幸せは、水のようで。
幸せを感じることは、簡単。
そこにあるものに感謝するだけ。
もっと言えば、それがなかったらどうかを想像すればいいだけ。
いつでも、どこでも、だれでも、幸せを感じられる。
自分の周りには、幸せが散らばっていると感じられる。
もっと幸せを得たいなぁって思えば、願って手を差し出せばいい。
誰にも迷惑をかけない幸せなら、願う権利は誰にでもある。
両の手は、目の前にある。
幸せを得たければ、さっと出せばいい。
でも、幸せは、得ようとしても限りがある。
幸せは、自分の両の手のひらにすくえる分だけしか、得られない。
度を超えて得ようとすれば、指の間からすり抜けるか、元々あった他の幸せが手から溢れてこぼれ落ちる。
分をわきまえるとか、分不相応とか、そういうこと。
だから、自分の手(度量や器量)を大きくする。
色々と経験して、人の喜びや悲しみ、怒り、辛さを知る。
そして、幸せが手から落ちる前に、人に分け与える。
幸せのお裾分けをする。
情けは人の為ならず。
幸せは、出し惜しまない。
どうしても、手離したくない幸せがあれば、仲間を作る。
仲間の手のひらに、分ければいい。
同じ幸せを日々共有したい仲間。
家族であったり、友人であったり、グループのメンバーだったり…
仲間の手のひらの数だけ、幸せが増える。
それが幸せを分かち合うこと。
幸せを自分の手にすくったままの人は、寂しい人。
手ではもの足りず、両腕で抱えようとする人は、心が窮屈な人。
溜め込もうと桶に入れようとする人は、欲張りな人。
手からいずれなくなると不安になり、飲んでしまう人は、気付けない人。
そういう人たちは、自分の知らないところで失っていく。
そういう人たちには、ならないように気を付ける。
幸せは水のようで。
ありふれたもの。
得やすいもの。
移ろいゆくもの。
形を変えるもの。
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