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【エッセイ】寸鉄人を殺す一言

今日の挨拶

 読者諸君、晴れ渡る土曜日のご機嫌はいかがであったかな。まさか、一週間の労働に疲れ果て、昼まで眠っていたような盆暗はいないはずだ。Noteを嗜む諸君らの休日は、朝早く起きて湯を沸かし、一杯のコーヒーをベランダで啜りながら、太陽に向かって本日もよろしくと嘯くものだと相場が決まっている。その後は、近所の自然公園を優雅に散策したことだろう。
 かくいう私は、夕方まで熟睡であった。あまりにも深い睡眠を見た太陽は、私の部屋に日が射さぬよう苦心したことであろう。五回もの電話が友から掛かってきていた。全く気がつかなかった。断金の交わりも揺らぐかもしれぬ。諸君らも気を付けたまえ、私のような盆暗になってはいけない。是非とも人の振りみて我が振り直すように求む。反面教師の亀鑑たる私だ。

彼と彼女

 今日熟睡していたのは、昨晩遅くまで酒に溺れていたからである。下戸ゆえにそれほどの量を呑んではいない。しかし、浅瀬で溺れることもあるだろう。酒で言えば、私は水深50cmであたふたする人間だ。おそらく日本酒を笑顔で飲める日は一生来ない。出来ることはニヤニヤとカルピスサワーを舐め続ける奇行だけである。

 そんな私が、会社の同期二人と酒を酌み交わした。彼と彼女は優しい。ひたすらにカルピスサワーを舐め続ける私を温かく見守り、生温く居心地の良い空間を創造してくれる。

 彼の方は、通称メガネ君。柔和な表情で全てを悟ったような振る舞いをする賢人である。メガネ君は沈黙は金、雄弁は銀を体現する男。無駄な口は一切叩かない。洗練された必殺技のような短文しか喋らない。その代わり、一言一言が核心をつく。きっと彼は仏が俗世に降りた際の仮の姿だ。和光同塵とは、おそらくメガネ君から生まれた言葉である。我々は厄除けを彼へ頼みに行くべきだろう。ちなみに、彼は今年が厄年である。
「我、汝の荒んだ心を救わん」
 メガネ君は、救いの言葉を常日頃から述べてくれる。なぜ勝手に荒んだ心にされているのかは分からないが。

 彼女の方は、通称根暗さん。器量に長け、仕草も可愛らしい。喋りが得意で聞き上手でもある。出会った当初は、男性を掌で転がす小悪魔なる女性かと身構えた。そうなれば、私の敵である。しかし、肝胆相照らせば印象は異なった。根が暗い。人に冷たい。他人の憂き目を論って嘲笑する。まさに冷酷な女性であった。あれだけ可愛らしいのに、心の奥底には何かしら複雑怪奇なものがある。小悪魔では甘い。れっきとした悪魔である。
 さらに、彼女はメガネ君が好きだ。三人でいると彼女は私と目が合わない。メガネ君ばかり見ている。こうなると、可愛さ余って憎さ百倍。私はもはや彼女を大魔王と認め、いつか更正させてこの世界を救おうと考えている。
「今日の髪型かっこいいね」
 そんな彼女だから、褒められると素直に嬉しい。大魔王討伐への道は険しいようだ。

トミフク食堂にて

 ここは、ガヤガヤと人の声に溢れたトミフク食堂。昼は食堂、夜は居酒屋のお店。日が昇り始める時刻以外は喧噪が絶えない。自分の話は、他人の与太話で絶妙な具合に掻き消される。酒が入り、皆の声量が増していようとも、自らと無関係の声は聞こえない。飲み相手の話だけはすんなり聞き取れる。各自のカクテルパーティー効果がプライバシーの保護に役立つのだ。何にせよ騒々しい店内である。
 私はカクテルを飲まぬ。そしてカクテルという単語が性に合わないため、この聴覚の能力をカルピスサワーペロペロ効果と呼んでいる。

 金曜日の夜。その週の仕事納めである。彼と彼女を集め、私は重大な会議を開催した。長年議論されてきた世界的問題に終止符を打たんと、強く意気込む。

「私は、なぜモテぬのだ」

 神は有り難いことに、アルコール非対応と無敵の非モテという特殊能力を私にくれたのだ。神社にお参りする度、どうぞこれらの能力は要らないので返上致しますと、何百回も申し上げたのだが、聞き入れてもらえない。
 今年の初詣もそうであった。もう目標とか健康とかどうでもいいのでモテたいから神様お願いです、私を今から絶世のイケメンにしてください、佐藤健とか真剣佑とかで大丈夫です。と明治神宮で強く祈った。その瞬間、何故か唐突に風が強くなり、急激に体が冷えた気がした。恐らく罰当たりなことをした。

「そんなことないよ。モテそうに見えるよ」

根暗さんは言うが信用できない。目の前に座るこいつは大魔王である。

「うむ……」

 せめて何か言ってくれ、メガネ君。隣の席で俯いて黙るのだけはやめてほしい。

「分からぬ。平日は慎ましく、かつ殊勝に精励恪勤。休日はジェインオースティンの高慢と偏見を読み耽り、いつか遭遇するであろう運命の出会いに思いを馳せる。一体なぜ、世の乙女達は私を取り合って壮絶な戦いを繰り広げない」

「今の話にモテる要素なかったけど」

「そんなことはない。世の男たちは私があまりに完璧すぎて憎いだろう。憎まれっ子世に憚るとは正に私のことであるな。なぁ、メガネ君?」

「うむ……」

「そうかそうか、感心しすぎて二の句が継げないか」

「困ってるだけでしょ。やめて、メガネ君困らせるの」

 結局、討論は私対仏と大魔王のコンビという構図になる。これでは敵うわけがない。一度、この世界的問題を議題から下ろす事にした。

座右の銘

 私の座右の銘は、河海は細流を択ばず、である。度量の大きい人間は、どんな相手でもえり好みしないで受け入れるという意味だ。私には、例えどんな乙女が寄ってきても、慈しみ、褒め称え、熱い抱擁を交わす覚悟がある。それにも拘らず、そもそも誰一人として乙女が私を見ない。知らないうちに私は透明人間になっているのだろうか。
 確かに、目の前の根暗さんともほとんど目が合わない。メガネ君も俯いてばかりだ。ようやく真理に気がついた。他人から私は見えていないのだ。

「そうか、私が見えていないのだな」

「は?」

 あまりにも怪訝な顔をされた。久方ぶりに面と向かって直視した根暗さんは眉を顰めていた。姿は見えているようだ。

大魔王の一撃

 現実問題、顔や性格は変えられない。イケメンになりたい、爽やかな内面を得たい、というのは不可能な願いである。ならば切り替えて、今すべき事を考えようと、話題を別の方向へ転換した。

「今、モテないことは仕方ない。ならば、いずれ来るモテ期に備えるべく、なるべく若さを保つべきであろう。可能性を高めることが不可能なら、わずかな可能性を維持する努力をするべきだ」

「急に長々ともっともな事言うね」

「つまりだ。私はおじさんにならない努力をすべきなのだ。いつまでもお兄さんとして若々しく生きようではないか。身も心もおじさんになった途端、私の人生に乙女が現れる可能性は遂に潰える」

 私による少し長い演説が終わると、メガネ君がいきなり口を開いた。

「モテ期? 可能性? そもそも可能性は存在するのですかな?」

「うるさい。この話の核心は絶対に突くな、メガネ君。可能性はあるのだ。私にもいつかモテるという可能性が潜在すると信じている。」

 死屍に鞭打つ事が好きな仏もいるようだ。ただでさえ窮地に立たされ続け、ほぼ瀕死状態の私を、メガネ君は正論でめったうちにしてくる。もう私に救いはないのだろうか。

「大丈夫だと思うよ。逆に、私はなんでそんなに、モテないモテないって連呼してるのか分からないな」

 ──まさか、と目を見開いた。大魔王が救いの言葉を投げかけたのだ。荒みきった私の心は、仏ではなく大魔王により浄化された。

「そうか。それは有難い。では、少し話を戻すが、おじさんにならないためにはどうすればいいのだ」

 根暗さんは少し考えた後、神妙な面持ちでこう言った。

「男性は、諦めたその日からおじさんだよ」

 全身の細胞が踊り出し、鳥肌が私を覆った。図星を指された気がした。
 もちろん、彼女はおじさんにならない為の忠告をしてくれただけだろう。しかし、彼女の顔は物語っていたのだ。もし、お前が非モテに抗うことを諦めた場合、それは世間がお前にご臨終を言い渡す時だぞ、と。おじさんという死の烙印は、見えないだけですぐ近くまで忍び寄っているぞ、と。
 それは即ち、私が今の生き方から逃れられない事も意味していた。大魔王による破滅の一撃。あまりにも意味深長で残酷な一言であった。

「今日、核心を突くのは根暗さんでしたな」

 メガネ君はニヤニヤと日本酒を啜っていた。根暗さんは澄ました顔でジャスミンハイを仰いだ。私は卓上のカルピスサワーを、ただ眺める事しかできなかった。ただ、眺めることしか、できなかった……。



───その日から、座右の銘は大器晩成である。


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