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結婚、転職、イギリス移住。自分に”毒”を持つと決めた年

2023年8月に妻とイギリスに移住しました。年末ということで移住の面白い話でもまとめようかと筆を執ったところ、タイトルの通り思っていた以上に変化の多い年だったことに気づきました。

お世話になっている方への近況報告も兼ねて、今年の総振り返りをします。


2月:結婚

少しまだ肌寒い2月、結婚式を挙げました。妻とはマッチングアプリで出会ってちょうど2年。早いといえば早いですが、特にスピード婚を意識していたわけでもなく、当時の僕らにとってあたかも当然という流れに身を任せ挙式を迎えました。

最後の新郎スピーチをさせて頂いた時、僕は「結婚しなくても良かった」というお話をしました。

僕は一人が好きです。一人で旅をし本を読み、自分が見える世界の解像度を上げていくことに幸せを感じます。大変ありがたいことに、そんな僕を面白いと思ってくれるごく少数の(でもとても恵まれた)友人関係も楽しんできました。

対して妻の周りにはいつも自然と人が集まります。友達も多く、どこへ行っても縁を引き寄せていくような強い引力を持った女性です。ちなみに以前勤めていた外資系企業では「職人」と呼ばれていたキャリアウーマンでもあります。笑

お互いに一人の道を進んでいっても、幸せになれた。それでもあえて「ふたり」を選び、一緒に幸せになることを選びました。それは「しなきゃいけない」というカタめの義務ではなく、「しなくてもいいけど、したい」という柔らかい(でも確かな)選択だったように思います。

結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私はあなたと結婚したいのです。

ゼクシィ(2017)

曇り空だった当日の朝も、挙式を迎える頃には晴天に。愛する人に囲まれながら、最高の形で1年を始めることができました。

8月:イギリス移住

春夏が過ぎて秋に差し掛かる8月の終わり。妻とイギリスに移住しました。

不安はなぜか一切ありませんでしたが笑、ワクワクしながらロンドンのヒースロー空港に降り立ったことを覚えています。

移住のきっかけ

元々15の時にアメリカから日本に移住し、以降大学と社会人時代を東京で過ごして来ました。日本の生活に特に不満もなかったのですが、「いつかは海外でも仕事したいな~」なんてぼんやり思いながら日々を過ごしていたら、来日から既に12年の月日が経っていることに気付きます。

30になるまでに動かなきゃな...と思いつつ、なかなか行動に移せずモジモジ。そんな中、イギリスのYouth Mobility Schemeビザ(通称YMSビザ)というものに応募しました。

夫婦でYMSビザに当選

YMSビザとは滞在先で最長2年間の就労ができるビザです。

以前からヨーロッパでの就労に興味があった妻がこちらを活用して渡英したいと言ってたのですが、あいにく人気が高く倍率10倍の抽選です。「どちらかが受かればいいよね~」と遠距離覚悟でそれぞれ個別に応募したのですが、なんと、二人とも受かりました。

ダブル当選の確率は1%以下。エントリーはパスポート番号と名前しか送付しないので、住所や婚姻関係などは一切考慮されてません。夫婦で当選とはさすがに聞いたこともなく、いつぞや同じチャンスに恵まれるかもわからないため「これは行くしかないね」と半ば運に身を任せながら渡英を決意したのでした。

生活基盤を整える大変さ

エアビの猫ちゃん

さて渡英の準備に取り掛かります。上司に退職の旨を伝え、航空券を購入し、賃貸を引き払う。続いてマイナンバーカードの返却.、短期ステイ先の予約...と、延々と続きそうですが、案外マストな作業はこれだけ。ビザの取得までは大変でしたが、移住すると決めてしまえば日本ですべきことは「自分の生活基盤を整えてくれていた枠組みから抜ける」でした。

大変なのは、移住先で逆の行為=自分の生活基盤を整え、現地での生活に馴染むこと。特に日本→イギリスに関しては変数が多すぎて苦労しました。

天気:基本的に曇りときどき雨。日照時間短い
外食:高くてマズイ
自炊:おいしい米がない(あっても高い)
言語:同じ英語でも方言がきつい、特にロンドンは移民が多い
文化:基本的に予定通りに物事が進むことはない

元来人間は24時間以内に衣食住が激変することを想定して作られていません。20世紀以降は高速移動が普及し国をまたいだ移住も簡単になりましたが、それも最近の話。原始人がアフリカから韓国に飛ばされたらだいぶ落ち込むと思います。僕は妻と一緒だったのでかなりラクでしたが、海外赴任やワーホリでうつ病になって帰国する方の気持ちが分かりました。

"Take it easy"を学ぶ

地味にきつかったのは衛生観念で 、アメリカでもそうでしたが「こっちのドアはベッコウ飴ででもできてんのか?」と思うくらい何を触ってもベタベタします。家に上がっても外履きの靴を履いたまま歩き回るのが普通。Oh...

そして個人的に一番心にキたのは、とあるボルダリングジムでの出来事。「ボルダリングシューズのままトイレへの入室禁止(外履きに履き替えてね)」と書いてある看板の前には、ボルダリングシューズを脱いで裸足でトイレに入室する人々の姿が...!

転職活動のストレスも重なる中、エアビの猫ちゃんだけが我々の癒やしとなるのでした。

10月:イギリス企業へ転職

渡英直前の7-8月はヨーロッパ人にとって夏季休暇期間。日本で転職活動はしていたものの、ちょうど休暇と重なり応募した50社中1-2件しか返事が来ませんでした。

したがって渡英前に内定をもらうことはできず、無職のまま渡英するという今考えると末恐ろしいことをしました(しかも夫婦揃って)。

突っ込みどころの多い英国の転職活動

さて、異国での転職活動をざっと振り返ります。いろいろありましたが共通して言えることは「何一つ思い通りに進むことはない」です。

  • 応募して返事が来るのに1-2ヶ月

  • まさかの面接をすっぽかされる

  • 勤務開始日が迫ってるのに契約書出してくれない

と、まぁ枚挙に暇がなく、いろいろあったわけです。逆にいえばこれがイギリス式。日本のサービスレベルは素晴らしいなと痛感しました。

18時退勤だと怒られる会社

幸い内定を頂くことができ、現在はマンチェスターでマーケティングの仕事をしています。

現職は激務と有名だったので、相当な覚悟を持って勤務開始したのですが。。。あれれ、みんな16時に帰ります。相当早く始めてるのかな?と思いきや、8時開始です。というか打刻すらありません。

17時にはガラガラなオフィス

「早く自走できるように根詰めよう!」と思って残ってると、翌日上司に「昨日何時まで残ってた?18時?働きすぎだ」と注意されました。また、周りは常に雑談を楽しんでおり、みんな一体いつ仕事をしてるんだ!?と叫びたくなるなどカルチャーショック連続の日々。

少しずつ見えてきたイギリスの働き方

段々と見えてきた英国の職業倫理。それは、仕事は本来「やりたくないもの」として捉え、ライスワークとして早く終わらせてプライベートの時間を楽しむというものでした。

もちろん残業する人もいますが、僕の上司は彼らに対して冷ややかです。「定時になったら帰れ。12時間勉強して80点取る奴より、4時間勉強して90点とれる奴になれ」というのが彼の言い分。

そんな上司は16時以降に新しい仕事が降ってきても、同僚に打ち合わせを申し込まれても、爽やかな笑顔で「OK、でも帰るから」といって颯爽といなくなります。真っ当すぎて耳が痛いけど、ここまで徹底してる人も珍しい。

日本の広告代理店で戦士のように働いてきた自分にとって、最初こそ「強くてニューゲーム」みたいな感覚でしたが、実はこれが日本にいる時よりも難しい。

限られた時間で成果を出さなきゃいけないし、わからないことがあっても上司が退勤済み。緊急のタスクを終えて「やっとやりたい仕事に集中できる...」と午後に一息つけても、少しでも残業してしまえば自分の評価が下がります。どんな国でもその国なりの苦労があるのです。

とはいえ労働時間が格段に減ったことも事実。「働かないことに慣れる」というアンラーニングは大変ですが、早めに帰って自炊したり、Meetupでネットワークを広げたり、絵を描いたり。今まで「時間の無駄」「役に立たない」として無視してきた自分の時間をもっと大切にできるようになってきた気がします。

絵画ワークショップにも参加してみた

2023年の羅針盤となった書籍

結婚、移住、転職を経た2023年。最後に、2つの本から今年の僕の生き方を決めた言葉を紹介します。

【反脆弱性】-2つ以上の理由…

まずは書籍『反脆弱性』から。

(前略)なにかをする理由がふたつ以上あるなら、それはしないほうがいい。理由はふたつよりひとつのほうがいいと言っているわけじゃない。ふたつ以上の理由を見つけるということは、そうするべきだと自分に無理やり言い聞かせているのだ。

『反脆弱性』ー不確実な世界を生き延びる唯一の考え方(下)

なにかをするのに2つ以上の理由を並べてる時は、それを正当化してる時なんですよね。 例えば旅行先を決める時。「この国は食事もおいしいし、天気もいいし、町並みもきれいだし、行ってみようかな」と理由を並べた場合よりも、「なんとなく行きたいな」と直観的に感じたケースの方が楽しかったことはありませんか?

また、これは「なにかをしない理由がふたつ以上あるなら、それはやったほうがいい」という逆の解釈もできます。

移住についてなんなくこなしたかのように書いてきましたが、当初はやっぱり「怖いな」という気持ちもありました。

「仕事が見つかるとも限らないし、行かない方がいいんじゃないか」
「事故・病気の時に大変だし、行かない方がいいんじゃないか」

やりたくない理由を挙げ続けるのは、怖いから。でも知ってることに対して恐怖って生まれないと思うんです。知らないから怖い、じゃあ知っちゃえばいい。

簡単に言いましたが、僕もこれは日々訓練中です。笑 

例:会社のクリスマスパーティー
「いや俺パリピじゃないし、早く帰りたいし、翌朝予定あるし...」
→行かない理由を正当化してるだけだから、行った方がいい

例:気になる本が店頭に出てる
「紙の本だと重いし、てか結構高いし、著者無名だし...」
→買わない理由を正当化してるだけだから、買った方がいい

こう考えると僕の日常は「やりたくない」だらけなんですが、面白いことにこの哲学を持ち始めてから「やらなきゃよかった」と後悔したことは一度もないんですよね。

やらない理由を2つ以上並べたら、やる。ぜひ試してみてください。

【自分の中に毒を持て】–"毒"とは…

最後に、岡本太郎の書籍から。ちょっと長いのですが、僕が勇気をもらった2つの文を紹介させてください。

で、ぼくは壇上に立つと、それをきっかけにして問いかけた。「道で仏に逢えば、と言うが、みなさんが今から何日でもいい、京都の街角に立っていて御覧なさい。仏に出逢えると思いますか。逢えると思う人は手を挙げてください」

誰も挙げない。

「逢いっこない。逢えるはずがないんです。では、何に遭うと思いますか」これにも返事がなかった。坊さんたちはシンとして静まっている。そこでぼくは激しい言葉でぶつけた。

「出逢うのは己自身なのです。自分自身に対面する。そうしたら、己を殺せ」

会場全体がどよめいた。やがて、ワーッと猛烈な拍手。これは比喩ではない。

人生を真に貫こうとすれば、必ず、条件に挑まなければならない。いのちを賭けて運命と対決するのだ。そのとき、切実にぶつかるのは己自身だ。己が最大の味方であり、また敵なのである。

『自分の中に毒を持て』

そして、もうひとつ。

でも、失敗したっていいじゃないか。不成功を恐れてはいけない。人間の大部分の人々が成功しないのがふつうなんだ。パーセンテージの問題でいえば、その九九%以上が成功してないだろう。

しかし、挑戦した上での不成功者と、挑戦を避けたままの不成功者とではまったく天地のへだたりがある。挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままオリてしまったやつには新しい人生などはない。ただただ成り行きにまかせてむなしい生涯を送るにちがいないだろう。

それ、人間にとって成功とはいったい何だろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか。

夢がたとえ成就しなかったとしても、精いっぱい挑戦した、それで爽やかだ。

『自分の中に毒を持て』

さすがに岡本太郎ほど激しい人生を送ることは、ないかもしれません。

でも、僕は僕なりにやりたいこともある。もちろん怖くてできないこともある。でも怖いとは知らないことで、知らないとは面白いということで、面白いとはやりたいということなんだ。

毒を持つとは、危険への好奇心を自分に内在させること。自分で自分を殺すこと。でもそれは自分や他者を傷つけるだけの毒ではなくて、使い方次第では素敵な薬にもなりうる、古代ギリシア語の”パルマコン”に近いものだと僕は思う。

「パルマコン」は「毒」を意味すると同時に「薬」をも意味する点で、決定不可能性をもつ。この多義性は豊かさでもある。

脱構築 - Wikipedia

おわりに:感謝を込めて

今年ほど大きな変化を2024年も経験できるかはわかりませんが、同じ覚悟を持って行く年を見送り、来る年に備えていきます。

最後になりましたが、転職も移住も、お世話になった友人・同僚・家族のサポートなしには絶対に達成できませんでした。この場を借りて、感謝の言葉とさせてください!本当に皆さん、ありがとうございました。

どうか良いお年をお過ごしください^^

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