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page 1『 曖昧な色の落とし物 』 ノンフィクション 

どうやら私は、落とし物をしてしまった。
それは曖昧な色をしている、とても大切なモノ。

落としたのはいつのことだったのだろう。
もう今となってははっきりとは分からないが、
おそらく10年程前、あの頃だ。

第1章 「 対称的な一歩 」

 あの頃を思い返すと、私の病気「強迫性障害(不潔恐怖)」は静かにその姿を現し始め、暴れる時を今か今かと待っていたように思う。
そしておそらく「曖昧な色をした大切なモノ」も私から離れていくための準備をしていた頃なのだろう。

あの頃というのは、出産から5ヶ月程が経過した
私がママになってまだ間もない頃のことである。

それは、半ば当然のように私の元へとやって来た。目には見えないはずの菌がなんとなく気になり始めたのだ。

埃や汚れを発見したというわけでもないのに、自宅のフローリングが汚いのではないかと不安に思うようになった。
 床拭きした方がいいかな...

外出時には、持参するものができた。
 消毒用のアルコールジェル、持って行こう。

病院に行けばドアノブや椅子、ごみ箱やトイレが汚らしい物のように感じることもあった。
 できるだけ、触りたくない。座りたくない。

地面に物を落としてしまった時は、落とした物を拭きたくなるようなこともあった。
 そもそも、地面ってきれいではないよね...?

私は少しずつ、そんなふうに感じるようになっていった。

今迄は気づくことさえなかったことだ。気にもしないし、考えもしない。何とも思わなかったことが、急に私の頭の中に浮かぶようになったのだ。
そして、どうしても頭から離れない。

大丈夫かな?これでいいのかな?
何だか汚そう... 

こんな思いが私の中でぐるぐる回り、でも結局のところ一向に答えは出ないような感覚が続いていく。あの頃はそんなふうに思うようになった感覚を、まだ違和感だとも感じてはいなかった。
このふわっと自然に湧き上がってくるような漠然とした不安は、私の頭の中に潜り込むのがとても得意だったに違いない。

しかしこれは「病気の始まりのサイン」だった。

そのサインが現れる直前のことだ。
私達家族(夫•息子5ヶ月•私)は夫の仕事の都合で転勤となり、当時住んでいた場所から車で6時間程離れた土地へと引っ越しをすることとなった。

 結婚後、私達夫婦はお互いの実家からも近い距離のところに家を借りのんびりとした日々を送っていた。
 子供が生まれてからも、気軽に行き来のできるとても恵まれた環境にあり、具合の悪い時には急遽助けに来てもらうこともあった。しかし、これから先の環境は大きく変わってしまう。
 たしかに、気軽に会うのは難しくなることへの残念な思いはあったが、新しい生活にはどこか胸を弾ませていた私だった。
見知らぬ土地でのこれからの生活は、私にとって多少の不安と期待とが混ざり合う形でのスタートだったわけである。

年明けすぐの1月のこと。私達はまだ幼い5ヶ月の息子を連れ、600キロ離れた転勤先へと引っ越しをした。

その直後のことだった。
多少の不安とそして、期待に胸を膨らませていたはずの新しい生活は「不安と緊張、プレッシャーの塊」と化したのである。
ここから先の私は悩み事ばかりを抱えることとなるが、同時に「シンプル×ミニマルな暮らし」への第一歩を踏み出したとも言えるのだろう。

病気への一歩、そしてシンプルライフへの一歩である。

 きっと、地域の違いもあるのだろう。見知らぬ土地の1月の冷え込みはいつもより大分厳しく感じられる。
会社から借りた一戸建ての家は広く、とてつもなくがらんとしている上に寒いのだ。それだけで私は寂しさを感じてしまっているようだ。
 仕事が忙しい夫は朝早くに出社し、夜遅く帰宅する生活を送る。家事も育児も専業主婦の私がひとりでこなすしかない。引っ越し直後の息子と私は、家の中でほぼ2人だけの世界を過ごしていた。リビングの大きな窓から広がる外の景色は、何日経っても見慣れないものだった。

 そんな日々が淡々と続いていく。息子は私の心の支えだったが、反対に広い一戸建ての家はどんどん私の負担となっていった。今まではマンションに住んでいたため2Fはなかったのだ。新しいこの家は広すぎて段差も多い。これでは息子から目を離すのが怖くてまともに2Fへ行く時間等とれそうもなく、部屋には手付かずのまだ片付けられていない段ボールが山積みとなったままだ。
 使用していない2Fの部屋とトイレの掃除や戸締りの多さ、シャッターの開閉、ウッドデッキや庭の手入れ、木の伐採...やらなければならないことが次から次へと毎日溜まっていく。
そこは私にとって、今までとは違うことだらけの世界だった。

 引っ越し直後の私は、家とスーパーの間の道しか分からない。歩いて行けるところなど周りにはほぼないのだった。
 帰り道に散歩と称し他の道を通れば、家は遠くに見えてはいるのに道は通じていないのだ。歩いている人など誰もいない。なかなか家まで辿り着けない状況に不安を感じた私はベビーカーを押し、迷路のように入り組んだ道を泣きそうになりながら、足早に戻る。ベビーカーですやすやと眠る息子の寝顔を見て、私は少し安心感を取り戻していた。まだ小さな彼の存在は、とても大きいものとなっていた。

 ある日、急遽病院に行かなければ...という事態になり、タクシーを呼ぼうと私は電話をかけた。
夫は車で会社に行っている。私は運転はしていない。
すぐに電話は繋がりひと安心したのも束の間、今は近くにはいないと言う。それはどこのタクシー会社に電話しても同じだった。
「4台しかないもので全車出払っており、今から頑張って手配しても早くて1時間はかかるかと...」
「そうですか...わかりました。諦めます。
ありがとうございました」
タクシーは諦め、バスの時刻表を調べる。

えっ?1時間に1本?
それでは診察は終了してしまっているではないか

ここは車社会だった。
1人に1台があたりまえの世界。
引っ越し前の環境とは、明らかに勝手が違っていた。

もう、どうしたらいいの...

 そんな気持ちの連続だった。次第に私は強い不安感を覚えるようになっていく。新米ママの私は育児にも自信がなく、余裕もない。不安感は増す一方だ。
 そんな矢先、ほぼ外には出ていない息子がA型インフルエンザにかかってしまった。

私の育児のやり方、何か間違っているのかも...
つらい思いをさせてごめんね。

真っ赤な顔をしてぐったりしている息子を病院へ連れて行き、5ヶ月でも飲めるからとタミフルを処方してもらったものの...
「本当に飲ませて大丈夫かな?」
「高熱で頭おかしくなってしまうのでは?」
「水分が摂れない。脱水症状にならない?」
「息、してるよね?」
次から次へともうどうしようもなく、不安が私を襲ってくる。

何かあったらどうしよう

その後も息子は、体調を崩すことの連続だった。
それは夫も私も同様に...家族皆、体調不良が頻繁に起こるようになっていく。
 そうやって通院を重ねていた時のこと
「あれ?」
病院のドアノブと椅子が汚く思えてきてしまうのである。

だってよく考えたら、病院は具合が悪い人達が行くところ。みんなも具合が悪いから来ているんだよね。
なんだか...「触りたくない」「座りたくない」

 あの時は友達も知り合いと呼べる人さえも、誰も近くにはいなかった。携帯すら見る気にもなれず、放置していた。毎日がいっぱいいっぱいだったのだ。誰かに相談することや甘えて助けてもらうこともせず、コミュニケーションを私は避けていた。

もし2人だけの時に、
この子に何かあったらどうしよう。
どうしたらいいの?
私がしっかりしなくちゃいけない!
助けてもらえないのだから


そんな考え方しかできなかった。
私は引っ越し早々、自分に対し過度なプレッシャーを与え続けてしまったのだろう。

そしてその後も強い不安の中、常に気を張りプレッシャーに押し潰されそうになりながら、私は家事と育児をなんとかこなす日々を繰り返していた。
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