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いちごのおじいさん

まだ通学に自転車を使えなかった小学生のころのこと。近所のいちごハウスを管理するおじいさんがいた。小学生が登校するような7時過ぎからハウスに立って、帰りもまだハウスに立っている。

顔を合わせれば行きはおはよう、帰りは必ずおかえりと、声をかけてくれた。そんなおじいさんの「おかえり」にどう返していいかわからなくて、私はいつも必ず「こんにちは」と返していた。ただいまというのがただ、恥ずかしかったからかもしれない。そんな時もおじいさんは笑顔だった。

真っ赤な果実が実るころは、ハウスの横を通っただけで甘い香りが漂ってくる。確か、冬の厳しい寒さがだんだん身を潜めて、その代わりに別れの寂しさを運ぶ春の風が吹き始める頃だった気がする。時々おじいさんは、私にいちごを食べさせてくれた。四六時中おじいさんが愛を注いでいる果実が、おいしくないはずがなかった。そしていちごを差し出すおじいさんはやっぱり笑顔だった。

時が経ち、通学は自転車になった。さらに高校を卒業すると、故郷は時々帰ってくる場所になった。いつの頃からか、おじいさんを見ることは少なくなった。その代わりに同じハウスに、おじいさんとよく似たおじさんの姿が見えることが多くなった。

息子さんかな?

勝手にそう思っているけれど、そのおじさんも父親譲りで優しい。でも、私の方が「おかえり」をもらうには少し歳をとりすぎた。

こうしておじいさんのいちごは、受け継がれていくのだろう。



さらに時が経ち、今。再び故郷が生活の拠点となっている。通勤手段は、車。この前何気なく朝車を走らせていると、見覚えのあるシルエットが目に入る。

いちごのおじいさんだった。

クリーム色の野球帽。背中が少し丸まって、あまり背の高くないおじいさん。息子のおじさんに寄り添われて、あの頃にはついていなかった杖をついて、ゆっくりハウスに入っていく後ろ姿が見えた。後ろ姿でも間違いない。

まだ、元気に生きていらしたんだ。まだハウスに立つことが出来るんだ。ひょっとしたら、いちごの成長具合が心配になって見に来たのだろうか?

本当に長い間見ることがなかったから、もしかしたらと考えたことがなかった訳でもない。でもその日は朝からいちごのおじいさんに会えて、勝手にほっこり、心が元気をもらった。少しだけ気が重い平日の朝の、一方通行の再会に。

今度また、いちごのおじいさんを見かけたら、あのころ言えなかった言葉を心の中で唱えよう。

故郷に帰ってきましたの「ただいま」
そして、元気に仕事に「行ってきます」と。

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