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Journey to myself -私に戻るまで- 01.転機

人生の転機。
…なーんて、40を前にしてもう訪れないだろう~。と思っていた。

社会に出てだいぶ経つけど、とにかく目の前のことを一生懸命やってきたし、生い立ちが色々複雑というのもあって、幼少期から今にいたるまで十分な数の傷も、変化を強いられる経験も、味わって乗り越えてきた。
そう思っていたから。

でもこの約1年の間に私が経験したコトは、明らかに大きな転機・ターニングポイントで、しかもこれまでのそれとは種類も、乗り越え方も別格だった。そして、それを人生の今のポイントで経験したことと、その経験を経て訪れた「自分の変わりよう」に、当の私が一番びっくりしている。

今回の転機の始まりは、数年前からの何気ない違和感とともに、徐々に始まっていたように思う。

生きること働くことの中で、胸のあたりに「曇り空のような苦しさ」が生まれていた。
ぐっすり眠って翌朝目が覚めれば、なくなっているはず・・・そう思って眠りにつく。思った通り翌朝には忘れているのだけれど、それでもまた数日すると、同じような曇り空が胸の中に現れては、日に日にその曇り空は色濃くなっていく。。。
私は、何をするにもスイッチが入ると割かしストイックで、仕事もプライベートも、心と身体に鞭打ちながら走り続ける、みたいなことが普通で生きてきた。だから心にそんな「どうしようもないモヤモヤ」が生まれても、数年は見て見ぬふりをしてやり過ごしている感じだった。

そうこうしているうちに、自分の中の警報がけたたましく鳴るように、一晩寝たくらいでは気分が晴れなくなった。ある時期ガリガリに痩せて、明らかに自律神経を壊し、いつの間にかお薬なしでは眠ることができないところまで来ていた。こんなに身体がSOSを発しているのに、走ることを止められない自分がいた。「止まりかたがわからない」と言うほうが正しい。明らかに苦しいのに、いったい自分の人生の、何がどうなったら、このモヤモヤが取れるのかわからなくて、困惑していた。

ある日、そんな私を呼び止めるように、飛び込んできた言葉がある。

***
ベクトルが常に外に向いた状態になっていると、人は生きる目的を見失う。多くの人はhuman being(あり方)ではなく、human doing(やること)ばかりに目を向けている。
***

ユニリーバ島田由香さんの言葉だった。
「あぁ…これは私のことだ。」そう直感した。

私はずっと好きな仕事をしてきた。デザインの仕事は面白いし、まぎれもなく私のアイデンティティだとも思う。でも同時に、企業勤めをする中で、周りにどう思われるか?どう評価されるか?周りの期待にどう沿うか?そういったものが、私の「生きる働く」の動機になって、いつしか目に見えない「価値観の鎖」で自分が縛られていた。

゛周囲の期待に応えられなければ、自分には価値がない。”
゛良いアウトプットが出せて、仕事ができる人として評価されてナンボだ。”
゛仕事なんだから、シンドくて憂鬱で当たり前じゃないか。”
゛スキルに磨きをかけて、どこででも通用する人材にならなければダメだ。”
゛ダメ出しされないモノを生み出さなければならない。”
゛失敗したら、おしまいだ。”

人に言うことはなくても、心の中で渦巻いているのは、こんな「ベクトルが常に外に向いた」セリフばかりだったと思う。
でもそれが悪いとか害だとか思わずに、ただ単に「それ以外のモード」を知らないまま、そうやって私は働きつづけてきたのだ。

でも「ついに限界が来た。」と思ったのが、約1年半前だった。
「頑張っても頑張っても、頭打ち。」そんな感覚が消せなくなって、「何かを変えなければ、このまま生きていくのは、あまりにも辛い・・・」そう思って、その頃から、自己啓発系のセミナーに参加したり、セルフケア・メソッドの本も読み漁りはじめた。

この頃、議論メシというコミュニティに参加していて知り合った、理念ライター兼画家の、大野幸子さんという女性とランチに出かけた。ゆっこさんは、大きな青空とその下に広がる草原をイメージさせるお人柄と、愛に溢れた心、そして一目で惚れてしまう愛くるしい姿をお持ちの、私が大好きな女性だ。
そのゆっこさんが、私の向いの席に座って中華を食べながら、こう言った。

「わたしの前に座る方は皆、次のステージに行こうとしてる方なんです。次のステージに行ったら120%になれる方。でもそこに行くまでの過程は、めちゃくちゃ、辛いです!」

元気よく発せられた言葉は、私のど真ん中に突き刺さった。
「あぁ、やっぱりそうなのね…」という半ば諦めにも近い感覚。薄々感じていたけれど、やはり私今、人生がシフトしていくタイミングにいるんだ。そう受け入れた瞬間だった。

(つづく)

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