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嬉しい再会

 「もしもし、○○日に2名で予約をしたいのですが」

 意を決して、元バイト先に電話をかけた。すると、アルバイト時代に一番お世話になった専務が電話に出た。○○ですけど、わかりますか?試しに訊ねると、やだ、つい昨日○○元気にしているかって話をしてたところだよ、と返事が返ってきた。虚をつかれたけれど、嬉しさが込み上げた。実に、3年振りの会話だった。

 コロナ禍が、もう3年目に突入して久しい。徐々にこの病との付き合い方も見えてきた。ようやく、ずっと行きたかった元アルバイト先の料亭に、1ヶ月ほど前に食べに行くことができた。私にとって大切な人を連れて。

 下宿先のアパートから朝も夜も、夏も冬も自転車を漕いで通っていたバイト先。大学卒業以来、少しだけ歳を重ねて成長した自分は、車で県を跨いで行くことができるようになっていた。

 何度かこのnoteでも書いている元バイト先の料亭は、老舗で有名人の写真も飾ってあるような店で、大学生当時の私がアルバイトで働くには少々どころではないくらい敷居が高すぎた。けれどバイト求人募集サイトでは和食料理店みたいな括りになっていて、初めて面接に行った日に面食らったのを今でも覚えている。そこに、社会人で時間と引き換えに少しの経済力を身につけて、賄いではなく正真正銘自分のお金で料理を食べに行けるようになったことが、よくよく考えたら感慨深い。

 いよいよ店に入る瞬間、少し緊張している自分がいた。店に入ると専務は居なかったけれど、よくシフトが被っていたパートのおばさんが案内してくれた。懐かしい思い出話をして、少し緊張がほぐれた。

 部屋はこの時代にもありがたい完全個室で、中庭が見えるような作りになっている。片付けなどで入ったことはあるけれど、客として入るのは初めてだった。掛け軸から席と窓の配置まで、バイトをしていた時には気づけなかった工夫があちこちに垣間見えた。お客様を満足させるホスピタリティは、お客様にならなければわからないところもある。食事以外で心が動く感覚は滅多にできない。

 本当は会席料理を食べたかったけど、苦手なものがあったから好きなものを単品で頼むことにした。旬の刺身、鯛の煮付け、ホタテバター、そして赤出汁。刺身はいつも賄いでいただいていたけれど、その日初めて自分で注文した刺身の味はまた、一味違って絶品だった。当然全ての料理が美味しくて、少し頼みすぎてしまったくらいだった。一緒に来た大切な人も喜んでくれたのが嬉しかった。

 帰り際厨房に寄り、お世話になった板前さんに挨拶をした。板前さんとは働きながら様々な駄話をし、しかし人生において大切なことも学ばせていただいた。いわばバイト時代の師匠のような方だ。久しぶりだから、会ったら話題に困るかもしれないと思っていたけれど、3年という時を経ても、すぐにバイト時代と同じような他愛のない会話を交わすことができた。人生の大先輩に烏滸がましいけれど、まるで旧友との再会のようで心地よかった。

 コロナ禍が隔てた3年間を打ち壊せた瞬間だった。失った時間は戻らないけれど、心の距離は同じところまで引き戻すことができる。そう実感できる体験だった。

 まだまだ物理的距離が遠いところに、会いたい人がたくさんいる。心の距離を引き戻せる日を早く迎えたい。

 

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