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それは、本当に考えているのだろうか

なんとなく思っているけど、深く考えてない。そんなコトは多くあると思う。そもそも「思う」と「考える」ってのは全然違う。

あー、自分も何か新しいことを始めたいな。とか
いつかハワイに行きたいなーとか。新しいPC欲しいなとか。
心が反応して、思っていることが「思う」ことだろう。それは直感的で、感情や経験に基づく主観的な心の反応だろう。

そこからさらに思考のアクセルを踏み込んで奥まで進めてみる。
何に興味があったっけ?なにが面白そうかな?こんなの向いてるかもな。とか。
ハワイに行くためには、ここで有給取ってスケジュール確保しよう。チケット代がいくらで、ホテルはここ。全員のスケジュールを考えたらこの時期に決めよう。とか。
Macってair?pro?いや、winの方が慣れてるしコスパ良くない?いや、やっぱりこのPCで今は十分かな。とか。
いろんな情報を収集して、分析して、結論を出すってことが「考える」ことなのでは。思考を行動させる、起動させるっていうイメージに近いのかな。

違う角度から見てみよう。雄大な自然を見て綺麗だと思う。夏にひまわりを見て綺麗だと思う。自分は確かにこの2つを綺麗だと思った。その気持ちは間違いではない。
でもそれは果たしてそれは正しいのだろうか?自然も花も綺麗だと感じない人もいるかもしれない。ではなぜ綺麗だと思わないのだろうか?自分は何が綺麗だと思ったのだろうか?
この思考プロセスは価値観の話でもある。でも思ったことを起点に考え始めている。
「自然が綺麗」なのか、「自分が綺麗だと思ってしまった」のか。
綺麗だと思ったのは確かだ。でも「自然=美しい」というこの事実はすぐに説明できない。今はそう思った真実を信じ、自信を持って価値観を形成していくのが現代には必要だと思う。
だって花を見て綺麗だと思ったり、自然を見て感動したりする方が人生は楽しいじゃないか。
ちなみに真実と事実の違いはこんな感じではないだろうか。

事実→ 本当にそう。事実は一つだけ
真実→ 本当にそう思っている。人の数だけ真実がある。

そんなことを頭でぐるぐるさせることが考えることなのではないだろうか。
実際に行動できないで悩んでいる人も多いと思うが、頭の中で忙しなく思考していることも行動と呼べるのではないか。考えているんだもの。