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#37 「○○の呼吸!△の型!!」からの「守破離」

 今まで見てきた動作と呼吸の関係は、まず先に「正しい動作」でした。
 正しい動作ができれば自然に呼吸が必要な分だけ行える。

 では、腹圧と同じく逆はどうか?
 正しい呼吸を意識して行えば、正しい動作が身につくのか?

 正しい呼吸を身に付けることで信じられない力を発揮するといえば、
 あの、鬼を狩る某大ヒットアニメの「鬼〇の刃」です。
 最初は息子に見せていたのですが、自分がはまってしまい、アニメ、映画全部見ました。

 それは置いといて、物語の中で頻繁に出てくる「呼吸が大事」「呼吸だ!」というセリフ、いわゆる「全集中の呼吸」ですが、これを「姿勢、動作」に置き換えると見事に当てはまるのです。
 「全集中の呼吸」ができると、集中力が増し、感覚が研ぎ澄まされる。血流が促進し血液が細胞に行き渡り、治癒力も飛躍的に向上、大きな力が出せ、素早く、しかも疲れず長時間動き続けることができ、寒さも気にならない。と言います。

 「正しい姿勢、動作」ができれば、筋力に頼らず骨格で支えることができるため、無駄な力が要りません。余計なことに気を取られる必要がないため、動作そのものや感覚による情報収集に集中できます。
 さらに、重力を利用して体幹部の張力で出力するため、四肢末端の小さな筋肉ではなく、より大きな筋肉を使うため大きな力を発揮できます。
 張力とは、ストレッチさせるように筋肉を使わせることなので、単に収縮を繰り返す筋肉の使い方に比べ、ミルキングアクションの効果が得られやすくなり血流が促進され、結果、疲労しにくくなります。


 筋力によって身体を支え、「構える」ということは全身の筋肉を緊張させている状態であるため、アクセルとブレーキを同時に踏んでいる状態に似ています。お互いの働きを邪魔しあっているため、素早く動くことができません。
 骨格で身体を支えることができれば、無駄な筋力を使う必要がないため反射的に素早く動くことができます。
 また、正しい姿勢、動作ができれば、腹圧が適正にかかるため大静脈の血液還流が促進されることで、全身の血行動態も促進し代謝が向上、寒さにも強くなる。ということになります。 

 主人公に師匠が初めて「全集中の呼吸」を教えた際、お腹をバンバン叩くシーンがありました。まさしく呼吸と腹圧の関係です。是非「#35 腹圧の話 その3 大静脈還流」を読み返してみてください。
 ※正しい動作に関しては「動的動作編」参照

 もちろん水や炎や雷が出てきたりはしませんが、雪が降る中、長時間舞うことは可能でしょう。
 「姿勢、動作」と「呼吸」は表裏一体です。正しい姿勢、動作ができれば、正しい呼吸もできるし、正しい呼吸の習得によって正しい姿勢、動作の獲得も可能ではあるでしょう。
 しかし、やはり腹圧同様、身体の状態に左右されてしまいます。
 正しい呼吸を練習しても、正しい姿勢、動作ができる関節の可動域、柔軟性がなければ、そこで頓挫してしまいます。
 まずは、柔軟性を確保して、身体が適正に動く状態を作り、正しい姿勢、動作を理解した上で、呼吸法の練習をすることが自然な流れになります。

(そういえば、主人公も呼吸を教わる前に山を駆け降りる訓練をしてましたね。)

 「鬼○の刃」の主人公たちは、十代の少年たちです。身体の状態は良さそうです。さらに彼らは才能にも恵まれていたようですし、師匠にも恵まれました。何より努力を惜しみません。
 一流アスリートになるためには、「才能」「努力」「環境(指導者)」がそろう必要があります。努力の方向性も師匠の指導によりブレなかったようです。
 つまり、一流アスリート、この物語の場合「柱」と呼ばれる最強の剣士になれる条件がそろっていたということになります。
 それにモチベーション。彼らの境遇ですが、皆、肉親や大事な人を亡くしています。大変難しいことですが、彼らはその事実を受け入れ、剣士になって闘うという覚悟を持つことができたようです。
 ここまでそろった彼らなら、呼吸の習得により正しい姿勢、動作を習得することは可能でしょう。


 漫画、アニメの世界の中だけの話ではなく、現実に身体に起こる事象であり、むしろ見事に的を得た表現が多々見られます。
 もちろん、ファンタジー、エンターテイメントの世界ですから、表現が派手に大袈裟で美しく描かれています。そこに引き付けられるわけです。現実的に描いたら地味で面白みに欠けてしまいます。
 逆に言えば、現実世界のスーパースター、内村航平選手が体操の技を繰り出す。大谷翔平投手が投げる。あるいはボルト選手が走る。といった場面をアニメで表現したら火花が散ったり、稲妻が走ったり、炎が渦巻いたりするのでしょう。

 漫画週刊誌の連載は、かなりの激務であると聞きます。「鬼〇の刃」の作者の方は、その中で武術の経験を積んだのか、よほど武術の勉強をされたのか、はたまた漫画を描くことを極めることで悟りの領域に達したのか、いずれにせよ、驚くほど劇中で語られる体術、また、その習得過程の表現が見事に的を得ているのです。

 例えば、「全集中の呼吸の常駐」
 全集中の呼吸の常駐について「呼吸」ではなく「動作」変えて見てみましょう。
 仮に正しい姿勢、動作ができるようになっても、慣れないうちは意識的に行わなければならず、非常に疲れてしまいます。出力も初めは小さく、むしろ腕でやった方が重いものを持ち上げられたりするものです。なので、すぐに元に戻ってしまいます。

全集中の呼吸

 そのため、彼らは、いざというときに「全集中!」と掛け声をかけて意識的に「正しい呼吸(正しい姿勢、動き)」に切り替えるようです。
       
 しかし、彼らの先輩、最強の剣士たち「柱」は、常時全集中の呼吸をしていると言います。      
 その状態を「全集中の呼吸常駐」というらしいのですが、
 このような解釈でどうでしょうか?

全集中常駐改

 と、こんな風に解釈することができます。
「水の呼吸」「雷の呼吸」「炎の呼吸」等々それぞれの個性がありますが、
基本的な身体の使い方から見て、大雑把な例えで言うと、肩甲骨の使い方が得意な人、股関節の使い方が得意な人、胸腰椎移行部の使い方が得意な人、あるいは全ての使い方が上手な人というように得意分野があります。

 すると、実際の動作、競技動作においても個性というものもおのずと出てきます。
 
 例えば、中二病的に言うと、トレーニング動作の場合、「背面の呼吸、一の型、デッドリフト!」「前面の呼吸、二の型、ベンチプレス!」「下肢の呼吸、三の型、スクワット!」と言えるわけです。笑

 何が言いたいかと言いますと、デッドリフト、ベンチプレス、スクワットにしても、どの動きも動作の基本である「重力を利用し肩関節、股関節の螺旋の動きによって肩甲骨、胸腰椎移行部、骨盤を連動させ体幹部の張力を引き出し出力させること」を踏まえて行われるべきものなのです。

 「全集中の呼吸」が基本であり、全集中の呼吸の基本を習得して、そこから水とか雷とか炎、等々個性が生まれると考えることができる訳です。
 基本に則って背面を主体とするデッドリフトを行う。前面を主体とするベンチプレスを行う。下肢を主体とするスクワットを行う。

 すると、体幹部の「反る」「丸まる」の動きによって胸郭が開閉し自然に必要な分の呼吸が行われます。

 といったように基本は同じであり、動作の形「型」や四肢のポジションの違いによるバリエーションが様々ある。というだけなのです。

 トレーニング動作は、比較的簡単です。そのトレーニング動作においてもベンチプレスが得意、デッドリフトが得意、スクワットが得意、というように人によって得意種目があるものです。
 競技動作は、もっと複雑です。バリエーションも様々です。ここに個性、得意不得意というものが顕著に現れます。

 ですから、野球のピッチャーであれば、肘の高さが高い低い、手首の角度が深い浅い。と末端部の見た目を理想的なフォームの型にはめ込もうとしても実は意味がなく、そこらへんは置いといて、先ほどの動作の基本、簡単に言うと胸腰椎移行部を中心とした体幹部の出力によって投げていればOK。

 で、逆にどんなに見た目が綺麗なフォームに見えても胸腰椎移行部が機能していなければNG。ということになります。
 個性、得手というのは、その人が胸腰椎移行部を使いやすい肘の高さ、手首の角度、足の位置、等々ということです。胸腰椎移行部が使われていないピッチングには個性も得手もないということになります。

 もちろん、好き嫌い、得手不得手あるのは当然で、好きなこと得意なことを伸ばすことは良いことです。好き、得意なことを伸ばしていく中で動作の原則、基本を体得していくことが近道でしょう。
 ただ、往々にして個性、得手というものが逃げ道になってしまうケースも少なくありません。基本を押さえる前に自分の個性、得手を主張しすぎ、大事な基礎部分を理解する前に「これが俺の個性だから・・」とか「俺はこっちが得意だから・・・」と言って、作り上げられた小さなプライドに逃げ込みがちになってしまいます。
 個性、得手とは基本を押さえた上で初めて顕現するものであり、そうすることで更なるレベルアップ、高みにつなげることができるのです。

 ここで勘違いをしやすいのが、形、見た目のフォーム、型という形にはめ込もうとすること。これを「基本」と考えることです。基本とは胸腰椎移行部が使われていることであり、武術の型、理想的なフォームというのは、これまでの経験上一般的に、「その型、ポジション、フォームで動作をすると胸腰椎移行部が使われ易いよ。」ということであって、必ずしも見た目の形が全てではないということなのです。

 物語の中でもありましたが、頭で理屈を理解しても「できる」ということにはなりません。自身の身体に落とし込んで初めて「理解した」と言えるのです。

 指導者の方は、同じ型、ポジション、フォームで動作をしていても形だけなのか、胸腰椎移行部が使われて動けているのか見極めが重要になってきます。   

 昔から「守破離」という言葉があります。まさしく、この考え方そのものです。
 まずは「守」基本の習得を第一とし、「破」の段階でようやく個性、得意というものが生まれ、「離」でさらに個性、得意を超越し技や心の在り方を自在に操ることができるようになるという考え方そのものなのです。

次回、「限界」とは・・・・

 

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