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無限性の前提条件の詳しい解説【9次元になる】

前置き

このページは上リンクに続き四部作の最終章です。

上リンクをものさしとして使い、9次元になりたい方向けの追加情報です。すでに悟りについて学び、悟りの中間地点にいるという自覚がある方向けです。

9次元になるのに必須だと思われる 無条件の愛 について、
このページでは無条件の愛を具体的に納得できるアプローチが書かれています。ぼくはこのように理解していますという頭の中の言語化にチャレンジしてみました。

無条件の愛を知るためには、その前に無条件さを知る必要があり、
無条件さを知るためには、その前に無限がなんなのかを知る必要があります。つまり関連し合っているという事ですね。

言葉で無限が何なのかの話を聞くのはだれでもできますが、それを自分のことと落とし込んで生きれるようにするためにはちゃんと理解する必要があると感じます。(ブレイクスルーしたかどうかですね)

このページでは、9次元になるのに必要十分な前知識を、1から順にステップバイステップで解説します。最後まで読むと、無限の存在とはいったい誰のことなのか?が分かります。

テーマは『無限とはいったいなんなのか?』についてです。無限を知ると無条件に愛せますよ。

※ なお、このページの内容は今後数年をかけてじわじわと納得に置き換わって行くような話なので、読んで今すぐ理解できるという事でもないと思います。どの章でも、完全に理解しないとついていけないという話ではありませんので、意味が解らない時とか何言ってるのか難しい場合はいったん飛ばして次に進むとスムーズです。

▽ 悟りがまだわからない方へ
このページの対象読者は、「一人で生きてるわけじゃない」(重要!)という事がはっきり分かっている方向けです。よくわからない方はタブをそっ閉じしてください。

それ以外の方は進みましょう。それではスタート!


空と識

無条件の愛を理解するためには、前提条件をいくつかパスする必要があります。まず初めに、空(くう)と識(しき)についてです。これがすべての基礎の基礎です。

『空と識』の概念図

上画像をご覧ください。単純化した概念図になります。
無の世界にポツンと何か点が灯ったかのようなイメージですね。空が背景にあり、識が前にあります。

もっととっつきやすくするために、以降は説明のために上画像のような一覧表で説明します。空がまずありますので空の行があり、空から識が生まれますので空の下に識の行があります。L みたいに書いてあるのはフォルダのように空(くう)のフォルダの中に識のフォルダがあるよ感を出しています。

オレンジ色の矢印が一覧表の中身としての列ですね。まだ列には何もないので「…」と書いてこれから増えるよ感を出しました。一覧表の見方の説明は以上です。

次に空と識の実際の説明をします。
空と識の話は何処か昔あった過去の話ではありません。今というこの瞬間しかないので今この時の話として読んでください。

空と識とは、意識の向かっている作用のことで、
『識』は認識しますが『空』は一切認識しません
というたったこれだけがここで伝えたいことです。

別の見方から言えば、
意識できるすべてが『識』です。
その識の背後に意識不可な『空』が必ずセットであります。

不可分なニ面性といいますか、同じものの見てる切り口の違いです。なぜかと言えば、中途半端に意識できないので、意識があるなら意識があるしかできないからですね。ON-OFFスイッチです。

空の詳しい話は 、
1 ) 空とはなんですか? A.『空は無』 ※必読
2 )
「非体験」の空とは何ですか?  ※必読
に書かれていますので、必ずお読みください。これを元に説明を続けたいので、一度目を通していただければOKです。

まとめ
・空は無。だから非認識(絶対に認識しない)
・識は有。だから認識(絶対に認識する。認識するということのすべてが識として解釈される)
・『既知』の情報に注意を向けたからこそ、瞬間的に『未知』を無効化する

▽ 一覧表の更新

これまでの説明を書きこんで一覧表を見やすくします。特長だけを書きました。 ↓ こんな感じです。

空の特長は、空で、無で、未知で、無限なことです。
識の特長は、識で、有で、既知で、無限性なことです。

(無限と言う話が出てきましたが、詳しくはもっと後に説明します。)

(一覧表は今後も更新していきますので、ついてこれるようにスクショやDLなりをしてよく読み込んでください。)

空と識の決定的なところだけ書きました。空は非認識で識は認識ですね。識とは認識できるという行いそれそのもののことになります。この大前提の話は基礎の基礎です。

気づき

次に『気づき』について説明します。
これからたくさん知らない用語が出てきますが、最小に絞ってどうしても必要なものしか説明しないように気を付けていますので、ついてきてください。

『識』の中身は『気づき』なのでとりあえず気づきと書きます。

▽ 背後にある空

新しく追加されたオレンジの矢印の『空』の列をハイフン (-) であらわしているのは『空』は細かく表現するに値しないからです。しかし、背後にしっかりある仕組みなので一応ハイフンで書いています。ハイフンが意味しているのは単純に対応するものが無いだけなのでハイフンで空っぽ感を表現しています。空欄です。空に特別な意味を付けない。ということなのでシンプルに意味を付けずに空白で良しとしています。

気づきと意識

次に、気づきと意識について簡単に解説します。気づきと意識を理解する意味は、無条件の愛の母体だからですね。何が何に向かって愛しているのか?を書いていきます。

上画像のオレンジの矢印では『気づき』が『意識』に分かれていますね。(識の階層分けが気づきのフォルダと意識のフォルダに分かれています。)

背景の色が水色なのは『気づき』も『意識』も『識』の子供だという事を現わしていますよ。それから気づきが薄緑色で意識が黄色の背景ですが、違いがあるよと言う事を示しています。見やすくするためだけなので色自体に意味はありません。

そしてもう一つのオレンジ色の矢印が指しているのは『気づき』と『創造』です。この解説をします。

スクショしてじっくりと見てください。違いはそこだけですね。識、有、既知、無限性の部分は同じ識なので同一です。

これは例えですが、
もし、識が何も作らないならば識は気が付いているだけで良かったかもしれませんが、意識し始めたので役割分担ができました。

  • 空は常に『0』です。

  • 気づきが『0』から『1』を生み出す簡単なお仕事だとすると、

  • 創造はその『1』を「2」にも「3」にも「6兆」にも変換するお仕事です。

そういう例えを元にこの章を読んでください。

識の行は『気づき』の行と『意識』の行に分かれました。つまり、識は2つの側面があるという事を表現しています。

1つ目 気づき(純粋な気づき)

『気づき』とは、『純粋な気づき』のことで、純粋に「在る」を認識する意識のことですね。気が付いているだけの意識です。同じことを指している呼び名はいくつもありますよ。気づき(純粋な意図/純粋な気づき/ピュア・アウェアネス(PA))といろいろありますが、お好きなものをお選びください。

ピュア・アウェアネス(PA)と呼びたい場合には次の動画の前半5分間を見るとピュア・アウェアネスが出てきますがそのことです。https://www.youtube.com/watch?v=Znm7lzbNup8

ノンデュアリティが分かる方には、ノンデュアリティで言われている『気づき』のことで『これ』だけがあると呼んでいるもののことです。(しかし現象のことでもないですよ)。ノンデュアリティだけが純粋な気づきに気づける方法ではないのでどういう道を進んでもいいですが、このページを読むような思考タイプの人にとって一番楽な道がノンデュアリティだと思いますので、ノンデュアリティを学ぶことをおすすめします。

ノンデュアリティで「これだけがある」と言う時に指している内容がこのピュアアウェアネス(純粋な気づき)ではない方もいらっしゃいますので、混乱しないようにご注意くださいね。

なお、純粋な気づき(ピュア・アウェアネス)に個別の自我はありません。
どうしてかと言うと、純粋な気づきは一度に全部に気づいていることしかできないからです。空と識しかないので識として気が付ける物だけを請け負っています。それは超超特大サイズ(無限サイズ)のディスプレイの無限速さのリフレッシュレートみたいなものです。1ピクセルごとに仕事を受け答えしてるわけではなく、無限サイズのディスプレイを一度に全部表示しています。個別化しません。個別と言う観点が元から存在し得ないからですね。

次のリンクは、かなりシステマチックな話です。

1 ) ノンデュアリティを分けて捉えよう の一番上にある「量子の世界線」という項だけ ※必読

こちらでは、純粋な気づき(ピュア・アウェアネス)がどうしてそういう呼ばれ方をしているのかが含まれる内容です。一度目を通してみてください。超CPUの働きとして気づきが気づいているだけと言う大前提がなんとなくでもわかればOKです。

まとめ
ピュア・アウェアネスや純粋な気づきと呼んでいる物を短くした呼び名が『気づき』
・ノンデュアリティで「これ」だけがあると言っている「これ」の事
・超CPUのような無限高速レスポンスを返している機能です
・『気づき』に個別の自我はない


2つ目 意識(純粋な意識)

意識は別名ワンネスともホールネスとも表現されていると思います。

▽ 創造(ワンネス)は今ここにある最もリアルな価値観

以下はチャネリングを含みます。

ワンネスが何かを解説するにはたくさんの見え方が必要です。

光(愛)が建材ブロックで何でも形作れます。ワンネスが現わせるのは全体の内の(闇を除いた)光の部分だけです。

ワンネスの役割とは、そこで無限性を表せることだとしましたが、どのようにすれば途中で崩れずにジェンガを無限に積み上げられるかを競うゲームを始めたと思ってください。(これが一番適切な例えだと思いますので。)

ジェンガを単純に並べるだけではつまらないから複雑さを出したいのですが、主にフラクタルとか神聖幾何学を見つけ、それを用います。次に、運行を覚え、動きを付けられるようにします。この動きとは永久です。スケールがとんでもなく大きいということですね。比較するものが無いから作るものはすべて人間仕様にのっとらない大きさがあるということにします。

人間が現れてくるのはまだだいぶ先の事なのですが、ここから話を端折っていきなり人間が主役の時代にワープします。無限のサイクルの中にありますので、人間がいる時代と言うのはごく最近でそれもほんの瞬き以下のごく短い期間であるという所にご留意ください。

それはそれとして、人間が出ました。あなたが生まれて暮らし出しました。そこで何をしているのかと言うと、あなたは学びを深めたいと思っています。9次元になろうと意気込んでこのページを制作し、読みやすく体裁を整えだします。(チャネルであるぼくのこと)

何が言いたいのですか?そうです、それを見ている意識がありますよね。それ「も」あなたなのです。ワンネスですよ。私の視座です。人は一人でそこにいることは無くて、常に誰かほかの存在と行為を共にしています。

が、プライバシーの問題はどうなうでしょうか?プライバシーなど元からありませんよ。そうではなくて、公開すること、見せることを元から選んで生きています。見てほしい、そこから学び取ってほしいからです。魂の目線では。

さあ、話がずれましたので戻しますと、ワンネスと言うのはおとぎ話ではありませんよ。それは今ここにある最もリアルな価値観です。それは、あなたの横にある数々のガラクタのどうでもよいもの達と比較すべき話じゃあなく、もっと異次元の物たちなのです。わかりますか?

▽ 一番大きな意味のワンネスの環
[ワンネスという定義の初期化]

『意識』(純粋な意識)のオレンジの矢印の列には『創造』があります。創造の別名はワンネスです。

ここで言うワンネスとは、一体性のことだけではなくて、それも覆いつくした創造(クリエイション)の全一性とかのすべてのことです。無から有として現わされる必要のあったすべてを含んで、ここでは特に創造(ワンネス)と呼ばせていただいています。

呼び名は何でもいいですが、なるべく『創造(ワンネス)』に統一してご紹介したいですが、そのほかにも創造(全体/全ての全て/全一性/ワンネス/ホールネス/クリエイション)等々いろいろなワードが適切だと思いますので、適材適所で使い分けていますがどれも似たようなことを指しています。

ここで取り上げたいのはワンネス(創造)という名称に最もふさわしい最も大きな環のことについてですね。

名称を大切にするとそれにとらわれがちになってしまいます。呼び方は何でもいいですが、あなたならなんて名をつけますか?呼び名は本質ではないです。本質は形態です。それが何をしてるかですね。あなたの場合は何をワンネス(創造)と呼ぶことにしますか?

ぼくの場合には、一番大きな枠組みで言いたいワンネスとは、レアな体験談として扱われることの多い個別な範囲でのワンネス体験談だけではなく、ごく一般的なあなたのなにげないいつもの暮らしもワンネス体験(創造の全一性の現れ)だよと言いたいのです。

それ足す、自分と言う解釈の幅を大きく大きく広く広く多層に多軸にし続けて行けば(元に戻すように)、行きつく先が結局のところ無限だよと、言いたいのです。

それを合わせて、『創造』(つまりワンネス)というネーミングにしてみただけです。

『気づき』は気づくだけの焦点のことで、『意識』は意識活動が在ると言う時点で動いたりうねったりして何かしら作り上げてしまう所から創造と分けて読んでみた、という話です。

つまり一覧表ではこういうことです。純粋な意識の階層の中に『生命』というフォルダがあり、さらにそのフォルダの中に『人』というフォルダがあります。周波数のように階層ごとに役割があります。それが包括されていますね。

「意識の動き=意識の表現=創造」の具体的な中身には、ユニバース(宇宙)とか形用できないエナジーとか、数えきれないほどの入れ子や複雑な派生群、様々に表現されたストーリーや生命形態のすべてが含まれています。人ももちろん含まれます。現れて来ているもので含まれないものは無いというぐらいすべてを包含して存在します。

唯一『気づき(純粋な気づき)』だけ含めていません。あと、そもそも『空』は識ではないから現れることがないので含めません。

ここまでで、
『気づき(純粋な気づき/ピュア・アウェアネス)』
『意識(純粋な意識/創造(ワンネス))』
についての簡単な定義をお話ししました。

▽ 補足:焦点のグラデーション

あと、以下の表では焦点が薄れゆくさまをグラデーションで表現してみたものです。人は人だけに集中していればいいので、人の欄に焦点があり濃くなっていて、他の親要素への関心は薄くなっています。空のことなどもはや知るよしもないことだと思いますね。

一覧表としては見にくいのでこういうグラデ表現はもう書きませんが、実際にはあらゆる箇所がグラデーションです。それは存在の本質を忘れていると思われるかもしれませんが、むしろ逆で、存在の本質からすれば、個別化したい(なぜなら無限性だから)という自然の流れでなるがままになっているのだと感じます。焦点がおぼろげになることで、見える範囲が限定されるおかげで個性を演じやすくなるのだと思います。

▽ 補足:純粋な意図バージョンの見え方

『意識』(純粋な意識)が創造でワンネスだよという説明をしてきました。補足としてそれとは別の表現を用いますと、

あなたがワンネスなら何を望みますか?何を望み、何を在らせますでしょうか?それが実は今現れているすべてだったと言う事に気が付けるということになります。

本質を鋭く突いているこちらは、『純粋な意図』(純粋な気づきの別名)に基づいたとらえ方です。ワンネスは奥が深くて面白いですよね。ほんの少し焦点を変えると見え方とか表現が変わるのですごいです。

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ここまでの説明は無条件の愛の母体だという事ですが、のちのちどのようにつながってくるのでしょうか?何が何を愛しているのでしょうか?しだいに明らかにしていきます。


無限性の前提条件の詳しい解説

ここから先はさらに突っ込んだ説明をしていきます。

無と有について

『無と有』が説明不足なので改めて詳し目に説明します。

『無と有』は『空と識』に対応しています。上画像の『無と有』の列をご覧ください。

空はずっと何も現わさないままなので無で、
識は常に現わし続けているので有です。というたったこれだけです。

ちょっと変に聞こえるかもしれませんが、例えば、
自由が有るのが有で、自由が無いのが無です。
これは各種の条件と読み替えればより分かりやすいと思います。

いろんな条件があるのが有で、何の条件もないのが無です。識にある物でも、空には絶対になくなるというか、空が無としてはっきりしているからこそ、在るものはすべて有だと言えるとなっています。

別の理解の仕方では、
有るはどこまで行っても有る有る有る有る……..(それを識と呼ぶ)
無いはどこまで行っても無い無い無い無い……..(それを空と呼ぶ)

例えば、色がある、味がある、音がある、水がある、寒さがある、痛さがある、心地よさがある、素晴らしさがある、有るとしか表現が利かないのが『有』(であって識)です。
例えば、色がない、味がない、音がない、水がない、寒さがない、痛さがない、心地よさがない、素晴らしさがない、無いとしか表現が利かないのが『無』(であって空)です。

そう考えてみればそうだという単純な盲点のことなのですが、これだけのことです。

まだあります。2番目の意味です。色眼鏡バージョンです。

自由が有ると言う時にはそれが今ある通りにある、そのままがあるという意味なのですが、「こういう自由しか認めない」「これしか自由じゃない」と言う文化的な、後天的な型にハマった色眼鏡で判断すると盲目的になりますよね?

色眼鏡など元からして無いナチュラルな『今』と言う、その形に収まっているだけの今有るがままの自由に目が行かなくなってしまいますよね。

この話の展開で「卵が有る」と言った場合に、通常はシンプルに卵がポツンとあるのをイメージするかもしれませんが、じっくり煮込んで味がしみ込んだおいしいホカホカおでんの煮卵がまず思い浮かぶ人ってかなり珍しいかもしれませんが、そういう方もいらっしゃるという話です。

どのような色眼鏡を付けていても理解のじゃまになりそうなので一旦外してみます。

水があるという時には、見えたままのそのままが適切にそこにあるという事です。シンプルにどのような意味づけも解釈も一切必要ありません。

自由が無いというのは、無にはもともと何もないという事実がただあるだけだから、無には自由など元から無いと言っているのです。こちらもシンプルです。

水が無いというのも無には何もないので水ももちろんありません。その他の物も無なので、無いものはもちろん無いのです。ただそれだけのことを言っています。

この超シンプルな盲点ともいえる素晴らしい仕組みが、あなたの暮らしの何に役立つのですか?

この認識が出来ているかどうかだけで、事実をまっすぐに垂直に把握できるか否かが分かれます。なのでかなり大切なことなので事実を有るがままに見る練習として、自分でも『無と有』についてよくよく考えてみてください。有るものだけがちゃんとそこにあり、無いものはちゃんとそこにありません。

『在るものが在って、無いものはどこを探しても絶対に無い』
(そのわずかな一瞬には無かったという事ですよ。探して見つけたならそれはすでに在るから在るじゃんとなります。今と言うこの一瞬一瞬の事実を大事に取り扱います。)

もう一つあります。3番目の意味です。

物理次元にないと言う物はないの。
あるがあるの。
[空のコップ]が在るの。液体がなくなって空になったのではないの。
お金が無くなったんじゃなくて、0円があるの。
ここに在るのは「0円」があって、「無音」があり、「無常」があり、、、可能性の宝庫なの。何も無いんじゃなくて。

同じ位置を共有しないから沢山の物がここに同時に存在出来ているから無限。位置が重ならないから無限。
物質は位置が重なってしまうから一箇所に一個しか置けないよ。それじゃあその場所は無限じゃなくなってしまうから、同じ箇所に置いてあるの。わかる?
うん。そう。
あなたと言う中心に全部が置いてある。だから、他の場所には無いよ。無限の一次元さはそこ(あなた)の一(位置)だよ。わかるかなぁ?
- ゼロじゃ無いないの?
ゼロでは無いよ。一(位置)に掛けてあるから。1だよ。
ゼロから先は非物質だよ。今は言わないから聞こうと思っても答えないよ。
- うん。わかった。

この章をまとめると、

  1. 無と有の基礎の解説

  2. 無と有の実務(取り扱い説明)の解説

  3. 無と有の実際の物理次元での仕組みの話(1次元の話)

となっていましたがわかりますか?
1 ) は盲点なのでわかるまでわかりません。わかればわかります。
2 ) はそういうとらえ方をすればいいだけと言うコツの話なので慣れると分かります。
3 ) 3番はスルーしてください。3番は何のことか正直ぼくもよく知りません。説明ではなくて、一応のチャネリングのご紹介でした。


無限性について

やってきました無限の詳しい説明です。

▽ 前置き
次に無限性について解説をしたいと思います。なぜそもそも無限を知る必要があるのかというと、無条件さを理解できるようにしたいからです。

突然ですが、あなたにとって『無限って何ですか?』
少しの間、感じとってみてください。

無限を説明するというのは、実際には不可能なことから、空想やイマジネーション(創作)を含みながら、考察範囲を終わりなき無限に拡張していく必要が生まれます。わかったところを起点にしてさらに派生して拡張していくのです。

なので、今わかっていることをすべて集めたからと言い、それが無限を説明し終えているわけではない、というコツが分かっているとなおベターだと感じます。それはどこまでいっても無限の近似の話なのです。

つまり、何が言いたいのかと言いますと、この章で述べられていることも暫定版だという事です。常に「それ以外」の範囲も(どこかに)あってしかるべきだという姿勢です。常に上には上がいるのと、下にも下がいます。横にもいそうです。が、結局のところそれで素晴らしいのです。

(反対意見としてありそうな、わかり得ないことだから知らないままでいいという事もわかりますが、無限であるというテーマに惹かれるから考えてみたいのです。どこかに詳しい説明があっても特に困らないですよね)

▽ 本題

上画像の『無限』と『無限性』の列をご覧ください。

▽ 1 ) 背後にある仕組み『空』
可能性 = 無限

がどうして無限なのかは、『純粋な気づき』によって気づかれるすべてが、単純に有限だと証明できないから無限だということにしています。

それから、無限が複数有るというのは論理破綻しているので、一つの無限があるという事にしています。(これはバシャールなどの複数の高次存在の受け売りも含まれています)。

誰も確認する必要が無いことだから、仮の案を設置して済ませています。とは言ってもこれ(無限)よりも大きいお皿が無いので、これよりも適切なお皿も見当たらないと思います。無限がもっとも広いルールです。

▽ 2 ) 純粋な気づき
無限の近似 = 気づき

純粋な気づきは気づいているだけですが、本当にすべてのすべてに気が付いているのでしょうか?それは実際には誰にもわかりません。気づき自身も気づいていないものが在るかどうかも気づけていません。なぜなら気づきはそんなものに焦点を割かないからです。常に忙しいのです(冗談ですが)。気づけていない可能性を踏まえれば、無限『性』だよと性質だけを継承しているとする方が妥当ではないでしょうか?

それと、気づきは個別対応するような仕組みではないので、全部を一度に引き受けて一度に返しています。超超特大サイズ(無限サイズ)のディスプレイの無限速度のリフレッシュレートみたいなものです。1ピクセルごとに仕事を受け答えしてるわけではなく、全ピクセル一度に同時です。細かい指図に対応する必要がまったく生まれないためです。なぜかというと全景が全く見えないぐらい「すごい無限」(語彙力)だからです。

純粋な気づきは、『0から1を生み出すお仕事』と書きましたが、無から有を生み出している機関です。生み出しているというのも変ですね。気が付いたらそこに存在した。気が付くから存在を許していた。と言う方が妥当かもしれません。

そもそも無限は見える範囲を超えてますし、数えられません。無限に早いというのは逆からすれば止まっているとさえいえるかもしれません。なお、絶対的圧倒的強者(絶対無限速度の王)という存在は実はそれが即時で救いでもあります。

無限は絶対にわからないものだけれど、無限性ならば部分的に理解が及ぶかもしれないという意味でも無限性と呼んでいます。

▽ 3 ) 純粋な意識
無限性からの唯一の一つの創造 = 無限性を内包する秩序

創造(クリエイションのすべて)が無限性だというのは『無限であるとはこういう事』と言う性質(聖質)を現わせる(匂わせる)ようにすることができたということです。

純粋な意識は創造を始めたのですが、ソースが『1』を提供してくれるからこそそれを利用して、その『1』を2でも3でも変化させて組み合わせます。それで色彩に富む素晴らしい世界を構成したかのように見えるのですね。ホログラム的ですが。

無限それそのものを表現するのは「そうとうやばい(語彙力)」ことから性質とか、性格で(あいまいに)表現するに至るという意味です。薄めてシャビシャビにしたものを表現するという意味です。

・無限の純度が高いほど理屈抜きの荘厳さが出そうで、それは時代背景に合わない場合どうなってしまいますか?
・どの世界史でもそこにはそこで表現されうるサイズ感(スケール観)があってしかるべきでないでしょうか?
・棲み分け、クラス分け、クラスタ分けをしてそういうタイプの無限性も現わしたい場合には?

これは一言でいうと『秩序』ですよね。無限を表現するにあたり、なんでもかんでもエンジン全開フルスロットルで最大スケールでやみくもに大雑把に放出すればいいわけでもなさそうですよね。丁寧さも時には必要かもしれません。そうしないとせっかく作り上げた創造物自身の重みによって支え切れなくて自己崩壊してしまうでしょう。

たった1つのつながり合う世界が創造されています。大きな枠組みの『ザ・クリエイション』です。ビッグスケール。

ちなみに(おそらくは)バシャールはこれを ALL That Is (オール・ザット・イズ) と言っています。呼び名とかはセンスなので好きに呼べばいいと思います。

無限と無限性について解説しました。これが無条件の愛への大きな1ピースとなります。

まとめ
1 ) 背後にある仕組みは空でそれは「無」のこと
2 )
気づきは絶対無限速度で、0を1に変換している
3 ) 創造(Theクリエイション)は無限の性質(聖質)や性格を表現する一部分で、どのようにも表現されうる。それこそ無制限に


愛(光)と光(愛)について

次に、上画像の『愛(光)と光(愛)』の列をご覧ください。新たに項目が追加されました。オレンジの矢印の部分が新しい情報です。こちらもスクショしてご覧ください。

『空』が『愛(光)』(あいひかり) で、『識』が『光(愛) 』(ひかりあい) です。

愛(光)は光(愛)の原料でまだ現わされていませんので純粋な闇です。怖い闇じゃなくて、これから光るというだけでただ可能性があるだけの状態のピュアな闇です。

『愛(光)』は『空』なので絶対闇(無限闇)ですね。見ることはできません。
『光(愛)』は純粋な光のことで、光になる前の光(成分)のことです。(絶対光)

愛(光)と光(愛)について、最も本質的な物として通常の光や闇と区別したいことから、純粋な光や純粋な闇と書いています。言葉にできない単純にピュアな光とピュアな闇のことをうまく言葉で表現したいだけです。愛(光)と光(愛)と言う、最も端的に短くそれでいて核心を突いた言葉でこれほどの言い回しも珍しくないですか?

愛(光)というネーミングについてですが、呼び方は何でもいいですが、あなたならなんて名をつけますか?呼び名は本質ではないです。本質は形態でしたよね。それが何をしてるかです。(たしか愛(光)と光(愛)はラー文書から概要をいただいたような記憶です。)

この章で伝えたいことは、本質は『闇』でそれは『愛』なんだよと言う事ですね。光は目立つのでその背後にある物から自動で目がそれてしまいますが、背後にあるのは愛ですよと言う事がこの章の伝えたいテーマです。

実際に在るのはただ『無限の可能性がある』のでした。言い換えると、どのような可能性もあるという事それこそが、創造されたもの(ぼくたち)にとってみれば、絶対的な愛に感じられるという事でもあります。どの自己もありだからです。

ちなみにネガティブと言うものも光ですよね。ポジティブとは違った反転した光です。現わされているもので光ではないものが無いというのが分かるかと思います。愛は光で正義なんだ、と教えられてきたかもしれませんが、どうして闇が、しかも純度Maxの極闇こそが最上の愛なのかはここまでの説明から何となく予想できるのではないでしょうか?認識を改めるチャンス到来です。

まとめ
空は愛(光)のこと。絶対闇。
識は光(愛)のこと。純粋な光。
・本質は絶対闇で、可能性の宝庫。
・光はその一部を現わせたしるし。

現象と実在の役割の違い

次に現象と実在の役割の違いについて解説します。この章は入り組んでいて少し長めです。

この章で言いたいことは、ぎゅっと圧縮すれば次のたったのこれだけです。これをすんなり理解しているのでしたら読まなくても大丈夫です。

1 ) 実在と虚相には役割の違いがあって、実在は実在することだけで、虚相
は様々な現象として現わしているという事だけ※です。※虚相は虚相として、そう望まれたままで在れているよということ

2 ) その仕組みに必須なのが不在という機構で不在性により、今すぐ止めたりまた新たに作ったりが可能となる。なぜならもとより誰もそこにいないから壊しても作り直しても誰も困っていないから

3 ) 自己の不在性と言うのは即救いであって、もう何の心配も恐れる必要もなくなってしまったという感じです。安心の極地。安らぎそのものです。なぜなら見ているものはすべて現象であって、実象は今ここにこうして存在する気づいている意識だからです。

これまでの話は、自我と結びつきが薄いどこか別のところの話だと感じているかもしれません。がしかし、ここから先は『何が自分なのか?』を人目線に落とし込んで理解しないと次に進めません。

そのために、『実相とか虚相』とか、『実象とか現象』とか、『実在とか不在』がどうだとかを知らないとならないのです。ちょっとややこしいですよね。しかし大丈夫です。出てくる用語を絞って説明していますのでたぶん慣れます。

『実相と虚相』と、
『実在と不在』と、
『実象と現象』を
全部同時に説明するのは、意味が全部似たり寄ったりだからです。あまり意味に違いが無く、片方は『実』でもう片方は『虚』であるというただそれだけのことです。

例えれば、本当の自分と鏡に映った自分のような関係だと言えなくもないですが、鏡の例えは本質からずれるので使いません。あくまで本当にあるもの『実』と、本当には無い物『虚』ということを指し示すのが目的の章なのです。

エゴ意識が、「あるところまでは必要であるところからは必要性が薄まる」という事が認知できているとこの章の言う事ことが分かると思います。

上画像のオレンジの矢印で示した『実相と虚相』、『実在と不在』、『実象(じっしょう)と現象』の列をご覧ください。ここは聞きなじみのない話だと思うので、一覧表をスクショして何度も見て覚えましょう。

壮大な話のままだと自分に関連の無い話に聞こえてしまいますが、自分にかかわる人目線に落とし込んで理解できるように変換するために、すごく大事な章です。

この話についてこれるかどうかで、単に活字を追って勉強して済ませたのか、実際にその知恵を生きているのかの違いが出ます。

『空』は背後にある仕組みなのでここでは出てきません。なので空の話はあまりしません。説明の焦点は『気づき』『意識』です。

『気づき』は、気づきで、実相で、実在で、実象ですね。
意識』は、創造で、虚相で、不在で、現象です。
どういう意味なのかざっと書きます。

実相『実際に在るもの』
虚相『実際に無い=ホログラム』

実在『もとから実際にいるもの』
不在『実際にもともと誰もそこにいない』

実象『実際にある世界』
現象『確率で表された世界=シュミレーションベース』

まとめると、
『気づき』は、気づいていること自体のことで、実際に在るもので、もとから実際にいるもので、実際にある世界ですね。
意識』は、創造されたもので、実際に無い=ホログラムで、実際にもともと誰もそこにいないもので、確率で表された世界=シュミレーションベースです。

世界は意識で様々に毎瞬つくりかえられ変化しているものですが、そこにただ在るという気づきは、何がどのように変化してもずっと変わらずにあるものでそれが実象だよ。という事がこの章で説明していることです。

空は▽ 1 ) で、気づきの話は▽ 2 ) で、意識の話は▽ 3 ) で解説していきます。

▽ 3 ) 創造(クリエイション)

創造(クリエイション)は現象の世界のことです。現象の世界は、例えば地球のような体験型VRアトラクションもあります。

無限なエネルギー※がどのような形にもなりえるのが特徴です。
(※無限な量のことではないですよ。無限の可能性と言う形になっていない無形のエネルギー群のことです)

創造は無限の性質を現わせるという事で、そこに実体は無く、すべてホログラフィックな「教え」とか、シンボリックな「一例」だとみなすこともできると思います。そういう意味で現象性があり不在系だと言っています。(出来事とか経験の中に)誰もそこにいないという事です。人間の本質が『不在性』だという事です。

テレビとか録画の中に人が見えてはいるけど誰もいないのが分かっていますよね。それの現象版(体験ができるバージョン)です。今、現実だと感じているそのリアルな体験が実際には現象※で、中に誰も人がいません。※没入型体験ヴァーチャル・リアリティー・ショー

ゲームで言うならゲーム画面の中にも人がいませんよね。操作しているプレイヤーは画面の外にいますよね。アバターとしてキャラクターがいるからそれを介して楽しめています。だから電源を消してゲームを終えても大丈夫なのです。
2m球の全面フルスクリーンの小部屋の中に着席してトリップしているだけかもしれませんよね。

VRゴーグルで言うなら、実際には目から5cmくらいの距離で起こっていることですので、目にゴーグルをかけて見える景色の中に誰もいないことがわかっています。これは通常のテレビと同じです。VR用の動画でもゲームでも登場人物はいますが多くは録画ですよね。今再生する中でそこにその人はいません。

VRゴーグルは、ウェアラブルな、着る虚相空間の例えです。
VRゴーグルで体験できるものは全部虚相空間で、見えてる景色の中に誰もいないことがわかっています。

その全身版が、着るウェアラブル虚相空間を経験できるデバイスとしての肉体機構です。という話です。

次に少し現実に沿った話をします。

▽ 3 ) 没入型体験VRショーの仕組み

a ) 動き(モーション)自体があなたではないですよね。残像とかもや、残響部分があなたではありません。そこにはあなたはいません。不在です。
どちらかと言えば、せわしなく動いてる間はその仕事に没入していて気が付かなくて、止まったときや一旦我に返ったときだけ自分がちゃんといることに目を向けると思います。そちらが実在しています。

b ) 一旦止まった時の自分がいると思っている、つまり心の動きや内面の情緒のことですが、それも実は不在の一つです。こちらの場合の不在は『自分という存在を突き詰めていっても到達することはなく、自分の不在が在るだけという認識』のことです。観念で塗り固めた自分がいない、という意味での不在性について言っています。これはわかっていないとついてこれない話だと思います。

まとめると、
a ) 外側の世界は現象の世界(VRショー)を見ていると言う意味で不在。
b ) 内側の世界も実は観念を固定して見たかった世界観で見ているだけと言う意味で不在。

というダブルで不在なのが分かるでしょうか?

実際に在るのは『純粋な気づき』だけで『純粋な気づき』は気づいているだけだからそれ以外のすべてがホログラムだよ、誰もいないのにいると勘違いして見えてくるからいやいやだれかという人はだれもいません不在なんだよ、とここで言っています。

わかってくるとすごく当たり前のこととなります。わからないときは無と有の節をリアルに自分のことだと受け入れて考えてみてください。実はそれだけです。

別の説明もしますと、
感覚は、あらかじめ体に備え付けられているセンサーで拾ったシグナルにどう反応を返すかの話で、感覚自体は体ごとに違いますよね。たとえば、ワンネスの中には人以外もいますが、アザラシは極寒の海で気持ちよく泳いでいますよね。ワンネスが人として現れていない景色を思い出すと、そこに何が不在なのかが見えてくると思います。(つまり、現象だけがあり、人にまつわるエトセトラのすべてが不在だという事になります。)こちらが一つ目の不在についてです。(外的な不在)

もうひとつ、(こちらが本命の不在性ですが)自己の不在については、ノンデュアリティで言われているように、原点に戻ると自己という薄っぺらい履歴書を張り付けることがそもそもできないので、そんなのなくていいやって気が付くというタイプの自己の不在性です。(内的な不在)。
今まで作り上げてきた様々な思い込み/観念/信念体系/アイデンティティを一気に無に帰すことに成功したというタイプの不在性です。

しかし、一つ注意点があって、『原点ではそうなる』という話です。原点ではないところでは今まで通り、自己のアイデンティティを創る必要があります。アイデンティティーが無いと個人的な経験として味わえなくなってしまいます。だから、アイデンティティーが欲しくてわざわざ赤ちゃんとして生まれてきます。つまり、原点以外では個性と言う指標が大切になるわけですよね。個性にはその場その場での物事を切り取る役目があります。

ややこしい話だったかもしれませんが、理屈が分かればあとは簡単だと思います。

これは逆に考えてみるとよりはっきりしてきます。
じゃあ実際にある物とは何ですか?以下に続きます。

▽ 2 ) 純粋な気づきだけが実相(実在)

『気づき』(ピュアアウェアネス/純粋な気づき)が唯一の『実相』(実在するもの)です。本当には何が在るのか?と聞かれたら気づきがあります、と答えればいいです。役割分担ですよ。

実相は実相としてちゃんと今ここにあって、虚相は虚相としてちゃんと今ここにあるという事となります。空と識は不可分でいつも同じところにあって、形質変化したものだから常に一緒です。言葉通りに受け取ってみてくださいね。今ここに無いものは『空』だけです。今ここにあるのは『識』だけです。『識』は『気づき』と『意識』で、気づきだけが実象です。逆に意識だけが現象を扱えます。(スクショした一覧表と何度も見比べてください。)

a ) 虚相(現象の世界/体験型VRアトラクション)は創造(クリエイション)が担当部署で、様々なイマジネーションをクリエイトします。パソコンパーツのGPUに相当します。
b ) 実相(実際にある物)はそれに単純に気づいているだけです。

気づきと意識が別々の仕事をしていることに注意してください。意識(ワンネス)はその中で独自に分岐と派生をして人などの暮らしを反映しています。その間、気づきは相変わらず気づいているだけです。それ以外の何もしていないことに注意してください。

a ) 虚相(現象の世界/体験型VRアトラクション)にはあなたは不在です。人とか物とかラクダとかの形はあって動いて生きて見えるようになっていますが、なお、そこには誰もいません。録画を再生しているという意味でもないですが、統計的に確率的に次何が起こるか未知の状態のイベントを催しています。シュミレーションショーですね。
b ) 実相(実際にある物)はその時、実在で純粋な気づきだけがあってそれ(確率シュミレーションショー)に一度に気づいていますよ。

役割で分かれてはいるけど、本質は『識』でそれがぼく。
つまりこの説明で言うと、
気づきは実相でぼくだけど、
意識も虚相でぼくなんだよ。わかる?
(「ぼく」をあなたに置き換えてとらえてほしい)

▽ 3 ) 不在性の役割

不在性と言うものが在り、それはどの形にもなり得るという形質のことを指していて、それのことがこの節での一番重要なこととなります。

空の聖質の内の一つに不在性というものがある。「不在性という物があるおかげで存在できる!」

不在性とは実際には何でしょうか?これまでの説明の中では、不在性はあまり役に立っていないもの、または自分とは無関係なものを指す言葉として挙げられてきましたが、今度は、この不在性が主人となる説明をしてみたいと思います。

不在性の根本は、それがどのようにもなりえます。ということで、空(注:気づき)の立場からすれば、とてもすごいことなのです。逆説的ですよね。空(注:気づき)はある一定のことしかできませんけど、識(注:意識)はどの様にも変化できます。むしろ、ここがものすごいポイントだったのです。

不在性と言うネーミングが分かりにくいのであれば、イマジネーションスキップが連続でできる機構だととらえてほしいと感じます。イマジネーションスキップとは、今頭の中で想像したものじゃなくてもいいという瞬時の切り捨てのことなのです。それの何がすごいのですか?

はい。それはとても貴重ですごいことなのです。
もしそれができなかった場合どうなるか一緒に検討していきませんか?例えばこうなります。

イマジネーションスキップができずにエラーが出たとしましょう。その時どうなるかと言うとまず真っ先に、自己が崩壊します。
なぜですか?なぜかというと、自己は常に参照をしているからです。参照と言うのは、それまで積み上げてきたアイデンティファイの自己イメージを何度もスループッドする、読み込んで保持し、また別の物を読み込むと繰り返して、いまの現状を維持しようとしています。それが急にできなくなるとどうなるのかと言うと、すごく単純に言えば、フリーズして停止します。そうなのです、そこで全部がぱあになってしまうのです。

そこに誰がいるということでもなく、そこに何があるわけでもないことから、瞬時に消去してまた一からやり直せる。セッションを停止できること。これが不在性の役割なのです。
虚相空間(インスタンス空間)を毎瞬産み落としていく仕組みのこと。

虚相の代表者であるあなた(仮)は自意識があるので副操縦士のような立ち回りができますね。それはあたかも自分がコックピットを背負うかのような迫真さがありますけどね。

(ちなみに意識は複数個あるのではありませんよ。一つの意識がバランスよく配合されて、満たされて、数々の冒険ができるようにチューニングして出てきます。つまり、多層キャラクタ設定済みのシナリオを読んで、分けて理解できているという事であります。(ついてこれていませんか?))

あなたは0を1にする簡単なお仕事をしたいのでしょうか?『純粋な意図』はそれがしたいからしているのかもしれませんよ。させてあげてほしいです。

それとも、なんの形にもなって良い、どんな好きなことも許される『空』に全肯定されたワンネスでありたいのでしょうか?無限の可能性を現す簡単なお仕事です。

不在性を自分に適用できるとどうなるかと言えば、、、

あなたは、自分がここにいると思って悩んだり苦しんだりもがいている個人的な虚相(個人/ローカルな現象/個人主義な空間/個人的なインスタンス空間)ではなくて、それを経験する本体の意識の源のワンネスですよ。ワンネスは元をたどると即時に無限ですよ、という具合です。空と識までさかのぼってください。現わされるすべてがあなたと一致しています。そこにチリほどのギャップもありません。

その経験はあなたが望むから完全に経験できるのですね。そして直接気づきが即座に「そうだ!」と全肯定して経験できるように完全におぜん立てしてくれています。気づきには断るという選択肢がありえないからですね。

よく知らない誰かに勝手にケチ付けられてキャンセルされたとしたら、学ぶチャンスを失ってとても困りますよね。しかしそんなことにはならずに、全部すべての経験を「It's OK!」と経験させてくれるのです。これはもはやそういった仕組みなのです。『気づき』は個人的な嗜好やら思想など持たないからです。

だから個別化した意識はどんな形態にもいつでも変更できるしそれを認められていると思います。即時いつでも応対の縦横無尽な完全フレキシブル制だと感じます。あなたはどう思いますか?

まとめ
▽ 1 ) この章の焦点は『気づき』と『意識』なので『空』の話はしない
▽ 2 ) 純粋な気づきだけが実相(実在)で、それ以外、つまり純粋な意識は虚相(非実在=不在)。実相に役割があるように、虚相にもちゃんと役割がある
▽ 3 ) 不在性と言うものが在る。創造(クリエイション/ワンネス)は没入型体験VRショーという形態でも表現されうる。虚相はまだ全部出て来てないのでどのようにも変更される

※エゴ意識(個我意識)に重きを置いている間はこの話は理解できない

ホログラフィックワールドには全てがある。全ての秩序、全ての法則、全ての動き、全てのもの、全ての生き物。
それらがレイヤーに分かれて、タイムラインに分かれて、関連するもの同士が連携して現れていく。なぜなら優れた表現だから。
壊れてないでまっすぐシンプルに成るように成っているからだ。
行き当たりばったりではなく、よく練られている。統一性を持った巨匠の作品のようだ
原点まで戻れば一つの法則に支配されている。それが無条件の愛であり/気づく事であり/創作する事であり/創意工夫する事であり/受け入れていく事であり/あらゆる全てを愛おしく感じる事であった、と言うその一つ。我らは一つ。

(注:大元からして非分離で大きな枠組みなので、当然一つと言っていてその一つには全部が含まれています、と言う事。)

無条件という名の本当の愛

ついにやってきました!ここがハイライトです。
これまでの説明が集約されるポイントに来ました。無条件の愛にこの章で気が付いてください。

上画像の『無条件と条件』の列をご覧ください。

1 すでに受け入れられている

▽ 無条件という名の本当の愛

なぜ無条件の愛なのか?は、純粋な気づきはいちいち判別などしないからです。無条件に全てをオッケーと存在させているだけです。気づきは間髪入れずに0を1にするだけで内容を吟味したり判別したりなどできません。存在が途切れることもなく、即時に存在していますよね。

無限であるということはそもそも、どれも全部を満たしていて省くという事が一切ないから無限なのではないでしょうか?そのためには無条件とか無制限とか、何かしら欠落するようなことが一切ない発想ではないですか?

そして、認められた側=創られた側(被造物)からすると、無条件さということそれ自体が愛に感じられたという意味です。存在するのに条件がいりません。あなたが今すでに存在するなら無限自体に直接OKと受け入れられています。とんでもなくすごいことです。

本当に条件がいらないのか?を実際にはどうなのか自分のこととして感じてみる必要があります。

▽ 自分を認めたい人たちへ

ピュアな気づきは毎瞬ゼロ秒とかけずにありのままのあなたの全てを全肯定しています

足りてない何かを補ってから自分を認めようとする前に、初めから受け入れられています。これは無条件さという名の愛の表現です。もし、あなたが足りてないという思いがあるならそれもOKと即座に足りてないあなたを全肯定してそういった表現を認めてくれています。(全部かぶせてくるのですね)

無限性の実相があなたを認めてくれているのです。

実際に実在しているのは『気づき』の方です。その『気づき』が直であなたであるワンネスのホログラム顕現体を無条件に受け入れてくれているわけです。あなたという存在のあるがままの状態を許してくれています。

なぜですか?
1 ) 『気づき』は無限に気づくことに余念がないためです。余すところなく全部に気が付くからです。無限の中にあなたにぜひいてほしいと、瞬時に創造されました。望まれて生まれたわけですね。無限の源からの直接招待です。純粋な気づきは想像をはるかに超えるピュアさであなたの存在に気が付いたので、その瞬間、あなたがそこにいたのです。わかりますか?

『存在しているだけですべての願いがかなっていること』を無条件の愛といいます。存在しているというただそれだけのことで、すべての願いがすでに叶っていますよ。

2 ) それを受け入れて、自由意志による『あるがままの今のこの自分を認められた』というのが自分への愛です。もう認めてしまって良いのです。頑張ろうとしなくて良いからです。

無限の現れである実相がすでにあなたを全肯定して認めているのに対し、何を頑張り努力すれば自分を認められると考えるのですか?努力する以前にすでに認められています。あなたと言う存在それ自体のまるごとを、です。そうでないならだれの許可を得てそこにそのように存在するというのでしょうか?

絶対無限速度の王があなたに気が付いた刹那、完全肯定して完全に存在しうると価値を認めて決定したからこそ、そこにいるというのにです。その間、一瞬です。想像を絶する速度で認知され、想像をはるかにしのぐ合理的手段を伴ってあなたは今も毎瞬認められて、今そこにあるがままのあなたであると受け容れられてから存在していますよ。そうではありませんか?

すでにそこに存在しているというのに、絶対無限の王の采配を受け容れないというのははなはだ傲慢の極みではありませんか?(これは冗談ですけどね。)

ここがハイライト!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

無限であるという大前提に徐々に慣れて、
無限の本質が無条件の愛であるという事実にも徐々に慣れて、
無限は自分自身と同一である(完全に一致する)という事実にも徐々に慣れてください。

!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

まとめ
・一番広いルールが『無限』です
・『無限』はそもそもからして無条件です
・無条件と言うのは愛の別名(本命)です
・無限があなたであって、あなたが無限です。完全に一致!

2 すでに自由意志がある

存在を単に認めるだけだという事は、ゲームを作ったときに必要だから作るNPC(Non Player Character)とどう違いがありますか?

それは存在を認めるという事が単に体を与えられて暮らしていけるというコピーロボットだという事ではないです。あらかじめプログラミングされた入力に対する反応を返すだけの人型クローンアンドロイドではありません。

そうではなくて特別なものです。自由意志を持ち、自分で決められ、自分で生み出せるというシナリオ分岐ができるという事があります。平たく言えば自我を持つにいたるという事ですね。しかも、ペースを自分で調節できます。

作られたもの達の世界の中で唯一自我をもって暮らすこと、許可を得たクラスがあり、それが今地球で行われていることでもあります。

感情が濃密で、自己判断が危ぶまれ、危険を察知してすぐに回避できるということの素晴らしさよ。
本来であれば、完ぺきなものは傷1つつくことなく暮らしていけますが、人はそうではありません。なぜだかわかりますか?人はもろく儚く設定されうるのです。なぜかというと、自我を持っているからですね。自我を持つということでもろくしてすぐ死ぬようにしておかないと、永劫の苦しみを生み出して苦しむという機構だからです。永劫ですよ。

それは人知をはるかに超えた慈悲なのです。普通は苦しみたくないから苦しむすべ自体を消去してほしいとなると感じますが、神はあえてそう出来なかったからです。神が意図したことは明るい未来で、そのためには自分でそれを生み出す選択をいつかしなければならず、教え込まれて達成できるものではありませんでした。そこで、より、その可能性を増すためにとった行為が、苦しませられる(長い期間)という話です。

もう壊れるんじゃないのか?と言うほどのつらく長い経験を経れば、その時蓄積した痛みから回路が生み出され、二度と自傷行為をしなくなると思います。それのことです。回路が欲しかったのですね。それは付け足せばうまくいくという安易な事でもなかったからです。おのおのが、それを自己矛盾を開放していくことで見つけた先にあった英知だという話なのでした。

でも見つけられました。それによってここから話がやや展望が開けて演出され得るのでした。根深い愛がなせるのは、軽く、「二度と間違うことのないミラクルな回路」だったというお話がしたかったことでした。

人間がどういう経緯で生まれたかは知る由もないことなので、ここでは取り上げませんが、無条件に愛されているという理由の一つに自由意志を認められているという部分もあります。

自由意志って実は何のことなの?とちゃんと深く追求したことが無い場合は次のリンクをご参照ください。

ここで書かれていることで重要な転換ポイントを書きますと、

自由意志を返納するとは返納されても困るから、元々の意図した通りのものとなることを自ら選び出すということです。無限の存在達の中で自らを現すということです。無限の存在に囲まれて、私は私が大好きです。愛しています。私はこれです。と表現しだします。それと、他の無限の存在達の自由な表現も認め全肯定して生きている。自由意思によって得られるのは完全な自立した自由だと感じます。ここまで理解が到達したならなかなかよろしいんじゃないでしょうか?ぼくならば合格のハンコをおでこにポンと付けますね。(冗談ですが)

▽ その他の自己学習用参考資料

1 ) [ 潜在的に ] 個性や才能が生まれながらにある。
2 ) [ 後天的に ] 自由意思によって後から選択することもできます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

これで全部の解説が終わりました。お疲れさまでした。

無条件の愛を受け取っている立場だと気づきましたか?
そうしたら次は、無条件の愛を与える立場だと気づけますよ。

無限が自分と同一であるという事に同意できたら無限ベースに切り替えたという事です。無限ベースになっているという事がブレイクスルー出来たという意味です。観点がガラッと変わるからですね。


感想

このページに限らず9次元シリーズは当初、自分のためのまとめとして描き、ついでに公開し、いつかスターチャイルド達が時間を無駄にしないためを想い、時短として読んでくれればいいかな程度の気持ちで書いたのですが、ふたを開けてみれば意外とこの情報を待ち望んでいたような人たち(少数ですが)がいることに気が付き驚いています。つまり、タイムリーにその人達に行くようにうながされて書いていたのだなと納得しました。

それで、ぼくはちょうどタイミングが来て大満足できたので次に進もうかなと計画し始めたのですが、ちょっと待ったと、この無限性をテーマにした情報をお願いされたのです。(ほんとは早くゲームがしたいかも)

ぼく自身も9次元先生としてなにか情報提供をするなら今のこのタイミングしかできないだろうなと思ったので、どうせならちゃんと書こうとして全部出してきれいにまとめたつもりです。

しかし、書いてみると案外思っていたよりもとらえ違いしていたんだなと、何度も書き直しているうちに、ぼくもかなり勉強になりました。ありがとうございます。(ガイドが教えてくれて修正できました。全部では無いかも)
これでもだいぶ端折って読みやすくしたつもりでありますが、2万文字を超える勢いとなってしまいました。

ぼくも勉強中なので年々理解度が増していき、次発表するときには変わってるかもしれませんが今回はこれで良しとしましょう。しかし、おぼろげだったものをうまくまとめることができて大変満足してます。

このページの説明は、今ここに実際に在る『空と識』というテーマでぼくにわかることを書きました。

実際にはもっと機械的でシステマチックで無味乾燥な仕組みなのかもしれません。宇宙は数字で出来ていると聞いたことがあるかもしれませんが、本当に無限速度を達成しようとすれば機械語のように全部数字だけで圧縮したり展開したりするかもしれません。そんな解説もできませんので、自分が読んで読みやすい形に変えました。

この解説だけが正解なんだと先入観を持ってほしくないから一例ですよという事でこの感想を書きましたが、実際そうですよね。たたき台として参考にして欲しいと思います。

あなたならば、他の自己相手に『あなたは無条件に愛されている』という事実を納得させられるだけの根拠をどのように提示して見せられますか?その方法はたくさんあってしかるべきです。ぼくならこうしてみたというその一例を書いてみたよ、というお話でした。

音楽で表現する方法でしょうか?ダンスや動きで現わしますか?相手の眼を見てお話しすることですか?そのどれもが素晴らしいことでしょう。私はそう感じていますよ。
それではまた。

▽ スキップ推奨:個人的な現況

無限性に目覚められればそれでいいので、ここから先は個人的なつぶやきですが、
このページを書いておきながら暴露しますが、ぼく自身、自分と言うものが何なのか完ぺきに突き止め切っているわけではありません。

空と識しかないよ
識は純粋な気づきと純粋な意識しかないよ
純粋な気づきは気づくだけだよ
純粋な意識はさまざまな形態変化をしているよ
それがあなただよ

それがあなただよ、と言われましても、正直言って今のぼくの理解の及ぶ範囲では、自分が気づきなの?意識なの?空と識なの?とどれが自分かをはっきりとはつかめません。なのでここで断言できません。

たぶん空と識全部でしょう。だけど、自我があるのはもちろん意識なのでメインは意識です。そして、実際に在るのは気づきだけなので、気づきが自分の真ん中にありますよね。ただ、気づきは個別化できない気づいているだけの意識なのでそれが自分だとは思うことはしませんが、気づきに意識を向ければ、常に中心部にしっかりとあります。

だから、気づきが中心にあって、意識と言う半径2mくらいのオーラ場を着た個別化した意識体がこの自我に感じられています。それと同時にこの自分の背後にある空にも感謝して生きています。という内観の状況です。自分を特定するのにこだわりすぎかも?(もしかしてこれに時間を割く意味ってあんまりない?)

あなたはどうですか?ぼくはまだよくわかっていないので、分かった人は教えてください。

▽ 空と識の一般論

ぶっちゃけ(情報解禁/暴露/ディスクロージャー/ネタバレ)ついでにもう一つ書くと、

ぼくは今回自分が納得できる形で書きたかったので、空と気づきと意識の3つがあるというテーマで書きましたが、一般的には、空と識は2つを言っていて、それぞれ気づきと意識で解釈されてると思います。(その場合、ぼくの説明で言う所の空と気づきがミックスされて説明されています。)

このことについて少し書こうと思います。

無限だという事実があってそのためには無条件で認める必要があって、無条件で認められた側からすると愛に感じられる

という仕組みがわかればそれで良いだけだから、実際に無限がどういう構成なのかは一部のマニアだけが深掘りすればいい話なので大体わかればそれでいいと思います。勉強タイムはおしまい、好きな現実に戻って遊んでくださいってことだろうと思っています。

なので、正解か不正解かでいうと不正解かもしれませんけど、今回はぼくの案でまとめましたよ。というぶっちゃけて言うとそういうことです。
以下のリンクが詳しいです。

あと、あなたはどう感じますか?と質問を投げかけていることに気が付くかもしれせんが、それは次の理由からです。

断定化/固定化して言えないのは抽象的だから後から付け足すことができます。

固定化できるのは物質だからです。物質的なものはそれを元に派生しているからはっきりと物質化される必要があります。だから物質的な説明はこれはこれだと断定します。それに慣れていると、断定してほしくて決定しておいてほしいから、どんな説明も固定化しておいてほしいと感じるようになってしまいます。しかし、無限ですのでどのような説明の仕方もありなのです。

また、最小の言葉で説明をするには、人間として生きてきた中で馴染みのない概念で説明する必要があるのと、一覧表をクリーンに見やすく覚えやすくするために、漢字二字の用語を多用しました。そういう意図があります。いろいろ工夫しているのです。最後に全景を載せて終わります。

空(くう)が空(そら)で四季があり、いのちに囲まれて人が地上で暮らすみたいな図になっているのもまた面白い発見ですね。



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