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「Rebirth(仮)」(23)

前回(22)

この記事は、兄の高校時代のご友人で、トライアスロン選手の椿浩平さんについて書かれたものです。椿さんは2016年に、主に小児の小脳に発生する悪性脳腫瘍である「髄芽腫」を発病しましたが、現在は病気を克服され、パラトライアスロンの伴走者としてもご活躍されています。

椿④ 2016年9月

椿が連絡をくれたのは、腫瘍摘出手術を受けた後だった。ぜんぜん詳しくないけど、脳腫瘍って良性腫瘍の場合は取ったらもう問題無いんだよね。腫瘍のできてる場所で、ある程度良性腫瘍か悪性かわかるのかもしれないけど。

でも、残念ながら摘出した椿の腫瘍の生検結果は悪性だった。

白血病の場合は、初発時に移植適応になった場合は
 抗がん剤治療→短期間に分けた大量放射線+大量抗がん剤→移植  
っていうのが一般的な流れなんだけど、

椿の髄芽腫って病気は オペで腫瘍を取る→放射線治療→抗がん剤 (間違ってたらごめん)

て流れで治療が行われる。

最初にも言ったけど椿が連絡をくれたのは、腫瘍を取った後で、放射線治療まで少し退院してるからその間に、椿んちにお邪魔することになった。

 家について迎えてくれた3年ぶりくらいに会った椿は、なんか渋い声になった気がした(変わってないって本人言ってたけど)

奥さんにも初めて会って、挨拶した。会う前に知ってたかどうか忘れたけど、お腹が大きくて今にも赤ちゃん産まれてきそうな感じだった。
椿のお母さんにも高3の時ぶりに会った。途中でお父さんも帰ってきて、お父さんに会うのは初めてだったのかな?

椿の後頭部には大きな手術跡があった。「よく頑張ったな」と思った。
俺はメスはいれたことないからなぁ。手術前怖いだろうなぁ。

夜ご飯ご馳走になって、椿の病気がわかるまでのことや、今の状況、トライアスロンの話、俺の病気の話など、いろんな話をした。


今までほとんどの友達に闘病の詳しい事を話したこともなくて、白血病患者というアイデンティティを出さないでいたからかな。
椿と話すのは楽しかった。

椿が病気になって、それは不幸な事でこんな事言うのは不適切なんだけど、なんというか、ホッとしたような感情があった。「俺だけじゃないんだ」って。「理解してくれる人、理解できる人がいるんだ」って。


次の記事は、兄が再々発の治療を終え、退院後に椿さんとのことを書いたものです。

椿⑤(2018/6/9)

みなさんこんにちは。
最近は熱も出ないし、調子良い。
体重も少し増えてきたのは嬉しいですね。

ところで
少し前になるけど、退院して初めて椿に会った。

ピザを食った!
椿は退院してからもうすぐ無事一年だ。

俺は普通の人だから、歩いたり階段登ったりふつうに日常生活が送れるだけの体力が戻れば良いんだけど、椿はアスリートだからなかなか思うように筋肉、タイムが戻ってこないとつらいよね。
癌サバイバーだからって、レースのタイム-20秒してくれるわけじゃないし、健康な人に混じってちゃんと勝負しなきゃいけないんだよね。おれも社会復帰したら癌で大変だったとか関係なく、また努力して競争しなきゃいけない。

まぁハンディはあるけど、椿は乗り越えられると思うし、俺もできると思う、から問題ないかな。

とにかくお互いに元気に外でまた再会できたのが良かった!

椿は手術後に俺が椿んちにお邪魔してから、放射線治療と抗がん剤による入院治療を受けた。

椿が入院してた所は俺がかかってる病院のお隣の病院だったから、俺が外来で来る時は病室に寄らせてもらって、いろんな話をした。
体しんどいのに居座っちゃって、抗がん剤の話できる同級生とかいないからついつい俺も話し過ぎちゃうんだよね。


脳腫瘍と白血病の使う抗がん剤とか同じものが結構あって、副作用の話とかよくしたかなぁ。椿は脳を手術したからかわからないけど、すごい吐いちゃうみたいでそれがつらそうだった。


結局椿の入院は抗がん剤の免疫抑制が強く出て、当初の予定よりだいぶかかって1年くらいだった。

んで椿がようやく退院できたと思ったら俺がすぐ再発。
椿がきてくれたとき申し訳なさとその時の絶望感とか色んな感情が溢れて涙を堪えるのに必死だった。
あの時は辛かった。

だからまた元気に会えて余計に嬉しいんだよね!
これからも前を向いて生きていこう。

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