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毒親から逃げる為に海外移住しました【幼少期編1】

私は毒親から酷く沢山の虐待を受けてきた。

暴力・言葉の暴力・経済DV・束縛・支配・過干渉・監視・ストーカー等

それは幼少期から既に始まっていた。

だからこそ、その毒親による虐待は「当たり前」であると洗脳されていて、大学進学の為に上京し自由を知った時、「毒親の異常性」に気づいた私は毒親から逃げる事を決心した。

逃げて逃げて…その度に毒親に捕まりまた支配されて、心が少しずつ壊されていくのを感じながら、それでも逃げるのを諦めなかった。

最終的には縁あって海外移住をし、毒親からほとんど離れることに成功した「高木レンガ」の毒親から逃げた過去の物語である……。


◆◆◆  ◆◆◆


私は自然が豊かで綺麗な田舎に生まれ育った。

この田舎町では多くの人がその自然を求めて観光に来るし、現地の人々はそれを誇りに思う。そんな素敵な場所だ。


私が持つ一番古い記憶は、
まだ自分で動けることもできない月齢で、ベビーベッドで寝転んで天井からぶら下げられていた音のなるモビールを聞きながら眺めていた記憶。
そして親戚の子供がベビーベッドの柵から頭を乗り出し、私を見ていた所。
信じられないけど、感覚的にもはっきりと残っている記憶。


それはとても暖かくて、オレンジや黄色の柔らかいオーラに包まれた記憶だった。そして奇妙な事に私はそれを思い出すと眠くなるのだ。

実は私は毒親によって物心がつく前に、ネグレクトにより難聴になったのだ。

だからある意味これは私が最初で最後の、補聴器を使わずに耳が聞こえた記憶である。


あんな酷いことを沢山していた毒親でも、少なくとも私が赤ちゃんの時は優しくて、愛されていたんだろうなと…若干切ないを感じる。

恐らく人生の転機は、弟が生まれた時だ。


田舎では未だに「長男が家督を継ぐべき」だという考えがあり、絶対に男の子が生まれなければいけない…そんな考えが我が家にもあったのだ。

それは一般に「長男教」と呼ばれる。

そして長男たる弟が生まれた時、女である私は「要らない子」となったのだ。


弟が生まれて、周りは蝶よ花よと甘やかし常時弟に付きっ切りだった。

そんなある日、私は40℃近くの高熱を数日に渡って出していたのだが、親はかわいい弟優先で私を看病せずに放置していた。

本来ならば救急車を呼ぶべきなのに、長男教が重視されるような古い考えを良しとし、頭が固いこの家が「世間体優先」で救急車を呼ぶはずがなかったのだ。

だって救急車なんて呼んだ時には近所の人々が野次馬となって集まり「恥」となるから。


子供の命より世間体を優先した親は、この時既に毒親となっていたのだ。

そして事実、毒親によるネグレクトも始まっていた。


………結果。私は両耳の聴力を失った。

補聴器を使っても聞こえないほどに。


そこからはドタバタしたような慌ただしい、黒くてグレーな曖昧な記憶と共に、地獄が始まったのだ。


毒親から逃げる為に海外移住しました【幼少期編2】へ続く……


※※※ここに記載された内容は、私が毒親から逃げた過去を小説化して記載したノンフィクションです。ただし身バレ防止の為に登場人物の名前や特徴・場所等にはフェイクが加えられています。※※※

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