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香川県の禁足地、神域、訳ありの場所まとめ。 菟道稚郎子(ウジノワキイラツコ)の皇子一族が高松市の石清尾山に古墳を建造した。

◼️日本史上最恐の「日本三大怨霊」菅原道真、平将門、崇徳天皇と香川県との関係


🔸崇徳天皇が眠る白峯陵と菅原道真が住んでいた滝宮天満宮境内




◼️香川県の入ってはいけない禁足地、神域は?

・田村神社 奥殿の定水井
・金刀比羅宮 本殿裏の神域の森
・國分八幡宮 本殿裏の磐座(白蛇の生息地)




◼️香川県の高松城近くにある血屋敷井戸跡はあまり触れてはいけない場所なのか?


高松中央商店街の中には井戸跡が4ヵ所ある!


何百年もの間、雨の少ない讃岐の人の命を守ってきた井戸を埋め戻す場合はかなり慎重な”お祓い”と”息抜き”が必要!




◼️人類史上初めて遠洋航海を実践したラピタ人とは? ラピタ人の先祖が世界中に巨石文化を広めたのか?  香川県東かがわ市の高さ7mの謎の巨石”くじら岩”と水主神社と水脈!




◼️【讃岐の渡来人の痕跡】ゲノム解析の結果、四国は渡来人由来の比率が高い事が判明!

・石清尾山南麓の綾氏
・田村神社と秦氏
・屋嶋城と百済亡命者
・東かがわ市黒羽と原間古墳
・空海の母 渡来人 阿刀氏(物部氏)
・丸亀城石垣と穴太衆
・錦部刀良





◼️【善通寺】空海の父方の佐伯氏は渡来系物部王朝 景行天皇の後裔、母方は物部氏直系の阿刀氏、始祖はニギハヤヒ!

・物部氏は中国から日本に渡来して来た徐福(犹太人系の方士)の子孫
・佐伯氏は円珍、厳島神社の神主など優れた宗教家を輩出した!




◼️高松市庵治町の皇子神社 船祭りの”だんじり”の意味と祭神ウジノワキイラツコ (応神天皇の皇子)の政権交代の秘密。


播磨風土記には宇治神社に祀られるウジノワキイラツコは宇治大君(宇治天皇)と記載されている。 ウジノワキイラツコは高松市の鶴尾神社にも祀られている。


仁徳天皇(星川建彦)の策略により宇治川で溺死させられたウジノワキイラツコの皇子と親族は天理市庵治から讃岐に逃れてきて、その場所を庵治と名付けた。 小豆島にも皇子神社がある。 


🔸高松城の鬼門には庵治町の竹居観音を置く。江戸時代、庵治町には松平家の別荘があった。


🔸庵治町御殿山に別荘があった。近くには皇子神社が鎮座している。


 

🔸奈良から堺、瀬戸内海を渡り、小豆島にたどり着き、皇子神社を建てた。その後、讃岐の屋島の東側にある半島に皇子神社を建てた。一族の墓は高松市西春日町にある鶴尾神社裏の古墳となる。


🔸奈良県天理市庵治町


🔸鶴尾神社と古墳群。双方中円墳は天理市の櫛山古墳と高松市に見られる珍しい古墳。天理市に居住していたウジノワキイラツコの一族の墓と推測される。


🔸ウジノワキイラツコの皇子一族が住んでいた天理市庵治町と櫛山古墳。庵治は元は皇子と言う漢字を使っていたが、仁徳天皇(星川建彦)の策略によるウジノワキイラツコの殺害後、仁徳天皇による襲撃を恐れて漢字を変えた。

ウジノワキイラツコの母は和邇氏、父は応神天皇(竹葉瀬の君)。高松市西春日町の鶴尾神社にはウジノワキイラツコと応神天皇、応神天皇の母 神功皇后を祀る。神功皇后は辰韓の皇子 アメノヒボコの子孫。天日槍(アメノヒボコ)は出石神社に祀られる。




◼️香川県に実在した”子取り婆”


・語ってはいけない讃州竹槍騒動。子取り婆さん騒ぎから始まった香川県の封印された事件。逮捕者約282名、うち死刑7名、懲役刑50名など、刑に処された者は1万6,000名にのぼった。





◼️かつて東かがわ市に黒羽城があった。城主は永塩因幡守氏継 (ながしお いなばのかみ うじつぐ)。 


氏継公は、1467年、応仁の乱にて細川勝元側として参戦し、最激戦の京都御所北側にある「相国寺の戦い」で安富元綱らと共に壮絶な最期を遂げた。


この後、生き残った永塩一族は帰農し永峰姓に改姓した。 今も東かがわ市黒羽(くれは)には一族が暮らす。

黒羽神社: 永塩因幡守氏継は1467年8月、応仁の乱参戦前に妙見に武運を祈ると共に最期を覚悟し黒羽神社を建てた。





◼️昭和の時代、高松市に競馬場が2ヶ所あった。 文藝春秋社を創立した文豪 菊池寛は馬主としてこの競馬場に通っていた。





◼️高松市民にも存在を知られていない高松市歌とはどんな歌か?

作詞者は高橋是清の側近だった政界の重鎮 東かがわ市出身の三土忠造 翁! 観音寺市にある日本で唯一の石積みアーチ式の豊稔池ダムの名付け親!

香川県民歌とは?







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