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【感想と考察】「風の歌を聴け」ハートフィールドについての創作的考察

感想

 軽やかで自由、気負うところがなく、書きたいように書いている、という感じの小説でした。村上春樹のデビュー作で、これも7年前とかに読んだ本だけど、心に残っていた印象的なフレーズも結構あったなあ。
村上春樹が文章の殆ど全てを学んだけど、全ての意味で不毛だったデレク・ハートフィールドという作家については気になったので、どんな人だったんだろ、と思い一冊本を読んでみました。

印象的なフレーズ

風の歌を聴け

 タイトル。センスだよなあ。本文中で「風」というのは、「生もなければ死もない」「あらゆるものは通りすぎる。誰にもそれを捉えることはできない」という感じで書かれているけど、自分的には「時代」のことかなあ、という気がしました。「時代」は1960~70年代に流れる雰囲気みたいなものなんかな。それで「鼠」とか「僕」はその「時代」を体現している気もするので、「彼らの声を聴け」と言われているような気もします。

完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。

 これ、風の歌を聴け、だったんだ、というくらい読んだら、あー、なんか読んだことある!という気分になる一文。本当に誰かから言われたことなのだろうか。

夜中の3時に寝静まった台所の冷蔵庫を漁るような人間には、それだけの文章しか書くことはできない。そして、それが僕だ。

 うんうん、これは村上春樹その人っぽい気がする(笑)この文で僕の人となり、というか、これまでの文豪と言われるような人たち、とはちょっと違うだらしのなさ、意志の弱さ、みたいなものを感じますね。

熱が引いた後、僕は結局のところ無口でもおしゃべりでもない平凡な少年になっていた。

 無口であることを一つの特徴として持っていたのに、その特徴もなくなってしまう。なんか社会に馴染むとか、大人になるってこういうことか、とちょっとなんか切なくなる。

「この食い物の優れた点は、」と鼠は僕に言った。「食事と飲み物が一体化していることだ。」

 これは、いやいや、とツッコミを入れたくなる(笑)「鼠」が食事に頓着しない様子が単純に面白い発言。

 こうやって見てみると、「風の歌を聴け」の冒頭は、結構印象に残るフレーズが多くて、冒頭部分は結構好きだなあ、と思いました。

デレク・ハートフィールド

 「風の歌を聴け」で最初から最後までちょこちょこ登場するアメリカ人作家。1909年にオハイオ州の小さい町に生まれて、父親は電信技師、母親はおそらく専業主婦で星占いとクッキーを焼くのがうまい。高校を卒業して郵便局員から小説家になる。好きなものは銃と猫と母親のクッキーで、1938年に母親が亡くなると、右手にヒットラーの肖像画を抱え、左手に傘をさしたままエンパイア・ステート・ビルの屋上から飛び降りて自殺しました。

・文章をかくという作業は、とりもなおさず自分と自分をとりまく事物との距離を確認することである。必要なものは感性ではなく、ものさしだ。
・私はこの部屋にある最も神聖な書物、すなわちアルファベット順電話帳に誓って真実のみを述べる。人生は空っぽである、と。
・誰もが知っていることを小説に書いて、いったい何の意味がある?
・宇宙の複雑さに比べればこの世界などミミズの脳味噌のようなものだ。

 村上春樹曰く、「言葉を武器として闘うことのできる数少ない非凡な作家の一人だった。」ということで、確かに作中に引用されてる言葉からもアイロニーやウィットに富んでいたり、現実的な冷静な観察眼を持っていながら、ちょっと現実離れしたりところがあったり、村上春樹に近いものを感じられました。どんな作家だったんだろうと気になり、近くの図書館で調べてもらい一冊本を借りて読んでみました。

「ある電信技師の一生」 デレク・ハートフィールド

 この本の主人公のモデルは電信技師という職業から分かるように彼の父親かと思います。ハートフィールドは、「風の歌を聴け」で村上春樹が言うように、「ジャン・クリストフ(ロマン・ロラン著)」をとても気に入っていました。

ハートフィールドが「ジャン・クリストフ」をひどく気に入っていた理由は、ただ単にそれが1人の人間の誕生から死まで実に丹念に順序どおり描いてあるという点と、しかもそれが恐しく長い小説であると言う点にあった。小説と言うものは情報である以上グラフや年表で表現できるものではなくてはならないというのが彼の持論であったし、その正確さは量に比例すると彼は考えていたからだ。

 そして、自分でも同じような小説を書こうと思った時に、彼にとっては父親というものが、最も身近でかつ最も理解しがたい存在であり、その一生を小説を通して描いてみたい、という気持ちになったのではないかと思います。この小説自体は結局、ハートフィールドの自殺によって未完のままですが、自殺に至った自身の精神的な内面の経緯などが読み取れるようで晩年の作品としてとても興味深いです。
 「ジャン・クリストフ」と同様に、この本も「ある電信技師の一生」を描きつつ、その「親」と「子」、つまり3代にわたる一生が書かれており、非常に長い長編小説になっています。個人的にこの小説で一番面白いなあ、と思ったのは「子(=ジョン・クリストファー)」の部分で、つまりハートフィールド自身がモデルになっていると思われる部分です。
 ジョンは、小説家を志す新聞記者でしたがなかなか小説家としては認められず、さらに急な戦争状態になったことで敵国に取材にきていたジョンはスパイとして投獄されてしまいます。兵士たちからの尋問中、生き残るためにジョンは自国の悲惨さ、そして敵国の優秀さを物語ります。それらはもちろん作り話なのですが、語る中でその作り話の中にクリス自身が入り込み、自国の悲惨さ、敵国の優秀さが彼自身にとっての「現実」になってしまいます。
 これは「稚拙なテーマ」しか持たなかったハートフィールド自身がヒトラーの語る物語の力の前に自身の無力感を感じたことを表しているように思われます。そこに人生の楽しみであったクッキーを焼く「母親の死」ということが重なり、自殺に至ってしまったのではないか、という分析も可能かもしれません。
 いづれにせよ、村上春樹が「(ハートフィールドの)文章は読み辛く、ストーリーは出鱈目であり、テーマは稚拙」と書いたのと同様に、ここに書かれたことは出鱈目で稚拙な考察にすぎないので、もう少し調べてみないとなあ、と思いました。

これを書いていて小説家ってすごいんだなあ、と改めて思いました(笑)

以上です。最後まで読んでくれてありがとうございました!!

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