見出し画像

さようなら、お花のお家


私、生まれてから今まで10回ほど引っ越したことがある。本当に幼かった頃の記憶にある「初めての家」は、3才から6才くらいまでの幼少期に住んだ、田舎でも都会でも無い街の住宅街。小さな平屋の賃貸だった。私はそこで父と母と、五個上の兄と4人で暮らしていた。そこは賃貸にしては立派な庭が付いていて、いつも庭中綺麗に花が咲いていたのをよく覚えている。というのも、父はとにかくマメで、庭いじりが趣味だった。春になるとチューリップの赤や黄色、ピンクに、むらさき、マーガレットの白や薄ピンク、ガーベラのオレンジ色など。そこここに明るい花の澄んだ景色が広がっていて、あの頃の私は世間のことなど何も知らず、そうして花や緑や光と対峙して話をしていたのだと思う。そうやって魔法のような明るい世界を生み出してくれるのが父で、いつもジーンズにユニクロのチェックシャツ、麦わら帽子を被るお父さんの姿が大好きだった。(父は現在、畑が趣味だ。)

近所には似たような平屋の賃貸が沢山並んでいたし、いくつか新しい住宅もあったと思う。その中には、私と同じくらいの子供がわんさかいて遊び相手に困ることはなかった。とにかく「ご近所付き合い」というものが暖かく、今よりも人肌が心地よかった時代なのだ。今のような核家族化も進む前で、どの家庭も兄弟が多く、祖父母と同居する家庭も多かったように思う。

当時、自分の家から50メートル先の家に住む「みーくん」は私の一番の幼なじみだった。そしてみーくんのお兄ちゃんの「ヒロくん」は今も親戚みたいに親しく、私の結婚式には家族席で参列してもらったほどだ。この「みーくん&ヒロくん」の兄弟は幼き頃の私にとって、欠かせない存在だった。みーくんのお家にはじぃちゃんが住んでいて、じぃちゃんは見事な頑固祖父でハゲで歯がほとんどなかったのだが話は面白かった。よく幼い私と一緒にこたつに入り、みかんを剥いてくれた。みーくんのじいちゃんが亡くなった時は、真っ黒の服を着た大人がみんな俯いて、それが少し怖かったり、このままもうじぃちゃんに会えないとなんて思うこともできぬまま、見様見真似で手を合わせたのを覚えている。

そんな家のみーくんは、私と同い年だったからどこにいくにも一緒に遊んでいた。みーくんはヤンチャすぎて、運動神経も桁外れ。当時、わずか4歳ながらいきなり乗った自転車に補助輪無しで乗りこなした瞬間には驚いた。スポーツ万能キャラだった。対してお兄ちゃんのヒロくんはおっとり。私にも、とろけるほど優しかった。ただそんなヒロくんも、テレビゲームの時間になると画面に熱中しすぎて。よく一緒にゲームへ参加していたうちの父に対して「このクソ野郎!ふざけんな!」と荒ぶるセリフが出てしまうところが、ウケた。今でもそれはテッパンのネタになっている。

彼ら、「みーくん&ヒロくん」の他にも。近所には仲間がいた。角をふたつ曲がったところに同い年のルナちゃんがいたし、もう少し先にはカッコよくて王子様みたいだったトオルくんと、カケルくん」という兄弟がいた。それに後から引っ越してきたのはルイとユイという小さな男女の兄妹。歳の差はみな五つ六つ平気であったものの、集まって何時間でも遊んだ。「そろそろご飯だよー」と母が呼びに来るまで。かくれんぼや、ケードロ、缶蹴りや、ローラースケート、お姫様ごっこやボンバーマン。雨の日にはトランプもしたし、ドラえもんの鑑賞会もした。その頃の私の記憶は熱い。何もかも、楽しかったのだ。怖いことなどなかった。きっとまだ、自分の良さも悪さもわからず毎日は自由だったのだろう。楽しいことを楽しいと。悲しいことを悲しいと、なりふり構わず言えたのだと思う。



話は逸れるが、いわゆる「ママ友」界隈のような慎重なシーンでも。あの頃はどの家の母同士も仲が良く、特に1番の幼なじみ「みーくん&ヒロくん」のお母さん、「赤木さん」は印象に残っている。赤木さんは私にいつも優しくて、困った時には本当のお母さんみたいにお世話をしてくれた。ご飯もトイレもお散歩も赤木さんとなら、買い物にだっていけた。いつも朝ごはんを食べ終えると私の家に来て、母と世間話をしていた。けど、私が大人になってから知ったのは赤木さんはあの頃シングルマザーで、いつしか他の男の人を求めて飛んだらしい。「お母さん」をやめて逃げてしまったってこと。幼なじみだったみーくんはグレてしまい数十年後、酒の勢いに負け犯罪で逮捕された。そうして家族はお兄ちゃんのヒロくんだけになったんだ。ヒロくんは今も寂しそうに私たち家族の家に遊びにくる。年末年始もよく一緒に過ごしている。ヒロくんはもう35歳。いつかヒロくんが幸せになる日まで、私たちは親戚のように大切に大切に彼を見守るだろう。誰も何も言わない。でも、どこかで約束しているように思う。

そうして過ごしたあの家。
私が6歳の時に引っ越すことになった。あの花の香りが広がるお庭とも、大好きだった幼なじみたちともお別れとなった。私たち家族は少し遠くの知らない土地に移り住んだ。それから家族4人でまた別の場所に引っ越したり、兄だけが一人暮らしで上京したり、兄が帰ってきたら交代で私が上京したり、戻ってきて私が結婚して家を出たり。家族は今もくっついたり離れたり、おばあちゃんが同居して、孫が産まれて、人が減ったり増えたりしている。

そんな中。つい最近、私の記憶が熱かった、あのちいさな平屋を訪れたんだ。仕事で近くを通りかかり、興味本位でふらっと車を回してみたのだった。大好きだった幼なじみ、親しくしてくれた大人たち、みんなが住んでいたあの住宅街。恐る恐る。ゆっくり車で進んでみると今は庭先や路地で遊んでいる子供なんかいなくて、妙に静かだった。どの家も黙っていた。わかってはいたんだけど、残念ながらもうあの頃の活気はないように思えた。それにあの頃私が、蝶々を追いかけて過ごしていた明るいあの花の庭は、何も植っていなくて無機質だった。当たり前だけど、今は誰かが住んでいた。
景色はすごく小さく見えて、家を囲っていたブロック塀も、みんなが駆けて行った路地も、なにもかも。街はとてもとても、小さく見えた。
私は大人になっていた。大人になるたびに、沢山のことを知って、沢山のことを失って、沢山のことを忘れて。でもたまに思い出す記憶を持って大人になった。あの頃の懐かしさと寂しさを抱えて、私は大人に戻りハンドルを握った。
さようなら、お花のお庭。
さようなら、みんな。
さようなら、あの頃のわたし。



この記事が参加している募集

ふるさとを語ろう

今週の振り返り

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?