「私のSNS」と、「偶然の作り方」
Twitterを開いてみたら、「待ってました」と言わんばかりに、ぞろぞろと情報がやってきた。
画面には初めに、女優の広瀬アリスさんが「時代劇の撮影を終えた。」という本人のつぶやきがあった。それから
「立川志らくさんがジャニーズに対して、擁護の発言をした」というワイドショーの切り抜き動画→「池に飛び込み、前歯が割れた。」という知らん男性のつぶやき→「朝、起きたら右腕に力が入らない」というプロレスラーの呟き→山田涼介の恋愛観についての賞賛ツイート→障害者女性に卵と小麦粉を投げつける少年四人の写真の炎上ツイート。
と、こんな感じだった。どれもこれも、私の人生には殆ど関係ないと思った。知らん男の前歯がどうなっても知らんし、プロレスラーだの、最後の写真に関してはただ胸が痛くなっただけだった。
だけど人類が開発してしまった文明のおかげで、話題になっているニュースだからと私の携帯に流れてくる。お節介なAIが、「お前も気になるだろ?」と言ってるのだ。
こうして私は見る気がないどうでもいい情報に囲まれるのだが、ここで出会う情報はすべて「偶然」ではなく、Twitter社の意図である。
「有益な情報を与え、利用者の関心を引き出し、また利用してもらう。」これがTwitter社の意図で、私はマヌケで格好の餌食だ。
それから、今度はInstagramを開いた。するとTwitterよりは良かったけど、中身は同じ。
初めに「同期の先生がイベントを終えた報告写真」が流れ、知人ネイリストさんによる「ネイリスト募集」の告知→友人の愛犬による、ドッグラン映像→生徒さんと、娘さんのツーショット→会ったことのない、遠方のヨガ講師と、愛犬トイプードル。
という感じで大切な人たちが、ひとまず平和に今日を送ったというところだった。犬も、親子も、お仕事も、素敵でよかった。
だが、ここでも「お節介なAI」が、ご丁寧に情報操作してくるのだ。Instagram社は、私と仲が良さそうな人の情報から順番に与えてくるのである。「お前は、こいつらの平和が知りたいのよね」と言わんばかり。そうして私のInstagramは、大切な人しか現れなくなり、「こどもと犬」の癒し動画や、「美しい風景動画」くらいしか出てこないようになって。それでいいのだけど、まんまと四六時中Instagramと過ごす、餌食パート2のマヌケが私だ。
それで最後に、TikTokを開いてみた。私はTikTokを開く時だけは、ある程度「脳が麻痺すること」を覚悟している。時間感覚がおかしくなってしまうので、画面の現在時刻をしっかり確認しておく。タイマーをかけるくらいじゃないと、抜けられなくなるからだ。TikTokは現代人の「脳を壊す代表選手」。それは何故かって、信じられないくらい「AIがお節介」だからね。
と言うわけで、心を構えてトラップに踏み込むと、初めに流れてきたのは「キッチンの排水溝の掃除術」。それから次に、スラムダンクの山王戦ラストシーン→ディズニーシーのエルサの早着替え→スラムダンクの山王戦《漫画版》エース沢北の逆襲→平野紫耀の天然エピソード
と。こうして、お節介AIは、私がスラムダンクの最終巻にハマっていることも知っているし、うちの排水溝が詰まりやすいことも熟知していて。さらには心のどこかで平野紫耀くんが好きなことも当ててるのだ。そうして偶然のように見せかけ、餌を与えてくる。
ここまで読んでお気づきだろうか?
こうして私の世界はSNSによって、どんどん縮められるのだ。広くなるように見えて、好きなものだけに絞られて、話題のニュースにだけ反応するようになって、視野はどんどん狭くなる。価値判断はどんどん浅くなる。
だから私は街に出るんだ。ネットで買いたいものがあっても、店に出向くことが多い。それに、ご飯屋さんにも行くし、お水を汲んでくれる店が好き。服も店で買う。店員さんと話したい。それに、中でも本屋さんが一番好き。そこには、信じられないほど「偶然」が落ちているからだよ。買おうとしていた目的の本ではなく、ふと目に止まった一冊の本で、人生が変わったりする。
自分が見たいものだけを見せてくれる、お節介AIの元で暮らしていたらきっと。
「偶然」は起きない。運命は動かない。
スマホを置いて、街に出よう。
探しに行こう、偶然と言う名の運命。
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