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金曜日の夜に


金曜日の夜。自分の胸に問う。
暮らしに、「悲しみ」が生まれたことはあったかい?ちくちくと刺さる言葉があったかい?モヤモヤと苦しむことがあったかい?

すると、私の心が傷むのは決まって、自分が自分に大事にされていない時だった。

真面目で愛想良く、完璧で。それでいて仕事ができて、スタイルが良くて、我慢強く。さらには人付き合いがうまく、愛されることを正義とした反面。本当の自分は情けなくて、頑固で、我が強く、意地っ張りですぐ泣いていた。嫉妬心が強く、体力が弱く、ダラダラしたくて。そんな「みっともない自分」は「悪」だとして隠して来た。

だが、はて。みっともないとは?

本来、
みっともないこそ、人間の良さである。
みっともないこそ、私の良さである。
みっともないを認めた瞬間にこそ、
個性が開花するのではないか?それこそ魂が喜ぶ瞬間。純なエネルギーの放出。そんな風に感じた。

人間は皆、自分が持つエネルギーを放出したがっている。エネルギーとは「個性」のことだろう。

ある人には、人を癒す力がある。
ある人には、人を育てる力がある。
ある人には、作る力がある。
ある人には、競う力がある。
ある人には、継続力がある。
ある人には、包容力がある。
ある人は、歌を歌い
ある人は、楽器を弾く。
ある人には、静寂があり
ある人には、爆発があるのだ。
それを私たち日本人は押さえつけ、前に習え。謙虚という、鎖をつけろと言ってきたのだろう。そうして私も自分のエネルギーを抑え込んできたんだ。時に自らのエネルギーを諦め自信を喪失したし、自らのエネルギーを投げ出し、人生に失望してきた。

本当は、ただただ自分の純なエネルギーを放出したかっただけだったと気付いた。そして押さえ込んできたのは結局、世間に加担した「自分」であったと。

そうして自分への「裏切り」が生まれ、自分と自分とのあいだにある溝が、深まるほど人は違和感を抱く。消失感や悲しみ、妬み、傷つき、モヤモヤと「心に毒」を貯めるのだろう。


金曜日の夜に思う。
嘘のないみっともない「個性」が開き、輝き、放たれる時。本当の意味で、自分は幸せを見つけるのかもしれない。「毒」から解放されるのかもしれない。それが仕事になったら最高よね。何度だってやり直したらそこがスタート。ゆっくり休んでまた、月曜日。
一週間、おつかれさまでした。

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