「デキる」って何が出来るのか

書きたいなと思うキーワード、考えのかけらは日々やってきて、
メモにストックが溜まっていきます。
久々に。大きな独り言を。

◎プラスアルファの一言を


やりとりをスムーズにすることが、相手への慮りになる。

デキる、とかいうのって何がデキるのか。
相手の手間を省いてあげられる、みたいなこともそのうちの一つかな、
という今回です。

1たす2、のコミュニケーションじゃなくて、
1たす2たす0.5とか、いっそ掛け算とか。



磯野と中島が、キャッチボールしながら、同時に前方に進んでいって、何処かを目指すみたいなとき(想像してみてください)
キャッチボールの球を、真正面に返すのではなくて、
相手が進んでいく斜め先に先に出してあげることで、
相手も自分も前へ進みながら一足飛びにゴールにたどり着く。
みたいなこと、
何かを相談して決めていくときに、自然にやっているようでいて、案外難しいことだったり、パッとできていなくて進行が遅延する・一手手間が増える、ということがあるな、と思うことがあります。

人とのやりとり、連絡などが、キャッチボールだとするならば。
「ボール、そっちが持ったまま終わってるんだけど」
「で?」
って言うところで、投げ返されないままで終わることって、ありませんか。
投げ返されていても、こちらに届かずにポテっと落ちているみたいな。

演劇で、セリフのやりとりをやはり、ボールの受け渡しに例えることがよくあり、そうしたワークショップなどで、実際にタオルでも丸めて、投げながらセリフを渡す、と言うことをした方とかは、(役者と演技に関心のあるその他のかた、くらいしかいないかそんなの)(あとはコミュニケーションのワークショップを取り入れた企業研修とか?)
身体性を伴って実際にイメージもできると思うのですけれど。

仕事の予定の日時とか、会う場所とか、なんでもいいけれど。2者間で決めるもの..
例えばこんな場面です。

・もともと、何かの決定がされていた
・それが履行できなくなった
というときの、断りの連絡。

「ごめん!○日予定入ってしまった!」「行けなくなっちゃった!」

もちろん、シンプルに、それを受け取った相手は
「じゃあ何日なら大丈夫?」と返すのがシンプルだし、
それで、次のコマに進めるのは確かです。

次のコマ。
改めて日時を調整するとか、
そもそも、仕事とかでなく軽くお茶でもしようみたいな程度でそこまで逼迫して必要性がないとかだと、
「その日がダメでも別日でリスケジュールする気持ちがあるか(いっそ流してしまうか)」
みたいなこともふんわり出てくるので、
「改めて、実施の有無/会うのをやめる」みたいなことがないかの意思確認みたいなのも、いちいち確認し合わずにほぼ言外でやりとりに内包されていくと思いつつ..、本当だったら、されているわけです。

でもちょっと、そうしたことが起きたときに、
「履行が無理になってしまいました!」(仮にby磯野として)
とだけしか(to中島に)連絡が来ていないとすると、
受け取った側(中島)が、[2人が次のコマに進めるための意思確認をする]、みたいなのは当然起こってくる想定内のやりとりかな、と思うんです。

ううんと、ううんと、伝わりますかね、
「履行が無理」→[「じゃあ、どうするか」を確認しあう、というタスク]が玉突きで生まれている。
ということです。

で、その自明の次の課題(進むコマ)に対して、
シンプルに直球を受け取り、中島が、尋ねてあげてもいいんですけど、
そこ、磯野からボールを投げる時点で、既に、わかっていますよね、ということを鑑み、
「中島に投げるボールの時点で、必要十分になるボールを投げれば良くない?」
と思うんです。

「無理になってしまった!」
その先のプラスアルファを、一緒に投げ返す、ということ。
多分、普通、ちょっと心がけのある方や、そもそもビジネスってそうじゃなきゃ回らんぞ、と思える方は、経験値だったり、教わる機会があったり、自然の発想として(素敵ですね)、それを自然とやれていると思います。


「無理です」
→「代わりに、○日と○日は空いています」とか、「どこどこでなら可能です」、(+αその1)
「ご予定はいかがですか」(+αその2)
だとか。ということを、一緒に投げたらええやん、という。

「で?」。
「じゃあどうするの?」

っていうことを、先に開示してあげる。
だって、そうなるんだから。
いちいち相手に聞かせない。
その一手を省く。


とか、そもそも、自分の方の都合で変更や調整をお願いすることになってしまった(ご迷惑をおかけする、という文脈)ときに、こちらの変更希望、お願いを、気持ちよく受け入れてもらいやすくする自分のためのイチ魔法でもあると思うんです。
「ダメでした!」「無理っす」だけじゃ、ちょっと傲慢じゃないですか。
「でもこれなら対応できます!」みたいな、代替案の提示って、大事だと思うんです。

お買い物で「10円足りない!」ってなったとき、
「10円足りないです!」ってだけお店にの人に言っても、
お店側にとっては、「じゃあ売れないね、どうするの?」でしかないじゃないですか。
「あ、すみません10円足りないです、お会計変えてもいいですか」「この商品やめてもらっていいですか」「ちょっとすぐお財布取ってくるので、お待ちいただいてよろしいですか、(3分しないで戻ってきます)」とかとか、いうと思うんですけど。
「10円足りないです!」しか言わないのって、子どもですよ。

「当然だろ」と思ってフウン、て読み進められている皆様は、
普段、何気なくデキているだけで、すごいことなんだわ、これ。
ハナマルあげてくれ!ご自身に。
同質のことが、別のやりとりになっていると、できてない、みたいな場面時々体験します。

「ごめん◎日無理になった!」だけで終わっているボールって、必要十分でなく、届き切ってないと思うんです、本当は。
「ごめん無理になった!この日ならいけそうなんだけどどう?」と、相手への質問が投げられる、選べる選択肢が提示される、ということまでが必要十分で、とてもポライトな投げかけだと私は考えます。


ただ、もちろん意地悪な考えをしなければ、
「ごめん無理になった」と伝えるだけで、「日にちを変更してほしい」みたいな意思はもちろん、内包されて伝わっていますよ、そりゃあ。
でもその先の話を進める役割を、相手に任せないで、自分が進められるところまでは進め切ってほしい、とよく感じるんです。

「え?いちいちそこまで気にしなくてよくない?シンプルに聞けばいいじゃん」でしかないっちゃそうなんですけど。
ていうか、そうこられたら、そうするしかないんですけど。

意思については、内包されて伝わっている、というだけで、
じゃあ何をどうするのか、という具体的な代替案を提示されていないから、いちいちそれに対してボールを返さなきゃいけないのは、手間だ、と思うんです。

『「で?」っていう。そこで終わらせないでくれない?』と。

ちょっと、というかものすごーく、別の話題に脱線すると、

現実における人のコミュニケーションってすごく省かれていると思うんですけど、
台本なんかで、言葉でいちいち書き起こそうとしたときに、得てして物凄く書き込まれていたり、状況説明的になっていたりして、読み物として会話がいちいち行って帰って行って帰ってになってたりするときがあります。(もしかして、意図的でない場合は、まだ稚拙、というところかもなのですが)

「ねえ、」「うん?」「今日さ」「うん」「変な夢見たんだけどさ」「へえ、どんな夢を見たの?」

あえて意図的にそういうふうに作ることもあるとは思うのですが
これ、現実では、
「ねえ今日さ、変な夢見たんだけどさ」
「夢?」だけで成り立っていたりする。

逆を言えば、(実際の演劇の場合こっちの方が起きてたりする気がするが)
「ねえ今日さ、変な夢見たんだけどさ。鯨が白い砂浜に打ち上げられているんだけど、私、その鯨のbrabrabra〜〜」と一方のセリフだけ書いてあって、書き込まれていないところで聞き手が実は喋ったり相槌を打っているものだから、台本にはいちいち書かれていないけど、台本上で省かれたリアクションがあり、セリフになかったとしても、自然にそれに反応していく、ということもある、、。

ちなみにそういうところのコミュニケーションは、やりとりする二人の関係性や状況による、ので、例えば、付き合いたてで一緒に帰っている恋人同士(相手への関心度合いが高まっている)、とか、バイト帰りに宅飲みに行く前に買い物をしている幼なじみ(片手間でもやりとりできる)、とか、それ次第で、そこに起きるコミュニケーションのハイコンテクスト/ローコンテクストの程度が変わりますよね、、
・関心度合いが高い:熱心に聞いている、となれば、「ん?」「うん、」「夢?」「ええ?(笑)」と、反応数が多いとか
・片手間で:そんなに真正面から聞かないでいい、という感じの関係だったら、「うんー?」「ふん、」くらいとか。相手の顔(目)を見る/見ないとかも変わりますよねー。



今回の、具体的な代替案が返ってこなくて、無理です!しか連絡が来てないときのやりとりの手間って、
この冒頭で書いた、いちいち、あーだのへーだのうんだの、そうなんだだの、台本に書き込まないとやりとりが成立していないようになっているみたいな手間感、ちょっとずつブレーキが踏まれて、ノッキングになるような、そんな感じなのですよね、。

いちいち、「10」という数字を作りたいときに、「1たす1たす1たす、、」てやりとりして行かないで、「1たす、2たす、7」くらいでいっちゃっていいじゃんかー。ていうのが、この蛇足のエピソードが浮かんできた背景です。

ボールを投げる時点で、「で?」っていう。
「じゃあどうすんの?」っていうことが磯野からのターンで既に生まれている訳なので、
中島にとって、「で?」っていう状態で、ボールを投げちまうのではなく、
中島も先に進めるように投げてあげたらいいじゃない、という。

傲慢、と書きましたが、
受け取った相手にとって優しくないですよね。

だし、何か一つのプロジェクトに対して、スケジューリングしているとかだったら、そのいちいちのやりとりで待つ時間とか調整の手間とか省きたいですよ。意思決定は早い方が先へ先へ進めるので。どうしても期間を取らなくちゃいけない、決めきれない、何かを待って結果次第での選択になる、とか、時間がかかる/かけなくちゃいけないことはもっと他にあるはずなので。

「あ!」って言って、
相手が「い!」って言わなくていいんです。
「あいう、」て投げたら、「えお、」て返せるように、、



この辺り、もう一つのプラスアルファとして、なんとなく自分がやっているなと気がついたことがあって、
相手の手間を省く、というのと、
同時に、できるだけ、「相手が選ぶオプション(選択肢)を用意する」ということ。「提案していく」ということでした。

自分が決めていける立場にないとか、
判断を仰ぐとき。

「どうしますか?」としか聞けない側です。

でも、なんとなく、どうするといいかの選択肢を思い浮かべることができるケース、それをしても良い場合、とかだった時、。

「どうしますか?」だけで投げてももちろんいいんです。
相手に考えて貰えばいいから。答えは相手が持ってるから。

でも、それを、自分でも考えてみて、ある程度想定できたとき
「〇〇の場合は、--で、XXが良いかなと思いました」
「でも、そうなると〜〜なので、△を大事にするなら、□かなとは思います」
という選択肢をこちらで用意してみて、提案をする。と、相手が考える時間を省いてあげられたり、考えるに当たってのとっかかり、土台は作れるかなと思うんです。

返事を待つだけ、でもいいのですが、
待つ時間も、短縮できたらいいじゃないですか。

これは、私が、各所に連絡をして、いただいたお返事をもとにようやく自分の仕事が進められたり、他の方へのご連絡をできたり、という立場にいる時が若干多いからの発想、仕事癖、なのか?とも思うのですが。。


ちなみにもう一言付け加えるとするならば、
相手にとって考える手間を省くのに大切だなと思うのは、
「理由や根拠も同時に伝える」こと。

「XXが良いかなと思いました」
だけだと、「なんで?」って考えるじゃないですか。
「どうしてか」「本当にそうか」「自分にとって納得できるか」「他の選択肢としてはどうか?」は、一考しますよね。
でもそこに、もちろん自分なりのとか、自分だけの視点ではあるので、偏りはあれど、根拠が述べられていると、
その一考についても、聞いて、ふんふん、そだね。で一旦処理できたりする。

(自分では考えつかなかったものを含め)何個も思い浮かぶ選択肢に対して
そのうちのいくつか(あるいはもしかしてそれで全部かもしれない)に関しては、
考えるプロセス自体を、こっちが代わって省略できるじゃないですか。


特に、期限が決まってたり、タイトなときには、できるだけ斜めに斜めに投げ合って、早くゴールにたどり着きたい。

「◎はできるか?」「NO!」「じゃあこれは?」、となるのでなく、
「◎はできるか?」「NO,でもこうなら大丈夫!」「じゃあそれで」と一足飛びにしていきたい、していけるプラスアルファがあると、
相手が助かるよなあ、手間が省けるよなあ、時間が短縮できるなあ、やりとりとして優しいなあ、慮っているなあ、仕事が早く進むなあ。
と、思うんです。


ちなみに、
バリエーションとしては、
「〇〇ができません」とお断りするときには、
「でも、議事録読んでキャッチアップします!」とか「行ってくれる〇〇さんから聞いて把握するようにしておきます!」とか
嘘でもいいからその一言が付け加えられていると
相手に気持ちよく受け取ってもらえるな、とも思ったりします。

「できません!」「無理でした!」「予定が変わりました!」
だけで終わらないプラスアルファを、
欠けているなと思う、
ボールが届き切らずに落ちて終わっているなと思うときに

「そのプラスアルファがあったらなあ」と
よく、思います。

思いながら、歯がみして、
こちらから、聞いてあげている(みたいなマインドにどうしてもなってしまうのですが、私もまだ器が小さいので。)
なんとも言えない気持ちを。。

「これってどうしたら気持ち良いんだろう」
「私は何に引っかかるんだろう」
「逆に自分はどういう風に相手に投げかけているんだろう」
と、矯めつ眇めつして見たら、
こんな、ひと工夫が、見つかりました。


デキる、に近く
できること
ちょびっと
思い出す時があったらなーと、思います。

ふー。語りました。
独りよがりに。

ま、こんなこと書いてますけど、
そもそもでも「お互い様」の気持ちを持つことがめちゃくちゃ大事なので、
ケンケンキャンキャンしないで、
柔らかく受け止めるみたいなマインドを前提に、、というのは、また別の機会に、、、

かしこ。

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