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「半自伝的エッセイ(21)」アメリカ武者修行

マスターが手術を終え退院して店に立てるようになると、私はお役目御免となりチェス喫茶「R」も通常営業に戻った。そんな夏休み明けのある日、永瀬君が店に顔を出した。およそ二ヶ月ぶりのことだった。永瀬君は顔と言わず、Tシャツからつき出た腕、短パンから見える両脚に至るまで、すっかり日焼けしていた。

世の中が夏休みの始まる少し前、彼は店で宣言した。「アメリカにチェスの武者修行に行ってきます!」と。聞いている人はどこか半信半疑だったように思う。なにせ当時は円が弱く、仮に一ヶ月でも向こうで暮らそうと思えば、往復の航空運賃と現地での生活費にざっと見積もっても100万円では足りないだろうと思われたからである。

学生の永瀬君がどうやってその費用を工面するのか。家が裕福だと聞いたこともない。その永瀬君が一ヶ月強のアメリカ武者修行を終えて、いわば凱旋帰国してきた。店にいた誰もが英雄のような扱いで彼を迎えた。店内にいた十人ほどが自然と立ち上がり、拍手をして彼を中央の椅子に座らせた。

誰もが永瀬君の話を聞きたがった。パソコン通信はもしかしたらすでに存在していたかもしれないがインターネットなどない時代のことだから、海の向こうのチェス事情についてほとんどの人が知らなかった。

「で、どうだったの?」誰かが待ちきれないという口調で尋ねた。
彼は少し照れたような様子で周りの人を見回し、それでも聞かれたことに答えていった。
「毎週末に必ずどこかで大会があるんです。その情報が新聞とか雑誌に載っていて」
「参加したの?」
「はい、毎週末。参加料が5ドルとか10ドルとかで、それが賞金の原資になるんです。だから、みんな目の色を変えて対局してました」
「勝った?」
「いや、行く前は少しはやれる自信があったけど、僕のレベルでは3回戦ぐらいまでしかいけなかったです」
「永瀬君のレベルでも?」
「プロみたいな連中がウヨウヨいて、翌週の大会でも同じ連中がやっぱりエントリーしてるんです」
「へえ、賞金稼ぎみたいなこと?」
「たぶんそうだと思います」
ひとしきりそんなやりとりがあった後、永瀬君は盤駒を使って向こうで得てきた知識を披露してくれた。そこにいた誰にとっても未知の序盤定跡や鮮やかなコンビネーションなど、自分の胸にしまっておけば相当勝てるはずの知識を、惜しげもなく教えてくれた。
それを見て私もアメリカかどこかに行って武者修行をしたくなった。チェスが盛んとはいえないとはいえ、日本と海外の差がそんなにあるとは実は思っていなかった。しかし、渡航費用やら何やらとかなりの金を貯めないといけないわけで、現実的とはいえなかった。

それから二ヶ月ほどして永瀬君が警察に捕まったと聞かされた。どうも詐欺まがいのことをしでかし、それでアメリカ武者修行の費用を捻出したということらしかった。人様を騙して金を作るのが罪であるのは重々承知の上ではあるが、私は永瀬君の武者修行に寄せた思いを否定できなかった。それにしても、である。なぜ人はそこまでしてチェスで強くなりたいのだろうか?

自分自身のことを考えると、対局に勝ってもそれほど嬉しいわけではなかった。嬉しくないといえば嘘なのだが、喜びよりは安堵の気持ちのほうが強い。逆に、負けた時のほうが気持ちのぶれが大きいかもしれなかった。たかがゲームなのに負けると自分のすべてを否定されたような気になる。

チェスは将棋と同じく「二人零和有限確定完全情報ゲーム」であり、そこにある「零和」という概念こそが人をして極限までこのゲームを突き詰めさせてしまうのかもしれなかった。

(文中の登場人物等は全て仮名です)


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