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【9次元になる】記憶と感情の振れを安定させる方法

上の分冊版で補足のみ切り出しました。補足と言いつつ詳しく書いたら長いので。

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〇 9次元の見え方の補足 - 記憶と感情の振れを安定させる方法
9次元のメインの焦点は「軸」で、今まで内側と感じていた部分(記憶を思い起こしたり感情とかの内面の動き)と外の境界が曖昧になり、内も外もその見え方になってしまう。

これは内側を向いていた眼ががさらに内側に向かって軸に到達すると、そこ(軸)目線が新たな内側となり、今までの内側が更新されたと言ってもいいと感じます。今まで内側と感じていた内面の都合(感情達)も実は外側との橋渡し的な中間領域だったんだと再分類されたみたいな感じです。一種の格下げでした。

一種の格下げと書きましたが、もっと具体的にすると、元から、興味が薄い物に対してそれほど執着心が無いので「ふーんそっか」で終わってしまうあの感覚がありますよね。まったくそれのことです。

内面活動の意味や価値が下がったという事じゃなくて、内面との適切な距離感を保つことで、そこに重きを置きすぎるのを控えられるようになったという意味です。今も激しく感情が流れ出ますが、別にどうと思わず、構わないで少し放置すれば収まりやがて消えます。それだけのことだったのです。

内面の活動はなにか出来事にトリガーを引かれる形で記憶が呼び出され、それを感情で増幅させていることが結構あると思いますが、そこに重きを置く理由が弱いと感じています。同じことの繰り返しだからですね。
確かに、0.000001秒経てばもう過去の記憶ですよね。
それと、0.000001秒前はこれから来る未来の憶測ですよね。
それって今ここにある全く揺るがない「今」と比較すると、精神をやられるほど執着するような価値を見いだせません。すっと手を引いてほどほどの大人のお付き合いでいいんじゃないでしょうか?

以前 → 1.内側(記憶、感情) と 2.外側(物理的な経験、体験)
現在 → 1.軸 と 2.[NEW]中間領域(記憶、感情) と 3.外側(物理的な経験、体験)

認識の上では中間領域も内側の部類だけれど、内側の個々の出来事に重みづけをしていないことからあまり自分の事のように感じていないという意味で、外と意味付けの差があまりないことから中間領域です。呼び名は何でもいいですが。

感情などの複射反応系はツールで、ただ外側の世界の経験を増幅させる機構なだけで、スパイスとか味付け調味料セットなだけです。自分の魂に付随した才能と言う分類ではないことから、今世限りのこの体にビルトインされた機能の一部であったという理解です。肉体ではない感情体などのことですね。低い思考も同じです。1回味を見て楽しんだあとぱっと放して握りしめなくていいもの達のことだったのです。本体(軸)とは別の装置(中間領域)です。

▽ 外の説明
外の世界を見て外の世界を愛そうとするのは今のぼくでも普通に難しいです。と言うのも残虐だったり度を超えた暴力的だったり、ニュースサイトはひどいものです。ちらっと見るのさえ嫌です。

でも自分の内面の中心部である軸では、そう言う残虐性とか暴力を選択することがないので安心していられます。その場から外の世界を眺められます。

つまり、共鳴とか共感のことなので見たい現実しか見ていないとも言えるかもしれません。必要な世界だけを見て学んでいます。もう学習が終わった興味が薄いところは見ずにリソースを別に割いています。だからチャレンジしているので毎日楽しいのかもしれません。

今の自分に不必要なものはすぐにスワイプしてカットします。
世界は無限なので全てを見るのは物理的に不可能です。キャパを超えています。だから見るべきものだけ厳選して見て学ばせていただいてると言うことですね。

軸だけを見るのは新な視座に気づくことができるのでメリットが上乗せされていくと思いますが、外側を見ると言うのは「教訓」だけが得られてその教訓も別に必要のないものといいますか、既にわかっていたことを再確認しただけと言うことが経験的に多かったので基本スパッとやめました。

外側は全て手出し不要の現象です。
逆に軸は今ここにある経験の場だととらえています。

▽ 軸の説明(新しい内側)
記憶や感情の変化という中間領域(これまでの内側)の経験もやはり現象ですが今言っている軸は中間領域のさらに精度のあるぶれることのない中心といいますか原点のことです。

つまり今ここと呼ばれているもののことになります。今ここのところから世界を経験するので内も外もないですが内と外がどういう世界観なのかの前提知識がありますのでその見え方での説明も可能であるということです。

▽ こまの例え
ここが重要ポイントなのでもう少しわかりやすくするために、こまに例えてみました。次の画像をご覧ください。

高速でスピンして安定した状態のこまがあります。
こまのが今説明した今ここです。
こまの胴体部分内側(感情などの内面活動)です。軸と外側の間にある中間領域のことです。
こま以外の周りの空間外側です。
3つのセクションに分かれていますね。

ここまでは画像を見たままの事なので難しくないです。

回転した駒は床に出っ張りがあるとつまずいて一瞬ぶれますよね。それが外側のぶれで内の世界のつまずきに影響を受けています。

無形の気持ちを確認するときには動きにすればわかりやすいのでそれを現実に投影するのですが、そのことは鏡の法則とよばれていますよね。

精神性が高まるほど安定し、それと同時に外の世界を見る必要が薄まり、外の世界に影響を受けづらくなってくると感じます。こまで例える時にこまがどのように不安定になり、どのように安定するのかを補足のまとめとして書いてみます。次の3,5,7次元は前置きで9次元の解説が本題です。

・ 3次元は意識的に外側だけを見続けています。今すでにある物が見えずに無いものに目が行き、無い物ねだりしやすそうです。外側の充足は終わりがありません。すぐに無いものを見つけられてしまうからですね。気持ちが向いた外側に引っ張られますので大きく円弧運動をして気持ち(中間領域)が不安定になります。

・ 5次元は意識的に外の世界を有意義にした後、内の世界にも手入れを始めます。ある程度済んだらそれで終わりでも良いのですが、こだわりや執念があると無尽蔵に手入れし続けそうです。物質に傾けていた熱い情熱を、今度は内面の金銀ジュエリーに注げることに喜びを感じるタイプです。タイミングが来たら切り上げて先に進めば良いと思います。物質だけでなく、知識とかドラマとか物語も死んだら持ち帰れないことから熱心に収集する必要はあまりなさそうです。そんなことよりも自分を愛し認められれば(満ちたら)ゴールです。

7次元は視野が広い分、外の世界も見つつ意識的に中間領域(内側)も見ているので気持ちが安定しずらいかもしれませんが、外側も中間領域(内側)も現象で、干渉する意味も必要も元々ない!っていうことに共鳴できたら軸に目が移って安定します。7次元の先生は今ここ今ここと徹底して言い続けていますよね。軸の事です。現象から目を離せて、今ここにある平穏に目を閉じてみれば、今度は別のことに気が付くと思います。それが今ここにある平穏だと言うことです。

9次元は意識的に軸しか見てないので安定してます。そこから中間領域(元内側)と外側を何の意気込みも無く眺められます。学び終えた外側や中間領域である内側は、基本的に投影も干渉もしなくて良い現象の世界なので、それまであった、「外側にかき混ぜられたり」、「中間領域である内面の動き(諸事情とか言い分)に同意するのかしないのかで抵抗すること」をきっぱりと辞退できました。
そのおかげか、興味があるなんでもかんでもに手を伸ばし、自己投影をしては確認するを繰り返し、自己の本分を忘れて低い思考に洗脳されていた頃
(3,5,7次元の探究心)が遠い過去の記憶です。(ぼくの事です)

新しく生まれ変わり、大人のふるまいを身に着けられ、メリとハリとマナーが身についた自己投影のスペシャリストになったかのような気分です。投影したいものだけに厳選をして自己投影することができますので、知りたいことが分かり、いつも上機嫌だと言えると感じます。すぐにわからなければ今知らないでいいことだとぱっと手放せますしね。


こまの例えを用いた各次元の安定と不安定の違いについてでした。ぼくの個人的な意見だと思いますが、結局このコツを覚えているかどうかだけかなと思いますので、長い説明になりましたが補足として付け足しました。このコツを自分のものとして体得できればかなり(年単位)の時短になるかなと思います。

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