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人が叩かれている姿を見て喜ぶ人は、周りを敵だと思っている

最近メンタリストDaiGoさんが
炎上してますよね。

その発言の内容が
どれぐらいいけないことなのか
という話をするつもりはありません。


これを機に
ここぞとばかりに
叩いている人や
叩いていなくても
社会的に成功した人が
叩かれている姿を見て
ちょっとだけ気を良くしている人も
いるかもしれません。


人を叩く人は周りを敵だとみなしている

発言の内容に
感情的になってしまう気持ちはわかります。

何でもかんでも
他人の言うことを
受け入れよう、とか
そういうことなかれ主義な
ことを言うつもりもありません。

間違っていると思うことは
間違ってると言った方が良いです。

ただし
人格を否定したり
過去の発言まで蒸し返したりするのは
ちょっと違う。


どんな人も
ミスや失言はあるし
そういう人格だから
そういう失言が出るんだろ!

という意見も一理あるでしょうけど
人格と意見は分けて考えた方が良い


たとえば自分の子供や
自分の友達が
過ちを犯したとして
すぐにその人を嫌いになったり
攻撃したりしないですよね。

叱ったり
怒鳴ることはあっても
人格まで否定しないですよね。

むしろ相手を
受け入れているから
「それはおかしいだろ!」
と訂正したり
指導するわけですよ。

ところが人格否定している人というのは
発言の内容ではなくて
その人自身を
攻撃しようとしている。

相手のことを
無意識に敵だと思っているのだと思います。


自分はこの世の一部だ

アドラー心理学の中で
「共同体感覚」というワードがあります。


共同体感覚とは

他者を敵ではなく仲間としてみることが大切で
それによって自分の居場所が獲得でき、仲間たちのために貢献しようと思えます。それが共同体感覚です

自分の仲間というと
家族や友人の集まりをイメージしますが
もっと広げて
職場や地域
国をも飛び越え
世界中、いや
宇宙全てが「仲間」で
自分はその一部でしかなく

「仲間」を受け入れて
他者貢献することで
自分の居場所を作るという考え方です。


もし周りを仲間と思うことができず
周りが競争相手のように思えてしまうと
自分の利益のみを追求しようと思ったり
相手と比較して自己否定に陥る


だから自分の取り分を追求するだけでは
幸せになんかなれないよね

ってことです。

問題はどれだけ「仲間」の幅を広げられるか

だからどんな相手でも
「仲間」と見なすことができるかが
鍵になってくるんですけど
なかなかテレビに出ている人や
遠くに住んでいる他人を
「仲間」と思えるか?

というとちょっと
ピンと来ないかもしれませんね。

ましてや損得勘定だけで動いている人は
自分にメリットがない人を
敵だと思ってしまうのでしょう。

それだと相手を値踏みするところから
関係がスタートするし

裏切られた経験や
騙された経験があると
なかなか感覚的に
全ての人を受け入れようとできるか?

と言われると
少し現実的じゃないかもしれません。


私はこういう時
0か100か
という思考を捨てて
グラデーションのように
どれだけ〝黒〟が〝白〟に近づけるか?

という思考をします。

つまり
どれだけの人を
少しでも多く「仲間」と思えるか

という考え方です。

今回の炎上の場合
DaiGoさんは敵か?
と言われれば
直接喧嘩をしたわけでもないですし
私は「仲間」と思えるような気がしました。

自分の人格を否定したり
攻撃してこない人は
「仲間」と思えるかもなー
という感覚です。
だから叩こうとも思わないし
これから事前活動も
されるとのことなので

心根の優しい人が
周りに迷惑をかけまいと
1人で路上生活を選んだ人や
家族を頼らず
生活保護を受給して
1人で暮らしていたりする現状などを
情報として撒き散らして
もらえたらいいなーという
期待すらあります。

そうやって間違いをした人も
受け入れられる考え方を
少しずつ馴染ませていければ周りも
何より自分も楽に、幸せに生きられる。

そんなことを思いながら
今回の炎上の件を見ていました。


間違いを犯した人を
弾く社会ではなく
復帰できる社会になるといいですね😊

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