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【戦時中命懸けの仕事だった電話交換手】二・二六事件発生時や戦後GHQ将校宿舎となった旧・神戸オリエンタルホテルで英語を使い電話交換手をしていた明治生まれの大叔母!

◼️1906年(明治39年)生まれの大叔母は香川県の東かがわ市と言う片田舎から単身、神戸へ渡り、旧・神戸オリエンタルホテルで英語を使い電話交換手のリーダーとして働いていた。


二・二六事件や天皇陛下の滞在時にも電話交換手として生の情報を知り得る立場にいた。


戦時中、米国空軍による神戸空襲で自宅は全焼したが、奇跡的に夫婦ともに命は助かった。


戦後間も無く米軍のGHQ将校宿舎となったオリエンタルホテルでも英語ができる人員がおらず電話交換手として声がかかり複雑な心境の中、勇気を持って命懸けで務めた。


まだ女性の社会進出率が低かった時代に、周りからの反対を押し切って香川県の片田舎から単身神戸へ渡り、人の良さと真面目さだけを頼りに生涯、無遅刻、無欠勤で戦前、戦後の激動期を電話交換手として生き抜いた。


明治生まれの人間らしく気骨を持った人だった。


私が神戸市内の病院に見舞いに行った際、アメリカに留学するこを報告すると嬉しそうに看護婦さんにそのことを話していた。


それが大叔母に会った最後となった。




●昭和39年、神戸新聞の元論説委員の古山桂子さんからインタビューを受けた際の記事


【記事内容】
記事内容は、武家のしつけ、阿波浄瑠璃の上手かった祖母(八田キヨ、阿波秦氏)、英語を使い旧神戸オリエンタルホテルで電話交換手のリーダー、2.26事件時の勤務、神戸大空襲で自宅は焼失するも夫婦共に生き延びる、GHQ宿舎での電話交換手、昭和天皇の宿泊など。

※大伯母の母は東かがわ市黒羽中村の永峰家(黒羽城城主 永塩因幡守氏継の子孫)の長女で、大伯母の父(私の曽祖父)の妹が東かがわ市黒羽の瀬戸内寂聴さんの祖父 三谷峰吉さんの家系へ嫁いだ為、大伯母は三谷家の法事にも出席し、瀬戸内寂聴さんと交流があった。瀬戸内寂聴さんの祖父 三谷峰八さんは東かがわ市黒羽で江戸時代から代々、讃岐和三盆の製造をする豪農だった。三谷家の三男だった瀬戸内寂聴さんの父の三谷豊吉さんは大伯母にあたる須磨の瀬戸内家の養子となり、徳島市で神具店を経営していた。

東京ブギウギなどのヒット曲を持つ歌手の笠置シズ子さんが生まれた東かがわ市黒羽の三谷家本家も屋号を黒茂といい製糖業を営んでいた豪農だった。今は分家の孫黒茂の三谷製糖が東かがわ市馬宿で和三盆の製造を継続している。



◼️二・二六事件で通信死守した「電話交換嬢」 防毒マスクの作業風景




◼️真岡郵便電信局事件(まおかゆうびんでんしんきょくじけん)

太平洋戦争後の樺太の戦いで、真岡郵便局の電話交換手が集団自決した事件である。


続き


🔸詳細記事

◼️【タブー・戦時中命懸けの仕事だった電話交換手】二・二六事件発生時や戦後GHQ将校宿舎となった旧・神戸オリエンタルホテルで英語を使い電話交換手をしていた明治生まれの大叔母! 樺太の真岡郵便局の電話交換手が集団自決した事件とは? 「九人の乙女」で舞台化!




◼️明治生まれの大伯母の人生

2.26事件、神戸空襲、昭和天皇オリエンタルホテルに宿泊、父の妹が瀬戸内寂聴さんの家系 三谷家へ嫁ぐ、母は永塩因幡守氏継の子孫






◼️プロフィール


先祖の徳島藩 碁浦番所の役人兼庄屋だった八田家とは? 「八田家文書」は研究目的で貸し出されるも所在不明となった! 一日も早く返却されることを強く願う! 歴史上、不都合な古文書は貸したら戻らなくなる場合がある! 阿波秦氏!


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