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半自伝的エッセイ

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「チェスのレシピ」「新・チェスのレシピ」「折々のチェスのレシピ」を書いている人はどんなチェスライフを送ってきたのか。
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#創作大賞2024

「半自伝的エッセイ(42)」ハルクの定理:関数=将棋・チェス→証明不可

高校時代のことである。朝自宅を出る時には学校に向かった。当たり前といえば当たり前の話であ…

「半自伝的エッセイ(41)」完全なる双子

そんなに頻繁というわけではなかったのだが、チェス喫茶「R」には時折、双子の姉妹がやってき…

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「半自伝的エッセイ(40)」c3(シーサン)→微分みたいなチェス

気になる局面や手筋があった時など、私は明け方まで安物のマグネット式のチェス盤上で、ああで…

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「半自伝的エッセイ(39)」クリスチャンチェス・神社で聖母マリアと出会う

おそらくはマスターの影響というのか人柄というのかのためだったのだろうが、チェス喫茶「R」…

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「半自伝的エッセイ(38)」文庫本・文鳥・文

おそらく年齢のせいだと思うのだが、ここ数年徐々に小さな文字が読みづらくなってきた。まず文…

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「半自伝的エッセイ(37)」定跡と素数と親知らず

ある時、急に悪寒がしてきて、立っているのも辛くなった。幸い自分のアパートの部屋にいる時だ…

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「半自伝的エッセイ(35)」2本の百合

百合ちゃんが亡くなってから三年か四年後ぐらいのことだった。百合ちゃんの、つまり私の義理の父が亡くなった。私はその頃、理由はよく憶えていないのだが、なぜか多忙で、義理のお母さんが無理をしなくていいと言ってくれた言葉に甘えて、通夜にも葬儀にも不義理をした。実際、同じ関東圏とはいえ、仕事を休まないではいけない土地でもあった。 せめて心ばかりの義理を果たすべく、義父が亡くなった半年後のあたりに私は百合ちゃんの実家に足を運んだ。あらかじめ行くことを電話で伝えておいたからに違いないが、

「半自伝的エッセイ(34)」宇宙、代数、カラス

(前回から続く) 不眠の時間を利用して宇宙に関する本を貪るように読んでいたところ、自分に…

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「半自伝的エッセイ(33)」チェス、競艇、不眠

私がチェスを指さなくなった経緯は書いたが、チェス的なもの、つまり勝負事に対する熱望自体が…

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「半自伝的エッセイ(31)」カラスのマリア・カラスと『アヴェ・マリア』、クリスマス…

久しぶりにチェス喫茶「R」に顔を出すと、テーブル席のイスの背にカラスが留まっていた。私を…

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「半自伝的エッセイ(27)」チェスと将棋どちらが難しいか(3)

百合ちゃんを亡くしてから、私はもぬけの殻のようになった。その空白を埋めようと私はますます…

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「半自伝的エッセイ(26)」チェスと将棋どちらが難しいか(2)

といっても、アメリカに行くにあたってはいくつかのハードルがあった。まずは費用である。往復…

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「半自伝的エッセイ(25)」チェスと将棋どちらが難しいか

ある時、チェス喫茶「R」にいた何人かでチェスと将棋のどちらが難しいかという話になった。男…

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「半自伝的エッセイ(17)」バナナが聖母マリアに変わるまで

ロシアの土人形作家であるナタリア・ネポメンコさんの作品の相場を調べるため、あちこちのオークションサイトを覗いていた時である。どうにも気になる人形が目に留まった。おそらく検索ワードがいくつか共通していたのだろう、その人形の画像がロシアの土人形と並んで表示された。しかし、両者は似ても似つかない代物であった。かろうじて女性と見えるその人形は、やはり土を捏ねて作ったものなのだが、ロシアの土人形が愛嬌のある表情や明るい色彩が特徴である一方、その人形はなんと表現していいのか、一言でいえば