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世界の美しい瞬間 2

2 鴨川沿い

自転車通勤をしている。

朝の光を浴びながら、
あるいは、今日の太陽が1日を終えるその日の最後の輝きを見ながら、
揺れる木葉の下、
鴨川沿いを走る。

鴨川はローカルかつグローバルだ。

国も様々な観光客が、飛び石を楽しそうに渡っている。
学生がよさこいの練習をしてる様子。
橋の下から聴こえて来るトランペットやドラムの音。
地元のおじさんたちの間では流行っているのか(と思わせる人数が)上半身を日光で焼いている。
子供が親御さんの目線の先ではしゃいでいる。
お互いしか見えていないカップルの幸せなワンシーン。
子供たちがサッカーしながら笑い転げている。

マラソン好きな方がガチで走ってたり、
その横を景色も見えないくらいもっとガチに走行していく自転車だったり、
様々な人々が、思い思いに過ごすところだ。

わたしはそれらの様々な鴨川シーンの語り尽くせない様子はとっても好きで、また書くのだろうとは思うけれども、
今日留めおくのは、それらではない。

☆☆☆

鴨川沿いには、河川敷と、川端通りという車線の通り沿いに、歩行道路がある。

歩行道路は、三条より北、出町柳までの間は、観光客よりも住民の生活道の色が少し濃くなる。

並木の涼しい影が落ちる歩行道路を、わたしはいつものように自転車で通っていた。
帰り道、夕方のゆるやかな景色を味わいたくて、ペダルをゆっくりと漕いでいく。

道の遠くに、歩行を補助する用具にこちらに背を向けて腰かけた、おばあさんが見えた。

じっと座っていらしたので、お疲れになったのかな、と横を通りすぎようとした。

すると、
足を悪くされているであろう、
その腰かけたおばあさんに隠れてそれまで見えなかったが、

おばあさんの膝からふくらはぎを、
一人の女性が、黙々と、なにも言わず、
擦っていらしたのだ。

おばあさんは、ただ、それをじっと、
じっと、目を瞑って、
ただ、感じておられた。

通りすがりのわたしが目にしたのは、1分にも満たない間だった。

お二人の間には、一言も言葉はなかった。

けれど、
目を瞑ったおばあさんは、
ただただ、女性の行為を受け取り、
感謝し、とても気持ち良さそうにしていた。

女性は、淡々と、でも、負の感情はなく、
ただ、おばあさんの足を擦ることに、
その時間と、彼女の行為を捧げていた。

お二人は血縁関係なのかも知れない。
もしかしたら雇用と契約という、金銭のやり取りが発生した上での関係かも知れない。

けれど、お二人の間には、何らかの愛の受け渡しが行われている気がした。

ただ、行為を受け取る。
ただ、行為をする。

「これだけのことをしてやった」も
「これだけのことをしてもらった」もなく。

そのお二人の姿が、
とても美しいと感じたのだ。

行為そのものに、押し付けや奢りというエゴが伴ってしまうと残念に感じられるが、

行為の享受にも、尊大さや、逆に過度な謙遜があると、
相手との絶妙な関係性が崩れてしまうのかも知れない。

そして、遠く離れている両親のことを、少し思った。
元気でいてくれてありがとう。

鴨川の景色が美しいからだけではなく、
そのように、日常を鴨川の側で送る方々も、
その光景を美しくしているのだ、と思った。

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