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双極症の私が仕事に就くこと

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元職に勤めて10年で鬱で退職。少し良くなってから8つくらいのパートをしてうまくいかなくて、仕事はいまちょっと無理ですが、元気で生活できています。その記録です。
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#仕事

もしも仕事を始めると過剰に頑張ってしまう

書き溜めていた(その2)です。  

社保を抜けた日から4年、私が働かなかった理由

 社保を抜けた日から4年、私が働かなかった理由、それは、コロナです。  数日前、離職票を確認しました。今から4年前離職していました(日付もぴったり)。    その会社を離職した後1つ就職しました。ちょうどコロナの初期で、消毒やマスクもない頃でした。  全国的にシャットダウンな頃、会社の上司が職場の上層部に断らず、たくさんの行事を企画していました。    コロナが多分長引くこと、今はとりあえず国が出した対策を守らなければならないこと等が上司には理解できなかったのです。  採用

私の”職業へのこだわり”を映す鏡③嫌なことは何かの始まり

私の知人が、私の元職業についたと人づてに聞きました。突然のことで衝撃でした。(え、今ごろ?ライセンス持ってないのに?)  そのニュースがショックで、つらくて、悔しかったです。健康だったらやってた仕事ですからね。  知人は「ホントはやりたくないのぉ」「でも採用されてうれしいぃ」とい言ってるらしいです。  「そのニュースがちょっとショックで、つらくて、悔しかった」っていう気持ちをどうしたらいいんだろうと思いました。今もまだ心を揺るがす、  前の「仕事」。  辞めたくても

パート探す時「お家で〇〇始めませんか」的なものにも行ってみた過去

 パート就職を探す時、最初は新聞チラシを見ていました。(ハローワークに行った方がずっと良かったです。)そこで行った会社について書きます。 ・A社 「お家で〇〇始めませんか?」という会社です。説明会まで行きました。 「まず最初に登録料として8万円お支払い下さい」 と言われ、それはないと思ってやめました。このくらいハッキリしてるとやる気がなくなるのでいいのかもしれません。 ・B社  仕事の見学まで行きました。仕事と仕事の間が数時間あるのに、その時間は建物から出てはいけないとい

パート就職してよかった仕事、よくなかった仕事(双極症)

 いろいろな仕事については、うまくいったり失敗したり…。現在は仕事はしていません。  これから書く仕事は特にB型支援とかではなく、自分で見つけたか、ハローワークで見つけて採用されたものです。 時系列で… まず【よかった仕事】から ①飲食店  ・やっている仕事の内容や技術が家事の役に立ち、その後の人生で長い間助かった(金銭的に還元したらすごい額になると思う)  ・コーヒーを淹れる、ラテを作るなどが店で出せるくらいにできるようになった  ・好きな店だったので一度でもスタッフと

パート就職してよかった仕事、よくなかった仕事②(双極症)

 続きです。  これから書く仕事は特にB型支援とかではなく、自分で見つけたか、ハローワークで見つけて採用されたものです。 時系列で… 【よくなかった仕事】について ④個人の店の事務(2件)  ・作業する部屋がとても狭い(見知らぬ人と狭い部屋にいるのはすごいストレスでした)  ・使っているコンピューターが旧式すぎて操作が分からない  ・年配の女性で大声で怒鳴る人がいる   →かなり早く退職しました。 ⑤期間限定の派遣事務 ・私の苦手な受付業務がある(ほぼ2時間受付に座って

パート就職して「とてもよくなかった」仕事(双極症)

 更に続きです。  これから書く仕事は特にB型支援とかではなく、自分で見つけたか、ハローワークで見つけて採用されたものです。  あるとき思いました。「本職に近い職業に就けばいいんじゃない?」「だってみんなそう言うよ?」そう考え直して探しました。 【とてもよくなかった仕事】について ①私の本職に業種が似ている仕事(その1)  ・勤務時間が夜(家族とすれ違いになるので家族から不評だった)  ・本職で知っている情報と違う情報が流れていることで苦しかった  ・合わない ②私の本

仕事やサークルを辞めたいとき(私の防備録)

 何度も仕事やサークルを辞めてきた私の防備録です。色々な経験で、こういう風にまとめました。 私の目標は、一刻も早く辞めることである。 ↑この目標のためだけに動きます↑ 〇体調が悪いと言う(かかっている病院があるとなお心強い) 〇会社やサークルにいる誰かのせいにしない(こじれる可能性がある。そうなると辞めるのが遅くなる) ◯上層部に何か告訴したりしない ◯連絡はなるべく午前中にし、夜はメールは見ないで寝る 〇怒りに任せて辞めない  (せっかく過ごしてきた日々が悪い思い出

センターのB型支援の説明に行った時の話

  ハローワークの職業訓練が受けられないし、なかなかパートの採用にはならないしで、でも家の外に出かけたいしで、診察の時に「B型支援に行ってみたい」と言いました。 ドクターは明らかに顔を曇らせ、 「レコルトさん、あのですね…」 と慎重に言葉を選んで、何回もためらいながら 「B型支援はですね…、あの…、お仕事がレコルトさんに向いていない可能性があるんですよ…」 と言いました。私が苦手な仕事らしいです。  それでも、と主治医の思いやりも分からず、診察から帰るとセンターに電話を入

私の”職業へのこだわり”を映す鏡

 先日、病院で、長い会計待ちをしていました。ふと、後ろの席のご夫婦(振り向かなかったので想像です)の会話から聞きなれた単語が聞こえました。  私の元職場の同系列の職場の話、だったのです。    なので内容がよくわかりました。手に取るように。  (こういう話をしている方だとしたら、トップから3番目くらいの偉い方かな…) などと想像しながら聞いていました。  仕事に責任感を持って臨まれていて、自分がいることがどれだけ大事かということを旦那さん(と思われる方)が力説していました。

私の”職業へのこだわり”を映す鏡②バッドエンドがコミ、を外して

 私は躁状態の時、物事をダメにしたり、人間関係を悪く終わらせたりしてきました。それは全然自分らしくもないことですし、家族からも責められるし、苦痛でした。  躁の病相であるのは確かなのですが、もう少し何かがあるようで考えてみました。 そして仮定したのですが、 原初の体験で体に浴びたバッドエンドという関り方、 それが行動にコミで入っているのではないかということ、です。 仕事や何かで、問題を起こす…、 あの懐かしい、赤ん坊のころ身に受けたバッドエンドに向かうように仕向ける。 (