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野菜を摂りたいときに限ってサラダが売ってないスーパーとパスタサラダの完全犯罪に関する考察の話

栄養が不足しているのではないか。そう疑ってしまうほどに憂鬱な日々だ。こんなときは、野菜をたくさんとって、果物を食べることによって、空と大地と一体化できるものである。そうすれば自然と気持ちは晴れ、人間としてリセットされる。新しい憂鬱を求めて冒険の旅に出るのだ。

それにしても「パスタサラダ」とはだれが考えたものかわからないが、よっぽどのパスタ好きが考案したのだろう。あんなの85パーセントがパスタである。そこに「サラダ」という空気清浄機というか、血流改善薬というかGOLD GYMというか、罪悪感をゼロにする接尾語をつけたのだから、あたまがいい。


さて、ぼくは映画やドラマにすぐに感化されてしまうタチである。もはや『舘ひろし』だ。一時期、海外ドラマにどっぷりはまったことがあったが、そのときは四六時中、英語のかっこいいフレーズについて考えていた。見ていたものがサスペンスだったこともあって、21時くらいに近所の公園を歩くときにはうしろの気配が気になったものだ。持ってもいない拳銃を振り回す妄想をしてみたり、コートの内ポケットに意味もなく手を忍ばせてみたりした。


ここ最近は日本の映画を見ているのだが、ご多分にもれず感化感化だ。映画のストーリーうんぬんかんぬんというよりも、「俺の映画」を考えるようになってしまって。つまりは『ぼくが映画監督になる話』というわけで、日々の思考が、「映画の目」に変わるのである。


かつて、芸術の勉強をしていたときがまさしくそうだったのだが、自己表現の刺激に触れると、何者でもない自分がひどく可哀そうな存在に見えてくる。

『ぼくはこんなに普通のひとでよいのだろうか』

『なんにでもなれるのに、何かになるのをサボっているだけではないか』

『結局、理想は理想であって、安定した生活を捨てられずにいるのだ』


こうした思いが駆け巡り、また苦しくみじめで可哀そうな気持ちになる。そして、そうした自分から逃げるように、今日もまた映画の世界に逃げるのであった。



『そろそろ一発デカいことやりたいっすわ』

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