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過剰な正義感や義務感が不適応を起こす

キッチリしている性格というのは
確かに長所なのかもしれません。

職場や人間関係において
信頼を得られることも多いでしょうからね。

しかし、そういったキッチリとした性格も
過剰になってしまうと
とても面倒くさい人になってしまいます。

・これはこうするべき!
・なんでこうなっていないのか!

という考え方は自分を苦しめますし
そういう価値観を他人に求めてしまうと
それがどれだけ正論だとしても
周りの人を振りまわし
傷つけかねません。

・私はちゃんとしようとしているのに
 誰もわかってくれない

という状態ですね。

幼少期の教育がしっかりしている人ほど
そういう傾向にあります。

精神科のカルテには生育歴がある

一般科の病院と違って
精神科病院に入院する際には
カルテに生まれた時から
大人になるまでの発達の状況が
書かれていることがあります。

幼少期に集団行動できていたか
孤立していなかったか
お友達に噛み付いたりしなかったか、など。

そして親の教育についても
書かれることがあります。

父親に甘やかされて育ったとか
逆に厳しいしつけの元で育ったとか。

もちろんしつけの仕方だけで
その方の価値観や正義感が
育まれるわけではないでしょうが

案外大きな影響を与えていると言えます。

そして言わずもがなですが
物凄くしつけに厳しい家庭で育った人の中には
正義感や義務感が過剰になって
うまく人間関係を築けない人がいます。

恐らく両親が厳しい家庭というのは
親子喧嘩のような双方向ではなくて
親からの一方的なものなので
余計に人間関係の作り方を
学びにくいのだと思います。

親子喧嘩を経ていく中で
相手の気持ちを考える想像力が増したり
親子喧嘩した後の仲直りの過程で
学ぶことが大人になって
社会性となって発揮されると考えられるからです。

そして厳し過ぎる家庭の中で
褒められたり承認されなかった子は
自己否定して自己肯定感が損なわれ
自分にできることは
他の人もできて当然だという価値観になる。

結果としてキッチリしていない人に対して
腹が立つし
正論を相手に過剰に求めてしまい
人間関係のこじれを生じて
しかも関係性の修復も上手にいかない
という負のスパイラル。

この世に絶対にこうすべき!というものはほとんどない

このnoteで過去に何度か書いてきましたが
絶対にこうすべき!ということって
ないと思った方がいい。

これはこうするべきだろう!
こうなるのが当たり前だろう!
なんでこんなことになるのか!

と腹を立てている場合って
相手や環境が悪いわけでなく
自分自身の考え方で
自分自身を苦しめてる
だけで

言い方はきついですけど
周りは基本的に悪くないんですよね。

暴力をされるとか
騙されているわけでなければ
相手を責めたりせずに
自分の中の常識を疑う方がいい。

その方が楽で幸せだと思います😌

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