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管理栄養士を目指したきっかけ。それを続けていくこと!

こんにちは 管理栄養士のerikaです。

今日は母の日。

祝う立場でもあり祝われる立場でもあります。

有難いことに実母、義母とも元気で、今年も感謝の気持ちを届けました。
娘からはお花と家事解放という、プレゼントをもらい、ご機嫌な気分です。

娘からのお花とお昼ご飯🔻

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息子のカレンダーには「母の日」はないのが例年なので、こちらからLINEでビデオ電話しました。
「今日何の日か知ってる?」
「えー?……こどもの日の次や!!」
「こどもの後は、ほれっ!ほら〜」
「あー母の日」
「言うセリフがあるでしょっ」…わくわく
「はぁなんだっけ。トリックアトリートじゃないし(笑)」

まったくもう!おバカ息子め。

母の日権(そんなものないけど)使って息子に難題依頼です。
最近あまりのかわいさにはじめた『鬼滅の刃折り紙』ですが、私の好きなキャラがYouTubeの作り方動画にない!
「ちょっと作り方考えてくれない?」

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「アカザをこんな風に折りたいから何とかして!」
折り紙が得意な彼なら何とかしてくれるはずです!

さて、やっと本題。

管理栄養士を目指したきっかけはナポリタン!

この職業を目指したきっかけ、
それは、母が飲食店経営者だったから。

シンプルに言えば、飲食を生業とする環境に育ったこと、それが理由です。


『昭和のナポリタン』、鉄板に乗ったあれ。
あの時代に家庭では鉄板に盛りつけて食べることはほとんどありませんでしたよね。
中学時代、夏休みだったと思うのですが、昼時も過ぎてお客さんがひいたため、お店の留守番を頼まれました。
「足りない食材を買いに行ってくるから、その間店番してて、すぐ帰るから!」と。
「お客さん来たら困る‼︎」
そう断りましたが、
「ちょっとの間だから、注文だけ聞いといてくれればいい」と言われて、渋々了解。
母が出かけた直後
お客さんが…。

注文は『ナポリタン』

帰宅待ちの時間が長いったら。
帰ってこない!
お客さんがちらちらとこちらをみて、誰もいない厨房を見ています。
待ち時間が刻々と過ぎていきます。
困った、
困りました。
困り果ててとった行動が…



……今思えば、
「外出中で遅くなります。すいません。」
そう一言断れば良かっただけです。

でも、私は違う選択をしてしまいました。
厨房のカーテンを閉めて、調理開始‼️
おーい⁈ですよね。
ナポリタンを仕上げ、しれっと
「お待たせしました」

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そして、料金までいただいたのです。
その人、気がついていたのでしょうね。
満面の笑顔で
「おもしろい喫茶店だね!」
私、
どきーっ‼️
冷や汗、冷や汗、冷や汗。

その後は、留守番の時は店を閉める!もしくは私が買いに走る!ことにしたことは言うまでもありません。

昭和のナポリタン事件、これが初めて私が「食」で人さまからお金をいただいた経験です。
粋な方だったことに感謝しなくちゃいけません。この事件、私の中で『成功体験』として刻まれたんです。
こうして、食べることに関わる仕事をしようと思うようになりました。

でも、この話からだと調理師、飲食店経営者になりたいと思うのが自然ですよね。

なぜ調理師や喫茶店経営者じゃなくて管理栄養士なのか

昭和の喫茶店メニューを思い浮かべて欲しいです。
ナポリタン、オムライス、焼きそば、カレーライス、ホットケーキ、ハンバーグ定食、ミックスサンド、味噌カツ定食。
クリームソーダ、コーラ、プリンにアイスクリーム。
あの頃のメニューの野菜といえば、かさ増し要員千切りキャベツ!
炭水化物まつり、揚げ物まつり、炭酸まつり、甘いものまつりで野菜不足。
ぽっちゃりが気になる思春期に、ダイエットに興味を持って情報収集する中で、日常の自分の食生活がバランス食からかけ離れた食生活であったことを知るのです。
栄養教諭も存在していなくて、健康情報もさほどなく食べたいものを食べたいだけ食べていた私にとって、健康に食べる為の情報は衝撃であり、またすごく魅力的な内容でした。

着々と栄養おたく化していく

食べ物のカロリー、油は1g 9kcal、炭水化物は1g4kcal、たんぱく質1g4kcal、それを知ってすぐにオイルオフ生活を始めました。
思春期のオイルオフはお勧めできないことを知るのはかなり後。
この時はカロリーが高い油は敵だと思っていました。
食べることが好きだけど、好きなものを好きなだけ食べていたら、太るし肌は荒れるし、成人病になって早死にしそう、それでは楽しいはずの食がしあわせに繋がらないことを知って、私の食生活はどんどん変化していきました。
栄養に関するテレビ番組をチェック、お料理本をお小遣いで購入、シンプルな煮しめに憧れて料理。
まあ、そんな中でも甘いものへの欲望は変わることがなかったんですけどね♪

管理栄養士という職業を知らなかった

高校生になり進路を決める頃、担任に調理の専門学校に行きたいと話しました。
養護教諭は料理しないし、家庭科の先生にはなりたいとは思っていなくて。
「健康に食べることを教えるような料理の先生になりたい」
そんな話をしたら、担任から
「おまえ、調理の専門学校じゃなれないぞ。それは栄養士だ。」
そんな指摘が返ってきたのです。
町の病院にいらしたかもしれませんが、関わる機会がまったくなかったので、栄養士という職業で生活していけることを知りませんでした。
家政学科は花嫁修行の場所だと思っていたんです。

この日まで千切りキャベツや大根のかつらむき、きゅうりの輪切りを練習していた私。
目指すは栄養士!と短期大学に進学することに決め受験勉強を開始しました。
高校2年生の進路相談でようやく目指すところが、ぼんやり見えたのです。

まぁ、受験勉強はよく間に合いましたよね。

受験勉強始めるのが遅かったから、担任の先生がかなり心配してくれてたのを覚えてます。
合格できて良かったです♪

卒業時、栄養士の免許を取得し、育った町の保健センターに初の栄養士として就職後、実務経験を2年積んで管理栄養士になり今があります。

その後は 出産、子育て、死産、嫁ぎ先の自営業廃業や、交通事故や手術などいろいろなことが関連して、行政、老健、特養、病院、と職場は結構変わりましたね。
でもずっと管理栄養士として働き続けられていることに感謝してます。

この職業の魅力と難しさ

食は育った環境や背景、味覚や生き方、経済状況や料理のスキルや健康状態など、100人いれば100通り。
関わった人をサポートするために、自分は足りてないことばかり。でもだからこそ、この職業に飽きることはないのです。






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