Journey to mylife01. 変容のその先へ
続きを書くことにした
ちょうど一年ほど前に「Journey to myself ー私に戻るまでー」という、ちょっとした手記を書いた。
これまでの人生で、心の葛藤に苦しみ、ものすごく生きるのが辛かった私が、徐々にその痛みからの解放へと向かう、おおよそ1年半の変容の軌跡、そしてそのキッカケとなった人や学びとの出会いについて綴ったものだ。
01. 転機
02. 転機への梯子
03. 旅のはじまり
04. 旅の伴走者
05. 感情のメカニズム
06. 気づき(感情とメンタルモデル)
身に起こった体験を自分なりに意味付けして記憶しておきたかったのと、もしかしたら、縁あってその文章に出会った私と似たような変容を必要としている人が心の解放へと向かうための、何かのキッカケになるかもしれない。そう思って書いたのだけど、結果、書いてみて本当に良かったと思っている。
共感してくれた人が、予想を超えて沢山いた。
中には「似たような葛藤を抱えていて、でもあの文章を読んで自分も変わろうと決心できた。」とメッセージをくれた人や、実際に会いに来てくれる人、カウンセリングやコーチングなどの変容をサポートしてもらえるセッションを受け始めた人など、一人や二人ではなく、私がわかち合った体験に響いてくれた人たちがいたことを知り、とても嬉しい。
自分がこれまでどうしようもなく抱えてきた生きづらさ。
それを生み出している根っこの原因に人生で初めてリーチし、人の思考と心のメカニズムに触れて目から鱗がボロボロ落ちたのが、私の変容ストーリーの第一章だと思っている。
それから更に1年が経ち、思えばたった1年なんだけれども、自分自身の「生きる」の感覚や質感は既にだいぶ変わってきている。そんな気がする。
当時と今とで、感じ方、ものごとの捉え方、学びの種類や質も変わってきているし、何より起業という選択をしてからの体験すべてが、今の私のそれに影響しているのは間違いない。
第一章での体験(文章に綴ったのはほんのごく一部の体験だけれど)を経て、一旦「ココロ解放~!!」となったその先の私、生きづらさのがんじがらめをちょっと抜けたあたりからの「第二章」の体験を、今あらためて綴ってみようと思う。
ライフタペストリー:人生をまるごと受容する
消えない苦しみの根本原因や感情のメカニズム、そしてそれらとの付き合い方を学ぶにつれて、これまでなぜ自分が生きづらさを抱えていたのか?理由もわかるようになって、自分に対する解像度はどんどん上がってきていた。
そして半年に渡るうーさん(鵜川洋明)とのセッションの中で、他者に心を開いて自分の感情を分かち合うことの類稀な安心感を体験し、「他人を信じてはいけない」「他人に心を開いてはならない」と自分に課してきた、もう必要ない信念を解除することも、徐々にできるようになっていた。
その関りの中で私は、これまでずっと人に隠してきた自分の心の痛みと初めて向き合うことができた。
大きな転機となったプロセスは、これまで「無かったことにしよう」と心に決めて、意識的に自分と切り離してきた人生の出来事、主には私の生い立ちとその後の体験に纏わる、長い手記を書いたことだった。気づきを与えてくれた本「ザ・メンタルモデル」の中に出てくる「ライフタペストリー」という人生の物語のタイトルを借りて。
私のライフタペストリーは、こんな序文で始まっている。
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20年か、それよりもっと長い間、心の奥にしまい込んで誰とも共有してこなかった、私のストーリーを書きたいと思います。恐る恐る、黒塗りしていた過去を言葉にしてみる勇気を持てたのは、支えをくれる大切な人たちとの関りのなかで、自分の人生の記憶を無かったことにするのではなく、誰かと分かち合うことを通して、「ただそこにあった」ということを受け入れることを、自分の心に許すことができたからです。
そして、これまでジクジク膿んで、悲鳴を上げるほど痛いと思っていた過去が、ちゃんと目を向けてみると、今では予想以上に乾いてかさぶたになってきている。これもまた、自分の感情に向き合う作業を通して気が付いたからではないかなぁ。とも思います。
箱にしまったひとつひとつの記憶は、あるものは、今もなおフルカラーで鮮明に蘇り、 またあるものは、輪郭がぼやけて、さほどカタチを成さないものもあり、様々です。でも時系列に、丁寧に記憶の波からすくい上げ、時には日記を読み返して当時の気持ちを思い出しながら、これはココに、これはコッチに…と整理整頓するうち、何章にも渡る失われたページが舞い戻ってきて、人生の物語の「辻褄」が合い始める。そんな感覚を覚えます。
このタペストリーを書くことも、誰かに読んでもらうことも、だいぶ二の足を踏みました。こんな重たいもの送りつけていいはずがないと思ったし。
いつかなんでもないことに思えるんでしょうけれど、いまの私にとって、このタペストリーを誰かとシェアすることは、セルフイメージの分厚いコンクリをハンマーで叩いて砕くようなこと。それを取り除いて残った「ゆるゆるな脆い私」を晒してドン引きされたら、どうしよう。ゆるゆるな脆い状態につけ込まれたら(失礼w)それこそ私は一瞬で崩れ落ちてしまう。こんな過去を知られちゃうのも、カッコ悪くてイヤだなぁ。…と、もうそのドンドン出てくる恐れたるや、真面目にすごくて。
でも時間をおいて、こうとも考えました。
冷静になってみればそもそも、誰かの過去の出来事なんて、他の人にとってはそれほど大したことでもないよなぁって。
だから、ちょっと面倒くさい内容なのが本当に申し訳ないけど、今のこの「誰かと分かち合いたい」という気持ちのまま、これを読んでもらって、もうこれを踏ん切りに、あっけらかんと生きていきたい。
そう、思ったのです。
なので、たった一度でいいのでこのタペストリーを読んで本当の私を知ってもらえたら、ただそれだけで嬉しいです。
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このタペストリーを書いたことは、「自分の人生をまるごと受け入れる」という、私が長いことずーっと逃げ回ってきたコトに向き合うにあたって、大きな意味があったと思う。
結局のところ、当たり前と言えば当たり前だけれど、「今の私」というのは、自分が意識的に一生懸命につくり上げてきた「私」だけでは決してない。
生まれてから今までのすべての体験、すべての出来事によって「私」はつくられていて、たとえ不本意な出来事によって心が傷つき悲しい思いをしたり、自分や誰かを責めたり憎んだり、努力して築き上げた「自分が良しとする自分」には到底縁がないと思いたくなるような、ドロドロした自分が心に住んでいたとしても、事実それらぜーんぶがそろって「私」なのだから。
それに、「私」がちゃんと、人ひとり分の満タンのエネルギーで人生を生きていくためには、「要らない」と切り離した好きになれない過去の体験とそのときの自分を取り除いてできた「半分の自分」ではもう無理なんだ。ということ。そのことに、私はすでに薄々勘づいてもいた。
ただ毎日をイキイキと生きていくためのエネルギーが足りなくて、どこか本当の自分を隠ぺいして生きているような気持ちがどうしても拭えなくて、自分が必死でつくりあげた理想の自分に成りきり、走ることに疲れ切っていた私。
なによりもう私自身が、そんな自分のままで生き続けることに耐えられなくなっていた。
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起こったことは変えられないけれど、喜びも悲しみも、すべてを自分の人生の一部として受け入れ、等しく慈しみます。
だからこそ、自分を偽ることも、私ではない誰かの振りをすることも、もう辞めて手放します。
私を形づくるすべての体験は、記憶は、尊いもの。
私のすべては尊いものです。
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タペストリーを書いて過去の体験に自分なりの意味付けをし、それを人に共有できたことは、自分自身に対してそうゆう宣言をするための、ひとつの儀式だった気がする。
この体験を通して、人生ではじめて本当の意味で「私は私でいて良い」という感覚を覚えたと言っていい。
これはまさしく、心が癒されて自分の内側の陰と陽が統合されていく体験で、随分長い間抱えてきた大きな喪失感も、「私は普通じゃない」という思い込みも、この一連のプロセスを通して徐々に、得体の知れない恐ろしいものではなくなっていった。
これからは、満タンの「私」で人生を自由に生きていい!!!
そのとき味わった解放感は、今でも蘇ってくるほど衝撃的な感覚だった。
長い時間がかかったけれど、やっと、自分がどんな人生を生きていきたいのか、心を開いて描くことができそうな気がしていた。
人生のVisionを描きはじめる
それまでの人生では「他人の要求にどう答えるか」の方が圧倒的に優位で、「私は何をしたいのか?」については、ほとんど真面目に考えようとしていなかったように思う。
でもここに来て初めて「キャリアパスとか度外視して、何しても良かったら何したい?」と自分に問う機会が訪れた。
「私は何が『できる』のか?」じゃなくて「私は何が『したい』のか?」と。
自分が好きなこと、ざっくりとしたやりたいことは幾つか出てきてはいて、大きな方向性として「人と関わること」や「場づくり」の領域であることは間違いなさそうだった。なぜかは分からないけれど、セミナーや研修で登壇していたり、人の話を聴きながら相談に乗っていたりするときに自分が幸福感を感じるのは確かで、いつの日か会社を辞めて個人でこの領域の何かをやっていくことになりそうだなぁ。というのは何となく感じていた。
でもまだこのときは、いつ?とか、何を?とかは、具体的に考えられていなくて、ふわふわと夢想しているくらいの感じだったと思う。
この時点での私は、心の痛みがおおかた解消されて、純粋に「愛と感謝でいっぱい」という状態だった。まさに心の葛藤から解放されたばかりの、生まれたて(笑)。
一生無理だと思っていた癒しの体験が自分の身に起こり、救われたという事実に、ひたすら胸がいっぱいで、この希望を多くの人に伝えたい!似たような状況で苦しんでいる人を救いたい!そのために私にできることがあるはずだ!!そんな気持ちが溢れていた。
その気持ちは純粋なものだったし、紛れもなく心から出たものだったし、今もその願いそのものは、何も変わっていない。
だけど、その質感は、当時と今とではだいぶ違うな、とも思う。
うーさんのVisionフレームを使って(このフレームは自分の考えを整理し人に伝えるときに、とても役立つツールだ)人生のVisionを言語化するフェーズに入ったものの、自分から出てきた言葉にはどこか違和感が残った。
湧き上がる想いを言葉にしながら、【私は残りの人生を使って、こんなことをやっていきたい人です。】という、自分が「これこそ私の人生のVisionだ!」と思えるようなものにしていきたいのに、やってもやっても、出てくる言葉は「愛」とか「希望」とか、キラキラした抽象度の高い言葉に包まれた「良い子の私」。
確かに書かれた言葉だけさらうと、どれも「やっていきたいこと」ではあるのだけれど、どこか綺麗すぎる気がして、「うーん…本当に?私…大丈夫?」という気持ちが消せない。
「言語化は苦手だからなぁ」そんな漠然としたモヤモヤを抱えたまま数か月が経った。
探していたピース
私は、人生には「幸運を運んできてくれる人」というのがいると思っていて、アーティストで友人のゆっこちゃん(大野幸子)は、私にとって間違いなくそうゆう女神的な存在だ。
あるとき、ゆっこちゃんが「石動さんのセッションがヤバイ!!!」と大興奮で話してくれた。
石動さん(石動祐司)というのは、ゆっこちゃんと私の共通の知人で、議論メシというコミュニティで繋がっていた男性だ。
私は石動さんがどんなことをしている人なのか、あまり知らなかったので、「ふぅん、どうヤバイの?」みたいなリアクションをした。話を聴くと、どうやらゆっこちゃんは石動さんから、事業戦略立案のコンサルティングを受けているらしい。
「自分がね、何を人生の軸にして生きているのかを抽出して、それをもとにどんなサービスを創るかとか、どんな戦略を立てるのか教えてもらいながら、一緒に事業戦略を立ててもらえるの。この人生軸が分かっていると、とにかく安心っ!!その軸に沿ってやっていけば絶対辛くならないし、自動運転で行きたいところに行けるから!」
ゆっこちゃんは、石動さんとのセッションでのワークシートを私に見せながら、目をキラキラさせて私に話してくれた。
「その軸に沿ってやっていけば絶対辛くならないし、自動運転で行きたいところに行けるから」
この言葉が、すごく突き刺さった。そして、人生のVisionが上手いこと言語化できないでいた私は、「あ。感じていた違和感はコレだったのかも」と思った。
つまり、自分が理想とする美しいVisionを描いて、新しい生き方をスタートしたとして、途中でそれが苦しくなったらどうしよう…。自分で納得して良いことをやっているはずなのに、なんでこんなに辛いんだろう…って状態になったらどうしよう…。それだけは避けたい!!!
そのときの私は、そんな風にすごく思っていたから。
それに、この先起業するとして、もう少し明確に提供価値を定めたいし、事業としてやっていくにあたっての戦略も立てなければならないし、経験がないことで自分だけでやるのは不安。誰かその道のプロに相談したかった。
ゆっこちゃんと話したその日のうちに、私は石動さんにメッセージを送った。
このやり取りをした翌日、石動さんからセッションプランの提案書が送られてきた。
ここまで読んで、あーこれは受けてみたい。という気持ちになった。
私は一般的なコーチングでよく言われる「答えはあなたの中にしかない」という考え方に、確かにそうゆう側面もあるなとは思うけど100%ではないんじゃないかな?と、少し違和感を感じ始めていたところで、コーチングとティーチングに対する石動さんの考え方には特に強く共感した。
更に「事業戦略の策定に関するご提案」が続く。
石動さんからの提案に感動しつつも、その日は会社の忘年会だった私…
こうして、石動さんとの約半年に渡るトータルパーソナルセッションがスタートし、私は提案書で約束されていた内容を、実際に余すことなく体験することになる。
ここから、石動さんとのセッションでの学び、起業に至る経緯を含む、私の変容ストーリーの第二章がはじまっていく。
(02. 人生軸で生きはじめるへつづく)
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