斜陽産業にビジネスチャンスをもたらす「品質だけじゃない価値」の作り方
この記事は、入山章栄・早稲田大大学院教授が世界の経営学の知見というスコープを使って、注目すべきファミリービジネス経営者を取り上げていきます。今回は、毛織物の企画・生産を手掛ける三星毛糸(岐阜県羽島市)の5代目経営者、岩田真吾社長の取り組みを通じて、製品の「情緒的価値」について考えていきます。
情緒的価値とは、品質や価格といった「機能的価値」とは異なり、その製品の背後にあるストーリーや人々とのつながりのこと。岩田さんが情緒的価値に着目したのは、なぜなのか。詳しく見ていきます。
ストーリーがつくりだす「情緒的価値」
繊維・アパレルはかねて、サプライチェーンが非常に分断されている業界のひとつと言われてきました。普段、消費者が接するのは、最終製品を販売する「ブランド」だけですが、その製品ができるまでには縫製、生地製造、紡績、糸の原料調達といった多くの会社が関わっていることが少なくありません。
その結果、業界全体として効率が悪くなるのに加えて、ある製品の原料が、いつ、どこで、誰によって、どのように作られたのか、消費者はもちろんのこと、その製品を売る「ブランド」さえ把握しきれないという問題を抱えています。
カジュアル衣料品店「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングが、強制労働など人権問題の指摘される中国・新疆ウイグル自治区の綿を使用していると疑われ、米国の税関で製品の輸入を差し止められたり、欧州の当局が捜査に乗り出したりといった混乱に巻き込まれました。トレーサビリティー(追跡可能性)の低さという業界の抱える問題が、こうした形で顕在化したわけです。
自分の着ている服が、世界の誰かの苦難の上に作られたものだとしたら、そのブランドを買い続けたいと思うでしょうか。こうした「情緒的価値」は、繊維・アパレル業界だけでなく、あらゆる業界でますます重要になっていくでしょう。
三星毛糸の5代目経営者、岩田真吾社長は、この情緒的価値に早くから着目してきました。その背景には、岩田さんの「あえて家業を継ぐのだから、社会的な意義、従業員に対する意義を大切にしたい」という決意があったのです。
斜陽産業…「家業を継ぐ方がユニークだ」
三星毛糸のある岐阜県羽島市と、木曽川対岸の愛知県一宮市を中心とした「尾州」地域は、毛織物の一大産地として知られ、1887年創業の三星毛糸もかつては1000人もの従業員を抱えていました。しかし、1990年代のバブル崩壊を経て、「斜陽産業」の色を濃くしていきます。
祖父や父から「将来はお前が継ぐんだぞ」と言われて育った岩田さんですが、東京の大学に進み、「継ぐ」という気持ちはいったんリセットされ、卒業後は三菱商事に就職。その後、ボストンコンサルティンググループ(BCG)でも3年間働き、ビジネスパーソンとしての自信を身につけました。
岩田さんには、そのまま東京で起業するか、家業を継ぐか、という二つの選択肢がありました。その時、岩田さんは「家業を継ぐ方がユニークだ」と考えたそうです。
それにしても、斜陽産業と言われて久しい繊維業界に身を投じることに不安はなかったのでしょうか。
岩田さんはそんな気持ちだったと言います。
岩田さんが三星毛糸に入社したのは、リーマン・ショック後の不況が業界を直撃していた2009年6月。父和夫さんの意向もあり、翌2010年4月には早くも社長を引き継ぎます。
「まだ早すぎないか」と考えた岩田さんに対し、父和夫さんは「若いから稚拙なところもあるだろうが、年を取ってしまえばチャレンジが難しくなることもある。メリットとデメリットを考えたら、若いうちの方が良い」と背中を押しました。
実際、父和夫さんは経営のほとんどを岩田さんに任せ、出勤も週1回程度に抑えました。家業経営では、先代が社長職を譲った後も経営に口を出し続け、後継ぎへの権限移譲がスムーズに進まないことが多いものです。自分が「老害」になってしまわないために、岩田さん親子のケースは多くの経営者の方々の参考になると思います。
消費者とつながって得た「発見」
総合商社やコンサルタント会社で「知の探索」の経験を積んだ岩田さんは、新たな発想を持ち込みます。それは、消費者と直接つながることの重要性です。
冒頭で説明した通り、繊維・アパレルはサプライチェーンが分断された業界です。三星毛糸のように毛織物の生地をつくる会社は従来、ブランド会社とやり取りすることが中心で、製品の最終的な「使い手」である消費者が自社の製品をどんなふうに使っているのか、どんな価値を感じてくれているのか、逆に言えば、どんな改善点があるのかを、消費者に直接聞く手段を持てていません。
そこで岩田さんは、自社の創業年を入れたブランド「MITSUBOSHI 1887」を、2015年に立ち上げました。オンライン販売に加え、東京や名古屋の百貨店やトヨタ自動車のショップ「レクサスミーツ」などにも商品を置くことで、消費者との接点をつくりました。そこで得られた「消費者発の開発テーマ」を次の商品作りに役立て、もともとのビジネスであるブランド会社との商品開発にも生かすという両輪を回しています。
消費者との接点をつくる中で、岩田さんが実感したのは、「生産者がどんな思いを持って、どんなふうに商品を作っているのか、消費者が知りたがっている」ということでした。消費者の関心は、自分が着ている服がどんな場所で育てられた羊から採られたものなのか、羊飼いたちはどんな思いでその羊を育てているのかというところにまでさかのぼります。
岩田さんは2016年に中国・内モンゴル自治区やオーストラリア・タスマニアの生産牧場に足を運びました。そこで、羊たちが工業製品として飼育されているのではなく、羊飼いたちは周囲の環境と共生する形で牧場作りを進め、放牧を欠かさず行って羊たちのケアにも心を砕いている様子を肌で感じました。
「良いものづくり」の現場から、写真や動画を使って、羊飼いたちのプライドや三星毛糸の思いを伝えていく。そうすることで「品質だけでない価値」を提供できると考えているそうです。
三星毛糸の生地は今や、イタリア最高峰のオーダースーツブランド「エルメネジルド・ゼニア」や、ルイ・ヴィトンやディオールなどを傘下に持つブランド・コングロマリット「LVMH」にも採用されています。
岩田さんによると、超一流ブランドは「『理由のある素材』でないと採用しない」という流れが強まっているといいます。「理由のある素材」とは、リサイクルがちゃんと行われたり、アニマルフレンドリーで環境に配慮した生産方法が採られたりしているといったことです。
モノがあふれる中で、また国連の持続的な開発目標「SDGs」への注目が集まり、品質だけでなく、こうした情緒的価値を持った商品こそが「生活を豊かにする商品」として消費者に選ばれる。岩田さんは、その先駆者の一人と言えるでしょう。
家業と地元産地をつなぐ「クラフトツーリズム」
岩田さんが商品の情緒的価値やトレーサビリティーに着目したのは、三星毛糸を継いだ時、「あえて後継ぎになると決めたのだから、社員や自分が誇りを持って働いていける状況を作りたい。そのために絶対に外せない部分だ」と考えたことも大きいそうです。繊維・アパレル業界のサプライチェーンには、海外での過重労働のほかに、大量生産・大量廃棄といった問題もつきまとってきたからです。
一方、三菱商事とBCGで経験を積んだ岩田さんには、地元産地への思いの一方、他の経営者と「なれあってはいけないのではないか」という意識もあったと言います。しかし、その気持ちも新型コロナウイルス禍で、外出の機会が減り、アパレル業界全体、産地全体が打撃を受ける中で大きく変わりました。
「仮に三星毛糸が持続できたとしても、その土台となる産地というエコシステムが稼働しなくなってしまったら、自分たちだけでやっていくのは絶対に無理だ」と意識の拡張を経験しました。
それを形にしたのが、繊維をはじめとする尾州地域の事業者や飲食店、ギャラリーなど53事業者が2021年10月末に始めた「ひつじサミット尾州」です。
商品ができるまでの過程や作り手の思いを知ってもらう工場見学のほか、ものづくり体験や羊を巡る食育まで、多彩な企画を展開したクラフトツーリズムの試みでした。オンライン配信も含めて、2日間の参加者は約1万人にもなりました。
感染対策をしながらの開催でしたが、岩田さんは「情緒的価値をもっとも実感できるのはリアルな体験であるイベントなのではないか。ものづくりのプロセスを楽しく学べるクラフトツーリズムは最高のエンタメになる」と改めて感じたそうです。
また、給料という経済的価値だけでなく、やりがいや誇りといった情緒的価値は働く人たちにとっても、ますます重要になりつつあります。「最終的に衣服を使ってくれる消費者の方々と直接交流でき、作り手の側も大切な情緒的価値を受け取ることができた」。岩田さんはそう考えています。
自分で選んだ「後継ぎ」の道なのだから、自分の実現したい世界をぶれずに追求していく。岩田さんの歩みからは、そんな学びも得られるのではないでしょうか。
(初出:毎日新聞「経済プレミア」2021年12月2日)
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