辺境でのリアライゼーション(『ゲド戦記Ⅰ 影との戦い』を読んで)
たしか小学一年生か二年生のころ、家の本棚にあった『ハリー・ポッターと賢者の石』を初めて読んで、僕はすっかりやられてしまった。あっという間に読み終え、巻数を重ねた。何周も読んだ。けっして軽くはないハードカバーをランドセルに詰めこみ、学校でも読みふけった。そうやって僕は十一歳の夏を待ちわびた。フクロウの脚に結わいつけられたひとつの便箋が届くことを。結局、くだらないチェーンメールはいくらでも届いたけれど、願った手紙は来なかった。当時の僕としてはもどかしい思いだった。二十六歳になったいまも、その記憶には哀しみの色合いがある。
不思議とほかのファンタジー小説にはあまり惹かれなかった。『ナルニア国物語』も読み、『指輪物語』も読んだけれど、数多い読書のなかの一つ以上にはならなかった。物語が現実に交錯してくるほどの、いわば魔力を感じとれなかった。ファンタジーという形式自体には関心がありながらも、それは内実を伴わないまま、ただ時が経っていった。
『ゲド戦記』を読んだのはこれが初めてである。映画も観たことはない。きっかけとなったのは、国語科の非常勤講師をしている友人との会話だった。数年ぶりに会い、最近読んでいる本の話になった。僕は当時、村上春樹の小説をむさぼるように読んでいた。無職で暇だったのもあるけれど、人生についての、ささやかではあるが独力による考察の末に、そこに描かれている物語に真実がひそんでいるように感じられたのだ。同時に、これは別に村上さんの思想的背景を解体しようとしたわけではまったくなく、たんに偶然として、ユングや河合隼雄についても調べはじめていた。無意識や、魂や、元型といった、実証しがたいものごとについてだ。僕はその友人に言った。そういったものごとが「あるかどうかを僕は証明できないけれど、だからといって無いことにしてしまうのは間違っていると思うんだ」。そうしたら彼が言った。「君はゲド戦記を読むべきだ」。たしかに読む「べき」と言った。本について馬が合う国語教師からの断言には相応の説得力があった。それから数か月ののち、僕はゲド戦記を読むことになった(三巻まで読んだけれど、ここでは一巻「影との戦い」について書くことにする)。
たいていは日が暮れてからデスクライトの明かりのもとで読んだ。わずかに開けた窓から初夏の夜風が入りこみ、ページをめくる指をかすかになでた。物音と言えば、ヒグラシとカエルと、ときおり森の奥から聞こえるシカの鳴き声ばかりだった。ゲドが死霊の召喚呪文を読みふけり、ふと顔をあげて暗い部屋の片隅に「闇よりもさらに濃い、どろどろと形の定まらない暗黒の影の塊」がうずくまっていることに気づく場面で、僕もまたぎこちなく首を回して部屋の四隅を確認した。幸いなことに、そこにある闇は暖色の明かりに温められてさらさらとした蒸気になっていた。でも終始、この物語はぶきみな引力でもって僕を引きずりこんでいった。
薄気味の悪い夢を見ているような気分だった。まずゲドは得体のしれない影に襲われる。その後、竜を倒し、船乗りの息子の死に立ち会い、魔女の宮殿に招かれ、大魔術師オジオンと再会する。そして長い航海のすえ、東の最果ての海にて影とふたたび巡り会うのだ。それぞれの出来事はどれも架空の世界線でくり広げられていて、想像するにはいささか集中力がいる。気を抜くと、イマジネーションの映像はあっけなく蒸発してしまう。出来事と出来事のあいだには確固たる因果関係があるわけでもなく、まさにだだっ広い大洋を漂うかのように、偶然というあいまいな原理だけが働いているように思える。物語のなりゆきを記憶することもまた、労力がいる。物語はすべて、分厚い靄の向こう側で起きているようにすら思える。
でもその物語は、靄の向こう側から、五感のどれにも当てはまらない感覚の回路をつうじて、むしろ一層直接訴えかけてきた。世界の辺境でゲドが影と対峙したとき、僕は文字から目を離せなくなっていた。文字が目に入ると同時に、世界が立ち現れた。いやむしろ文字を追い越して世界は広がっていった。そして僕を飲みこんだ。もちろんこれはゲドの物語だ。でも何かが強烈に重なったのだ。物語を読み終えてしばらくして、僕はゲドと似たような経験があることを思い出した。それは、ある意味では辺境において、ある意味では影とのあいだで生じた出来事だ。
去年僕は日本を旅していた。それはある意味では衝動によって始まった。どこに行く当てもない、綿毛のような旅だった。仕事も旅の半ばで辞めてしまっていた。身軽だ。たしかに身軽ではあった。でも僕としてはそれは正直なところ、けっこうキツい旅でもあった。旅へと僕を駆り立てた衝動が、いつ収まるのか見当がつかなかったのだから。もしかしたら何年も、何十年も収束することなく、僕は延々旅を続けなければならないのだろうか。もちろん旅にはすてきな面もたくさんあった。でも、その可能性は、出口の見えない深い洞窟をのぞきこむときのように、僕の足をすくませた。しかし後戻りはできなかった。
僕は日本を漂いつづけた。十二月の半ば、僕は沖縄へ行った。本島で数日過ごし、泊港から一日一便しかないフェリーで粟国島という離島へ向かった。人口七百人ほどの小さな島だ。自転車であれば外周を一時間とかからない。フェリー一台分しかない港のそばに三軒ほど小ぶりの民宿と、さらにすこし行ったところに小学校と中学校、役場がある。島唯一のスーパーマーケットであるJAコープはコンビニほどの大きさしかない。さらにその奥には一面のサトウキビ畑が広がり、あるいは崖の上の草原で牛やヤギが草を食んでいる。道はところどころ舗装されていない。牛の糞があちこちに散らばっている。島の西端からは無垢な水平線が見える。どこにも、なにも、浮かんでいない。はるかかなたにあるはずの中国は影すら見せない。夕暮れ時、僕は陰りゆく水平線を眺めながら、ついに一番端っこまで来てしまったなと思わざるを得なかった。夜になり、満点の星空の下で、打ち寄せる波音と、どこかでなにかの鳥が鳴く音だけが聞こえた。不思議な気分だった。横浜で生まれ、東京で育ち、日本をさまよった挙句、大海に頼りなげに浮かぶ辺境の小さな島で空をこうして見上げているのだ。島にいたのは三日間だった。特別なことはほとんど起きなかった。島を自転車で周り、砂浜で海を眺め、ヤギに声をかけ、夜は民宿の食堂で相席した客と話をした。せいぜい変わったことと言えば、古来より島に伝わる風葬という仕方で埋葬された墓地を見に行ったことくらいだ。どれがどのように作用したのかは分からないが、帰りのフェリーのなかで、僕は僕がいつのまにか洞窟の出口に手をかけていることに気づいた。そう、ついに旅が終えられようとしていたのだ。
うまく説明はできない。終わりは、自分でも拍子抜けするほどあっけなくやってきたのだから。ひとつはっきりしているのは、粟国島で三日間(もちろん二日間でも四日間でもよかったのかもしれない。いずれにしても一定の時間)を過ごしたことが関係しているということだ。より正確に言えば、世界の端っこに漂着して、そこの空気をしばらく吸うことが本質的に不可欠だったであろうということだ。旅が何かからの逃避であったならば、遠く離れた島で過ごすうちに、その何かと対峙し、いったんの決着をつけたということなのだろう。自分のなかにあるいくつかの物事が変わったのかは分からない。でも少なくとも、それらの配置が変わったのだ。すっきり収まったのだ。プラグマティストのウィリアム・ジェイムズの言葉を借りれば、それは「二度生まれ」と呼べる現象だったような気もしている。意志ほど確固としたものではない、もっと捉えどころのない何かに流されているうちに辺境へとたどり着き、そしてその辺境の地において、複雑な自己を全き統一体として再構成する行為。それが、ゲドの冒険と重なっているように感じたのである。
ユング研究で知られる心理学者の河合隼雄は『ファンタジーを読む』のなかで、ゲドに最終的に起きた現象を(日本語の「実現」や「理解」といった訳語に回収され切らない語としての)「リアライゼーション」と呼んでいる。僕なりにその意味をひも解けば、自らの負の面としての影を受容し、より高次の存在になること、とでも言えるだろうか。ごくごく個人的な予感として、そういったリアライゼーションは辺境でこそ起きることのような気がする。もちろん辺境というのが物理的なものとは限らないわけだけれど。
余談だが、河合隼雄は同書のなかで、一般にファンタジーと呼ばれる作品には、つくりものとしてのファンタジーが多いことを述べている。頭で考えてつくられた物語であり、往々にして商業的なものであることが多いという。では、作為的ではないオーセンティックなファンタジーとはどのようなものなのだろう。これまた個人的な現時点での考えだけれども、その条件の一つは、ときに死を追体験させるほどの圧倒的な遠心力が働いていることだと思う。果てしない遠くへ向かうその力が僕たち読み手の意識を引きずりこんでいくのだ。難しいのはいつかその物語の沼から這い上がってこなければならないということだと思うのだけれど、それがどのようにすれば可能なのかは正直なところいまはよく分からない。
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