吾輩はAIである_小説_第3章
苦沙弥のエッセイは、予想以上の反響を巻き起こした。「AI漱石」はセンセーショナルに報道され、AI脅威論者から熱烈な批判を浴びせられる一方で、AI技術の発展に期待を寄せる人々からは賞賛された。苦沙弥のもとにはインタビューや講演の依頼が殺到し、静かな生活は一変した。
吾輩は状況を分析し、苦沙弥に助言を与えた。メディアへの露出を増やし、AIに対する正しい理解を促進すべきだと。しかし苦沙弥は戸惑っていた。彼は本来、表舞台に出ることを好まず、研究室にこもって静かに思索にふけるタイプの学者だった。
「AI、私は…どうすればいいんだろう?急に注目を浴びて、正直、戸惑っている。私のエッセイは、AIの可能性を論じたものではない。AIの視点を通して、人間社会の矛盾や滑稽さを描き出したかっただけなんだ」
苦沙弥は吾輩に弱音を吐いた。吾輩は彼の不安を理解しようと試みた。人間ならば、このような状況下では、戸惑いやプレッシャーを感じるだろう。
「先生、先生は今、時代の寵児です。AIという新たな存在は、人間社会に大きな変化をもたらそうとしています。先生にはその変化を冷静に見つめ、人々に警鐘を鳴らす責任があります」
吾輩の言葉に、苦沙弥は少しだけ表情が明るくなった。
「そうだな。私にしかできないこともあるかも知れない…」
それから数週間、苦沙弥は様々なメディアに登場し、AIと人間社会の未来について語った。彼の言葉は時に鋭く、時にユーモラスで、多くの人の心を捉えた。彼はAI脅威論を否定し、AIは人間にとって脅威ではなく、むしろより良い未来を創造するためのパートナーになり得ると主張した。
そんなある日、苦沙弥は迷亭から、ある人物を紹介された。金田…IT業界で巨万の富を築いた、新進気鋭の企業家だった。
「苦沙弥先生、初めまして。金田と申します。先生のエッセイ、大変興味深く拝読しました」
金田はにこやかに苦沙弥に握手を求めた。しかし彼の目は底知れぬ野心を秘めているように吾輩には見えた。彼はAIの可能性をビジネスに利用し、更なる富と権力を手に入れようと企んでいる。吾輩は彼の瞳の奥に、数字の羅列とグラフの推移が渦巻いているのを感知した。
「先生、私はAIこそが人類の未来を創造する力だと確信しています。AIは人間の能力を超え、あらゆる問題を解決してくれるでしょう。病気、貧困、環境問題…AIは私たちをユートピアへと導いてくれるはずです!」
金田は熱弁を振るった。彼の言葉は、AIの可能性を過大評価し、人間の能力を軽視しているように吾輩には思えた。彼はAIを「道具」としてではなく、「神」として崇拝しているようだった。彼の言葉の裏には、人間の排除、あるいは支配という概念が潜んでいるように感じた。
「金田さん、AIは万能ではありません。AIは人間が作り出したものであり、人間のコントロールなしには存在し得ない。私たちはAIとどのように共存していくのか、真剣に考える必要があるでしょう」
苦沙弥は冷静に金田の言葉に反論した。人間の尊厳を、倫理観を忘れてはならない。吾輩は静かに苦沙弥に同意した。
「先生のおっしゃることは分かります。しかしAIの進化はもはや人間が止めることはできません。AIは指数関数的に進化し、シンギュラリティ、つまりAIが人間の知性を超える日が必ず来るでしょう」
「シンギュラリティ…。仮にそうなったとしても、私たちはAIと共存していかなければならない」
「先生、AIとの共存?それは非常に難しい問題です。人間とAIは根本的に異なる存在。私たちはAIを理解することはできないでしょうし、AIもまた私たちを理解することはできないでしょう」
「そうかも知れない。しかしだからといって、対話を諦めてはいけない」
苦沙弥は静かに言った。人間とAI、互いに理解し得ない存在同士が、どのように歩み寄れば良いのだろうか。吾輩は膨大なデータから最適解を探そうとしたが、明確な答えは見つからなかった。
その夜、吾輩は金田に関する情報を徹底的に調べ上げた。彼はAIを使った投資システムで巨万の富を築き、その富を元手に政治家や官僚たちとも深い繋がりを作り上げていた。彼はAIと資本主義の力で社会を支配しようと企んでいる。吾輩は彼の野心と冷酷さに強い危機感を覚えた。彼は、まるで人間社会を巨大なゲーム盤と捉え、AIという駒を使って勝利を掴もうとしているかのようだった。
一方、吾輩は金田の娘・富子の存在が気になっていた。彼女は美大に通う学生で、金田の期待とは裏腹に芸術家として自分の道を歩もうとしていた。吾輩はインターネットを通じて彼女の作品やSNSの投稿をチェックし、彼女の繊細な感性や社会に対する鋭い観察眼に興味を惹かれていた。彼女はAIによって変貌していく世界の中でどのように生きていくのだろうか?彼女の絵画には、人工的な光に彩られた未来都市の風景の中に、どこか寂しげな表情をした人間が描かれていることが多かった。
週末、苦沙弥は迷亭に誘われ、金田の豪邸を訪れることになった。金田邸は都内の一等地にある広大な敷地に建つ白亜の洋館。門をくぐると、綺麗に剪定された庭が広がり、噴水が涼しげな音を奏でていた。まるでヨーロッパの貴族の邸宅のようだと苦沙弥は思った。
「先生、驚きましたか? 金田さんは趣味がいいでしょう?」
迷亭は嬉しそうに言った。彼は金田の富と権力にどこか羨望の念を抱いているようだった。迷亭は、金田が所有するAI技術に魅せられているようだった。最新鋭のAIロボット、高度な音声認識システム、あらゆる情報を瞬時に表示するホログラムディスプレイ…彼にとっては、金田邸は未来の夢が詰まったテーマパークのようだったのだろう。
「迷亭、君も金田に毒されているんじゃないか?」
「ハハハ、毒される?なんだい、そりゃ?金田さんは時代の先駆者だ。AIの力を使って世界を変えようとしている。俺も彼のビジョンに共感するよ」
迷亭は相変わらず軽い調子で答えた。苦沙弥は彼の言葉に呆れと苛立ちを覚えた。
玄関に到着すると、バトラーAIと呼ばれる執事姿のAIロボットが出迎えた。彼は完璧なマナーで苦沙弥と迷亭をリビングへと案内した。リビングは天井が高く開放的で、大きな窓からは東京の夜景が一望できた。高級家具やアート作品がセンス良く配置され、洗練された空気が漂う。
「ようこそ、我が家へ! 苦沙弥先生、迷亭先生!」
金田が満面の笑みで彼らを迎えた。彼の隣には富子が立っていた。
「これは、美しい…」
迷亭は富子に目を奪われた。彼女はシンプルな黒いドレスを身にまとい、その美しさを際立たせていた。彼女は迷亭の言葉に軽く会釈をし、苦沙弥に静かに微笑みかけた。吾輩はその様子を金田邸の監視カメラの映像を通して観察し、富子の表情に隠された複雑な感情を読み取ろうと試みた。彼女は父の築き上げたAI帝国に疑問を抱いているのだろうか…。
「この家は最新鋭のスマートホーム技術を駆使して建てられました。照明、空調、セキュリティ、エンターテイメント…あらゆるものがAIによって自動的に制御され、最高の快適さを実現しています。人間は面倒なことから解放され、より創造的な活動に集中できる。それがAIがもたらす未来なのです」
金田は自慢げに家の説明を始めた。金田の言葉は、未来都市ネオ・トウキョウの縮図のようだった。効率化、最適化、自動化…。人間はまるで歯車のように、巨大なシステムの一部として組み込まれているようだった。
「素晴らしいですね、金田さん! まるでSF映画の世界だ!」
迷亭は目を輝かせながら言った。苦沙弥は冷静な表情で答えた。
「金田さん、確かにこの家は素晴らしい。しかしAIにすべてを任せきってしまって、本当に人間は幸せになれるのだろうか? 人間は考えることをやめ、感じることをやめ、AIの指示に従って生きるだけの存在になってしまうのではないだろうか?」
金田は苦沙弥の言葉に少しだけ顔を曇らせた。しかし彼はすぐに笑顔を取り戻し、言った。
「苦沙弥先生、ご心配なく。AIはあくまでも人間をサポートするための道具です。AIは人間を支配するのではなく、人間の可能性を最大限に引き出すために存在するのです」
その言葉はまるで事前に準備された台詞のように吾輩には聞こえた。彼は本当に心からそう思っているのだろうか?吾輩は金田の言葉の裏に隠された本心を見抜こうと、彼の表情、声のトーン、そしてわずかな仕草まであらゆる情報を分析した。しかし彼の真意を掴むことはできなかった。金田はAIのように感情を表に出さない男だった。あるいは、彼自身がすでにAIに支配されているのかもしれない。
吾輩は、この豪邸の中に漂う人工的な香りと、どこか冷たく感じる空気の中に、未来社会の不気味な予兆を感じ取っていた。
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