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森家のルーツを追う! 阿波水軍と森権平! 黒羽城と永塩因幡守氏継! 阿波と讃岐の県境にあった碁浦番所の八田氏と秦氏! 瀬戸内寂聴さんと笠置シヅ子さんと讃岐和三盆!

🟣父が亡くなった際、父方の戸籍謄本を取り寄せた。

そうすると、これまで知らなかった先祖達の姿が見えてきた。

祖母から聞いたことはあったが、森家は、戦国時代の1583年に、引田の戦いで土佐の長宗我部元親軍(長宗我部家は秦氏の末裔)と戦い、討死にした森久村 (森権平) の一族と言うことだった。

森久村は遡れば、阿波水軍 森家 開祖の佐田九郎左衛門となるから私の先祖は、阿波水軍 森家の分家に当たる。家紋も本家の木瓜紋に対し、分家ということで、丸に木瓜紋となっている。

森家は、江戸時代、今の東かがわ市に住み高松藩松平家に仕える武家で普請方だった。

普請方として道路やため池、橋の工事などを監督した。金刀比羅宮の階段造営にも参画した。

小磯の番屋の浜に松平家の主君が涼みに来る度に、一行のお膳立てをせねばならずかなりの金額がかかったと聞いた。

●阿波水軍 森氏の家紋 木瓜紋(左)、高松藩 森家の家紋 丸に木瓜紋(右)。




・佐田九郎左衞門 (因幡国出身。藤原秀郷の子孫。後に森姓に改名)

森元村 :  段関城(鳴門市大津町段関)及び土佐泊城(鳴門市土佐泊)城主。

森村春→森忠村 (子なきにより断絶)
森村吉→森村重(甚五兵衛)、森久村(権平)、森村明


※森村重が森甚五兵衛の始まり。阿波水軍。



・森家の記録『木瓜の香り』と碁浦番所の記録『八田家文書』



●高松藩松平家の家臣一覧

『高松分限録 嘉永年間』より藩士家名



●香川県史



◼️高祖母 八田氏

江戸時代の戸籍謄本を見ると、私の高祖母(ひいひいばあちゃん)は、徳島県板野郡碁ノ浦村(現在の徳島県鳴門市北灘町碁浦)から森家に嫁いできた。

徳島藩から高松藩に嫁いできたことになる。

森家は江戸時代に、現在の東かがわ市馬宿に住んでいた為、すぐ隣りの碁浦の八田家とも面識があったと考えられる。

徳島藩から高松藩へ嫁いできたのは、弘化元年(1864年)のことだ。

私の高祖母は、八田孫平さんの長女で名を八田キヨと言った。八田家は代々、碁浦番所という関所の役人兼庄屋だった。

徳島県立図書館と鳴門市立図書館にこの碁浦御番所の貴重な記録書である八田家文書が残る。この番所には測量中の伊能忠敬や四国遍路途中の松浦武四郎も立ち寄った。



◼️曽祖父の妹

私の曽祖父(ひいじいちゃん)の妹は、明治時代に、東かがわ市黒羽の三谷家に嫁いでいる。黒羽の三谷家の一族は、江戸時代から讃岐和三盆作りを続ける家系だ。

瀬戸内寂聴さんの父親の三谷豊吉さんや祖父の峰八さん、笠置シヅ子さんの実父の三谷陳平さんも三谷家の方だ。

そんな関係で、私の大伯母(祖父の姉)は、生前、瀬戸内寂聴さんと交流があった。瀬戸内寂聴さんは法要で東かがわ市引田の積善坊や黒羽を訪れている。積善坊には、十字架の印が彫られた寂聴さんの父母のお墓がある。父の三谷豊吉さんが養子となった瀬戸内家は、神戸市須磨区から徳島市へきたクリスチャンだった。


・黒羽神社と糖業感謝碑。糖業感謝碑の近くに瀬戸内寂聴さんの祖父 三谷峰吉さん、父の三谷豊吉さんの生家があった。



●笠置シヅ子さんと讃岐和三盆

笠置シヅ子さんの実父 三谷陳平さんは三谷家本家の当主の跡取りだった。18世紀半ばから製糖業を営む豪農だった。屋号は黒茂と言った。今も三谷家の分家である孫黒茂の三谷製糖が東かがわ市の馬宿で製糖業を続けている。



◼️江戸時代の戸籍

代々、高松藩松平家に普請方として仕えた森家

高祖父の父 森義右エ門。

高祖父 森喜平、高祖母は板野郡碁ノ浦村の碁浦番所から嫁いできた八田キヨ。

明治時代となり農家を営んだ曽祖父の森虎太郎、曽祖母は黒羽の旧家 永峰家から嫁いできた。

曽祖父 虎太郎の妹 森トヨは、黒羽の旧家 三谷家へ嫁いだ。




●高祖母の八田家は、讃岐と阿波の境目にあった碁浦番所と言う関所の役人を代々、務めていた。

この碁浦漁港辺りは、江戸時代に伊能忠敬が測量の為、引田港から出航し、上陸したところだ。




私の高祖母の八田家は、姓と居住地から判断するに秦氏の末裔だ。私にも古代渡来人である秦氏の血が流れていることになる。


●秦氏の全国分布と改姓後の姓名

阿波国 南海道 板野郡


現在、秦、波多、羽田、八田、矢田、波多野、幡多などの姓を持つ者の多くは渡来人 秦一族の子孫であり、機織りから転訛した服部、一族の秦河勝にちなむ川勝の姓を持つ人もこの一族の末裔である可能性がある。


●古代 秦氏の居住分布

阿波国板野郡に居住分布がある。

http://www.md.ccnw.ne.jp/rekishi_tajimi/toraijin%20hatasi.html






●碁浦番所
【ごのうらばんしょ】

現在の鳴門市北灘町碁浦にあった番所。

海岸線沿いの陸路の讃岐と阿波の境目に当たる。

西の小碁浦は讃岐,東の大碁浦は阿波に属す。

番所役人は八田家が代々勤め,天正13年(1585年)、讃岐と阿波の国境を決定する折,重要な役割を果たした。

当時の模様は「碁浦邑御番人 庄屋 八田孫太夫 先祖覚書」に「……御国御境目為証人私先祖 八田孫兵衛 高松へ罷出候節御上使様御出ニ而御境之儀此方于者西坪ケ谷筋之尾切と申上候」(鳴門市史上)とある。

海岸沿いの陸路の境にある碁浦番所は,旅人・商人等の検分に当たった。

番所跡は,国道11号建設のため埋め立てられ,現在は道路となっている。

出典: 角川日本地名大辞典



・高祖母の生家である碁浦番所





碁浦御番所八田家文書








◼️曽祖母

私の曽祖母は、東かがわ市黒羽の旧家 永峰家から大内郡丹生村の森家に嫁いできた。

曽祖母の先祖は、永塩といい、戦国時代に帰農し、永塩姓から永峰姓となった。

室町時代の先祖、永塩因幡守氏継は、1467年、最期のときを予期してか、黒羽神社を創建し、その年に応仁の乱で讃岐守護の細川勝元側につき11月8日に京都御所の北側にある相国寺で安富元綱らと共に討ち死にした。

・黒羽と永塩因幡守氏継 

出典: 角川日本地名大辞典



●東かがわ市の黒羽神社にて







角川日本地名大辞典



●東かがわ市黒羽神社と永塩因幡守氏継




◼️祖父の姉

私の大伯母に関する神戸新聞記事。

【昭和39年の神戸新聞】明治時代、東かがわ市生まれの大伯母のインタビュー記事(古山桂子記者)! 旧・神戸オリエンタルホテルで英語を使い電話交換手のリーダーを務める! 川島芳子、昭和天皇宿泊時の勤務! 二・二六事件、GHQ占領時代の電話交換! 瀬戸内寂聴さんとの交流!



◼️父 

西洋料理人として昭和天皇に料理献上




●先祖の徳島藩 碁浦番所の役人兼庄屋だった八田家とは? 「八田家文書」は研究目的で貸し出されるも所在不明となった! 一日も早く返却されることを強く願う! 歴史上、不都合な古文書は貸したら戻らなくなる場合がある! 阿波秦氏!



●讃岐の渡来人の足跡を追う



●森家のルーツ


以上

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