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大人の落とし穴


「信じて疑わなかったこと」が、ひっくり返る瞬間がある。学んできたことが全部、「嘘だった」なんてこともある。良かれと思っていたことが、迷惑だったりもする。わたしが見たもの、聞いたこと、信じてきたものが全て、
「正解」だとは限らないのだ。それなのに人は何故か、「自分は正しい」と思い込んでいる。そうして皆んな、都合の良いフィルターをかけて、この世界を生きているんだ。とっても自分勝手に生きているんだ。

そして例えば、そんな大人が
どこかでなにかを、間違えた時。
気づきの場面は訪れる。

そこで自らの反省や、情けなさを超えて、
「私が間違っていました」と言えるだろうか?
「もう一度、教えてください」と言えるだろうか?私はそんな、「素直さ」こそ成長の糧になるんじゃないかと思うんだ。

けれども成熟した大人ほど、「教えてください」と言えないもの。「ごめんなさい」と言わないもの。自分があっていると思い込んでいるもんだから。自分のフィルターで生きているもんだから。これまで生きてきた自分を壊したくなくて、守ってしまうもんだから。だね

私はそんな風に、「自分を壊すことが怖い」とは思わないし。学ぶことをやめて、保身に走る大人たちを見ると、「勿体無い」と思うんだ。大人だからって、まだまだ知らないことはあるじゃん。見たこともない世界があるじゃん。聞いたこともない世界があるじゃん。なのにどうして、自分の未熟さを怖がるのだろうかと。

人間みんな未熟なのにな。


どんなに歳を重ねたって。
今日の自分は、人生の最年少で、自分史上いちばんの未熟者だよ。一生、謙虚でなくてはならないことを、忘れてはいけないだろう。

自分が勝手に信じてきたこと、それは
いつでも、ひっくり返る可能性があるんだよ。
だから私がこのエッセイを書いた翌日に、
真逆のことを教わるかもしれない。
明日には真逆のことを書くかもしれない。
それでもいいんだよ。
真実はいつでも生まれ変わるのだから。ね

学ぶ姿勢こそ、老化ではなく、進化を促す。
学びを始めれば、人はいつからでも魅力的な人間になれるんじゃないかな。学びを続ければ、いつまでも成長できるんじゃないかな。

今からでも大丈夫。いつからでも大丈夫。
自分自身に生まれ変われ。

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