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自分はどんな人間だろう?と考えても意味がない

・自分は内向的な性格だ
・褒められて伸びるタイプだ
・メンタルが弱い
・人の話を聞けないタイプだ
・どちらかと言うと暗い性格だ

など
自分はどういう人なのか
ということに
多くの人がこだわり過ぎかなと
思うことがあります。


たとえば
占いが好きな人も
「あなたはこういう性格ですよ」
「あなたはこういう人生なんですよ」
と言われたい人なんでしょう。

心理分析されて
「あなたは◯◯タイプ」
と言われたいという気持ちも
わからなくもないんですが

自分がどんな人間なのか?
とあまり考えすぎても
しょうがないのかなーと思います。


自己理解はほどほどに

自分の強みを知って
強みを発揮できる仕事をしたいとか
自分に合うような人と出逢いたいとか

自己理解の意義は一定はあると思いますが
そんなことより
自分がどんな人間でありたいか
どんな生き方をしたいのか

その方がよっぽど大事だと思います。

時々患者さんから

「自分は内向的な性格なんですが 
 どうしたら外交的になれますか?」

と聞かれることもあります。

「外交的な人になるために
 何か取り組んでいることはあります?」

と問うと
案外何も無かったりする。

でも、別にそれでいいと思うんですよ。

私が思うに
本当に外交的な人になりたいとは
その人は思ってない
んですよね。


もし本当に外交的な人になりたいのであれば
情報を調べて
実践して
うまくいかない時には
対処しているはずなんですよ。

そうでないということは
心のどこかで
変わらなくて良い理由を探していたり
本当は変わりたいとは思ってなかったりする


私は欠点を全て改善した方が良いとは
思っていないので

「変わらなくても良いんじゃないですかねー」

とお答えすることも多いのですが
要するに
自分が本当はどうなりたいのか?
次第で自分は変わることができるし
変われなければそこで諦めるか
さらに創意工夫をすればよいだけで

本当の自分はどんな人間なんだろう?
と考えてもあまり意味がないんですよね。

自分がどういう人でありたいか。
どういう生き方をしたいか。

それで選択をすれば良い。

時々
「自分探し」
とか言う人いますけど

「そこにおるやないかい」

と思うんですよね。

本当に自分がやりたいことを探す
という意味ならまだわかるのですが

本来の自分はどういう人なのか
という事に意味もなければ
価値もないと思っています。


あなたはどんな人でも良い

他人に迷惑をかけなければ
どんな人になったって良い。

〝できるか〟〝できないか〟で
人生の選択をしようとするから
自分がどんな人なのか?
を気にするのであって

どんな自分にも変化させちゃえば良いんですよ。

私自身も2回くらい
性格が大きく変わった転換期がありますし
学べば学んだ分だけ
メンタルもしなやかに変化しましたし
人生も大きく変わってきました。


だからどんな人間になっても良いんですよ。

むしろ
「あなたはこんな人だよ」
と決めつけられた方が
息苦しくってしょうがないですよね。

自分が考える自分像みたいなものも
変えたければ
変われば良い。

本来の自分はどんな自分なのか?
ということに意味はないので
どんな自分にしていこうか?

とカスタマイズすれば良いんですよ。

本気で変わりたければ。

ただ内向的な人全員が
外交的な人になれるわけではないので
どこかで折り合いつける事になるかもしれませんが
チャレンジした経験は
残りますからね。

本来の自分が内向的だとしても
そのままの自分でも全然OKなのか
それとも変わってみたいのか
自分の意思が1番大事なんじゃないか?

と言うお話でした😉

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