子ども達の「覚醒」を促そうとするのである。
 昭和の根性論と言うと、もはや時代遅れと揶揄されるが、実は身体の使い方を開眼、覚醒させる方法として、荒療治的だが一つの方法ではある。

 例えば、野球でバッティングの素振りをする。千回、2千回と無理矢理やらせる。
 すると、手の皮が剥けて痛い、腕が疲れてバットを振れなくなる。
 それでも「根性で振れ。」と言われる。
 腕が使えない、もう振れない。だが振るしかない。どうする!?
 「そうだ!腕を使わないで振ればいい!(この考え方に至れば良いのだが・・・)」
 結果、腕に頼らず、体幹部の出力を引き出す重力を利用した身体の使い方に覚醒する。

 陸上の長距離や、自転車競技でも耳にする言葉がある。
 「脚が疲れてからが本番」という言葉。
 つまり、使いやすい、頼りやすい脚を疲労で使えなくして、そこからさらに走らせることで脚に頼らない走り方、いわゆる体幹部を使って走る身体の使い方に気付かせようということである。
 もちろん、こんなに言うほど簡単にはいかないが、実際にこのような指導の下「覚醒」した人の話を聞くことがある。

 一流選手が自身の走り方、自転車の漕ぎ方を説明しても感覚は伝えにくい。一流選手は脚で走らない。
 「脚で走らない」と言われても一般の人には意味が解らない。
 本人が特異点を越えて動作に気付かなければ感覚の共有ができないのである。

 これは相当に狭き門である。いわゆる天才と呼ばれる一握りの人は、元々重力を利用した身体の使い方ができるため、クリアできる。
 ずば抜けた才能がなくとも努力によって「覚醒」する人もいる。だが、血のにじむような努力を重ねた上でも、なお「運」によるところが非常に大きい。
 また、「覚醒」を経験、もしくは理解している優秀な指導者は少数である。そのような指導者に当たるかどうかも「運」によるところが大きいのである。

 大多数は、努力の甲斐なく「覚醒」することができず、挫折する。あまりの練習の苦しさに競技を続けることができなくなる人もいれば、ケガや故障によって継続を断念せざるをえない人も大勢出てしまう。
 もちろん、競技者全員が「覚醒」できるかと言われれば、それは難しい。
ただ、あきらめずに努力し続ける人が「覚醒」できる確率を上げることはできる。
 それは、動作の大原則、
「重力を利用して、肩甲骨、胸腰椎移行部、骨盤を連動させ体幹部のバネの力を引き出すこと。そして、その連動は肩関節、股関節の螺旋の連動によって誘導される。」
を理解して、競技動作に近い動作練習のレパートリーを多く持ち、競技動作以前の土台の部分を補填することができれば、具体的、理論的にどうなれば、あるいは、どうすれば一流選手に近づけるかが、見えてくる。
 つまり努力の方向性がハッキリするのである。
 そうなれば、「覚醒」する可能性、確率は跳ね上がる。

 ともすると残酷な一面を持つスポーツや競技の世界では、努力は絶対に報われるとは言い難い。だが、努力の方向性が見えれば、より多くの子ども達が「報われる努力」を経験することが可能になる。
 結果的に、「重力を利用した身体の使い方」に「覚醒」した一流選手を多数育成することができる。
 レベルの高い一流選手同士が切磋琢磨することができれば各競技の競技力も向上する。

 ゴルフのインストラクターはゴルフスイングに特化した動きの専門家である。野球のピッチングコーチはピッチングに特化した動きの専門家である。
特化した動きの専門家であるが故、意識に上らない人間の基本動作の部分、「土台」の部分を見落としがちなのである。
 我々、フィジカルトレーナーは、その「土台」の動きの専門家である。「特化」した動きの専門家が見落としがちな、「土台」の部分を補填できる。
 これこそがフィジカルトレーナーの存在意義なのである。

 ただ、どれだけ確率を高めたとしても、やはり「覚醒」するかどうかは、最後は本人次第。本人の「気付きたい!」「一流になりたい!」「夢をかなえたい!」という、強い意志と覚悟がなせる業なのである。
 特異点を越え一流アスリートになれるかどうかは、アスリート本人次第であり、我々フィジカルトレーナーはアスリートのサポートをすることしかできないのである。

 一か月後、そういえば最近、悟君が来てない。
 少し心配になってきたところ、悟君が1週間ほど前から中級に上がったと報告しに来てくれた。
 「どう?肩は大丈夫?」
 「はい、大丈夫です。中級に上がって練習終わるのが遅くなって、来れませんでした。」
 「練習はキツくない?」
 「中級に上がって、始めはやっぱりキツいかなって思ったんですけど、三日ほど前から急に楽になったんです。もちろん、疲れることは疲れるんですが、疲れ方が違うっていうか、最後までしっかり練習をこなすことができるようになりました。」
 「そりゃ良かった。腕の使い方変わってきた?」
 「はい、いつも腋の下を伸ばすように意識して泳いでます。特に疲れた時に意識すると体力が持つんです。」
 私は、茶化すように「すぐ上級に上がれるんじゃない?」と言うと、
 「はい。次の大会で記録出せば上がれます!」
 驚いた。つい一か月前、部活を辞めようかと考えていた子の言葉とは思えない。
 「やっぱり、君は水泳が好きなんだねぇ。」
 
 悟君は、一流アスリートへの特異点はまだ越えてはいないようだが、少なくともトレーニング動作を水泳の動きにリンクさせる壁は乗り越えたようである。

 

スタートラインに立ち、結果を残すのはアスリート本人である。
トレーナーとは、常に裏方の存在なのである。

このお話は、一部事実を元にしていますがフィクションです。
この事例が、全ての人に当てはまるとは限りません。トレーニング、ストレッチをする際は、専門家にご相談ください。


#創作大賞2023   #エッセイ部門


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?