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半自伝的エッセイ

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「チェスのレシピ」「新・チェスのレシピ」「折々のチェスのレシピ」を書いている人はどんなチェスライフを送ってきたのか。
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#チェスプロブレム

「半自伝的エッセイ(37)」定跡と素数と親知らず

ある時、急に悪寒がしてきて、立っているのも辛くなった。幸い自分のアパートの部屋にいる時だ…

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「半自伝的エッセイ(36)」数式にチェスを代入する

チェス喫茶「R」にたまに来る人で、大学で数学を教えているという人がいた。皆から先生と呼ば…

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「半自伝的エッセイ(30)」定跡とハイネケン

チェス喫茶「R」はお酒を出さない店だったが、お酒を置いていない店ではなかった。夜、常連だ…

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「半自伝的エッセイ(29)」どんぐりの経験

ある時、チェス喫茶「R」の常連さん達で、たまにはピクニックにでも行くかという話になり、マ…

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「半自伝的エッセイ(28)」アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ

チェス喫茶「R」から徒歩5分ほどのところにイタリアンレストランがあった。大通りから細い道…

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「半自伝的エッセイ(26)」チェスと将棋どちらが難しいか(2)

といっても、アメリカに行くにあたってはいくつかのハードルがあった。まずは費用である。往復…

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「半自伝的エッセイ(25)」チェスと将棋どちらが難しいか

ある時、チェス喫茶「R」にいた何人かでチェスと将棋のどちらが難しいかという話になった。男性陣はほとんどが将棋もできたし、なかにはアマチュア高段者の人もいた。 結論は、チェスだった。理論的に考えれば、枡目と駒の数が多く、取った駒が使える将棋のほうがはるかに難しいはずであり、実際にそうに違いないのだが、実戦感覚としてはほとんどの人がチェスのほうが難しいと感じていた。 おそらく時代背景もあったのだと思う。当時は今のように将棋の序盤の研究がそれほどは精緻にはなっておらず、まあ矢倉

「半自伝的エッセイ(22)」アンパンマン

チェス喫茶「R」のマスターは無事退院し、またカウンターの向こうに立てるようになった。しか…

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「半自伝的エッセイ(21)」アメリカ武者修行

マスターが手術を終え退院して店に立てるようになると、私はお役目御免となりチェス喫茶「R」…

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「半自伝的エッセイ(21)」脳の性能

「R」のマスターが手術をするからと店の営業を任されてから数日してのことであった。以前から…

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「半自伝的エッセイ(20)」コカコーラ

梅雨が明け、いよいよ本格的な夏が到来し、連日のように暑さが続いていたある日のことだった。…

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「半自伝的エッセイ(19)」保険とステルスメイト

チェス喫茶「R」には豊川さんという常連がいた。歳は四十代ぐらいに見えた。平日でも昼間から…

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「半自伝的エッセイ(18)」チェスの音階

ある日、チェス喫茶「R」に行くと、端のほうのテーブル席で符号を言い合いながらチェスを指し…

「半自伝的エッセイ(16)」詰将棋か詩か

チェス喫茶「R」にはずば抜けてチェスが強い二人がいた。二人とも別の特技を持っていた。特技と言っていいのかわからないがここでは特技としておく。 一人は齋藤さんと言って、詰将棋の世界で知られている人だった。それまで詰将棋と言えば私は解くものだとばかり思っていたが、齋藤さんは作るほうに腕を発揮するらしく、詰将棋の専門誌の出題常連とのことだった。 齋藤さん曰く、「チェスは詰将棋である」。 定跡から入る対局はほとんど詰み(メイト)まで研究できるという。実際に齋藤さんは相手が何を指