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21 逃げる。スルーする。無視する。

タイトルの言葉にどんな印象を受けるでしょうか。以前の私だったら、そのような人様に失礼なことはしてはならないと思ったでしょう。逃げるは卑怯、スルーは非情、無視は犯罪!ぐらいに思っていました。

過去の私は誰からも逃げずに、真正面から立ち向かい、関わる全ての人の相手をして、誰の話にも耳を傾けました。その経験は無駄ではありませんでしたが、娘が亡くなり引きこもってからは、今に至るまで、その生き方はしていません。とても疲れることで、無理をすることだからです。やばい人からはすぐ逃げますし、興味がなければスルーして、誹謗中傷はもちろん無視します。

逃げない、スルーしない、無視しない、という考えの根底には、「自分がされたら嫌なことはしない」という概念がありました。どこの誰に聞いたか忘れましたが、ずっと私の中にある言葉でした。

要するに私は、逃げられたり、スルーされたり、無視されるのが嫌だから、自分はそれらの行動をとることはなく、またそれらの行動をとる人を「人の嫌がることをする」失礼な人だと思っていたということなのです。

その思いは、私が逃げたりスルーしたり無視することを許しませんでした。自分を失礼な人間だと思いたくないので、どんなに恐くても相手をして、どんなに嫌いな人でも挨拶して、どんなに嫌がらせを受けても、受け止めてしまうように自分自身を縛りました。それは実際、強い私を作り、人脈も経験も増やしてくれたので、道徳的に良いことをしているから、自分が成長できるのだと錯覚し、縛りから抜け出られなくなっていました。

でも、娘が亡くなったことで私は変わりました。誰とも関わりたくなくなった私は、その自分ルールの縛りを自ら解いたのです。人から失礼な人間だと思われてもいいから、人から逃げ、興味のないことはスルーし、答えたくない問いは無視することを自分に許したのです。娘のおかげで以前とは180度違う自分になれたのでした。すると、新たな気づきがありました。

ある日、小学一年生だった三女のお友達が学校からの下校中に、たまたま家の前にいた私に話しかけてきました。「ねえ、この前、おうちで誰か死んだの?」彼女は告別式の帰り道に喪服でいた私達家族を見かけたらしいのです。

以前の私なら、辛くてもきちんと子供に向き合って、事情を話したでしょう。でも私は応えたくない気持ちを優先し、すぐに目をそらして聞こえないふりをしました。子ども相手に大人げないと一瞬罪悪感がよぎりましたが、やり切りました。

もしも、私が以前のように、真面目になって子供の問いに真正面から答えることになっていたとしたら、なんでそんなことを無邪気な笑顔で聞けるのかと、私はきっとその少女を憎んだでしょう。そして、その出来事の後も落ち込んで自分の子どもに愛情を注ぐ僅かな元気すら失っていたと思うのです。

しかし、その時の私は、たとえ子ども相手だったとしても、自分と自分の身近な愛する家族のために自分を守ることを優先したのです。すると、私の中に、自分とこの小学生の少女に対して、自分を大切にする体験をさせてくれたことに感謝する気持ちが湧いてきたのです。そして、少女の言動に対しても大らかな気持ちで受け流すことができたのです。

「自分がされたら嫌なことをしない」ルールを守ることに執着すると、嫌なことをする人を攻撃し、自分も周りも苦しめてしまうけれども、「自分がされたら嫌なことでもさせていただく」時、感謝が生まれると同時に、誰かが嫌なことをしても、許せる余裕が生まれることを知りました。

しかし、それでは反対に、相手の少女は嫌な思いをするのではないかと思われますか?その考えは脳の罠だと思います。ここまで書いてきた通り、誰かのために自分を犠牲にしている限り、誰かを攻撃する自分になってしまうループから抜けることはできません。

きっと「聞こえなかったかな?」と思うか、「変なおばさん」と思うだけなのです。もしもその少女が「嫌なことされた」と思うなら、自分を大切にするためにもその場で私に怒ればいいのです。そうすれば私も、どうして返事をしないのかを説明し、お互いに理解するか、お互いに近寄らない関係になれるので、どちらにしてもお互いを大切にできるのです。

逃げるのも、スルーするのも、無視するのも、時と場合によって自分を守るものならば、自分を大切にすると思って勇気を出してやってみることをおすすめします。人に嫌われてもいいと覚悟したはずなのに、嫌われるどころか人の愛に感謝しかなくなります。

それに、自分がすることは人がしても許せるようになります。そしてその裏側に何があるのかも気遣ってあげることさえできるのです。例えば、無視されたとしたら、無視した人は、一生懸命自分を守ろうとしているのかもしれないと気づいてあげられるのです。

私は誰かから無視されたり、拒否されたりしても、多少がっかりはしますが、自分が傷つくことはありません。相手にも事情があることがわかるからです。そしてこの体験は、私から「許せないもの」をなくしてくれました。自分が経験したことがないことであったとしても、全てのことにきっと愛の理由があるのだと信じられるようになったからです。


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