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書き手と読み手の感覚齟齬が発生させた悲劇に出会ってしまった

この前回したソッシャゲのイベントストーリーがダメだったことをもう一度反芻している。時間を置いたら評価が変わるかといえばそんなことはなく、やった当初でさえ疑問符がつく内容は時間を置いても評価が上がることはなかった。

単純に読者として消費者やってるだけなら、つまんなかったの一言で切ってす捨ててもいいんだが、まだ物語を書く気がある人間としてはなんでつまんなかったのか向き合わずにはいられない。言語化して理解しておかないと、自分も同じミスをやるからである。過去作はそういう理解がなかったからやらかしたのは仕方がないとして、今後は同じ轍を踏むのは避けたいものである。

色々問題ポイントはあったんだが、一番の致命的な欠点は書き手が想定した倫理ロジック、読者が何を良しとし何を悪しとするかが一般的な感覚からかけ離れていたとこ。

作中でほとんど追求がなかったが、初対面の相手を無理くり共犯者にしておきつつ、発生したリスクや負担を自分以外の相手に押し付ける行いはかなり邪悪度が高い。外受けだけは良いブラックベンチャー企業の社長みたいなもんで、社内ではめちゃくちゃに過労死者が出まくっているようなヤツ。

その、失敗の負担を周りに押し付けつつ自分を鼓舞するための虚飾を立てるという行為の天丼を実に9回やる。数えられただけで9回。天丼にしても多すぎる。ちゃんと最後までやるなにかしらのモチベーションがなければ最初の二回か三回でいやになって辞めるっつーか俺自身三回目以降は苦笑いしながら何回やるのこの下り、って思ってた。

しかも、プレイヤーの一般的倫理観からすると、めちゃくちゃ邪悪な行為は作中で特に糾弾されたり説教されることもなく流される。おそらく、ライターはそんな重要なとこではないと考えていた可能性が高いが、プレイヤーからしたらろくでもない茶番の片棒かつがされた挙げ句にツケの解消をやらされるのだからウンザリもするだろう、それも9回も。

じんるい種は何回も体験する、ということに対する嫌悪感がかなり強く、二回目でもがっかり、三回目はもうウンザリ、となる。水戸黄門の印籠とか時代劇の決め台詞などのお約束はその人類の繰り返しに対する嫌悪感を乗り越えた演出なのでめちゃくちゃに強く、なんか考えなしに同じ演出を繰り返せば受けるわけではない。

一方で、ライターが考案していたもともとの悪役性は道中で十分に説明されず、最後の最後でまとめてまくし立てられるのでどうにも取ってつけたような感覚が拭えない。納得もしにくい。土台の設定としてはそういう説明になるのは理解できるが、情報配置に致命的なミスがある。

結果、ライターの想定とプレイヤーが実際に感じる感情には多大な齟齬が生まれ、なにも盛り上がることなくフーンみたいなお気持ちのまま話が終わってしまった。

当初想定されていた、『何度失敗しても前に進む姿』に魅力を論じるにしても、失敗する回数は3回に落として、その三回の密度をもっと増やしたほうが良かった。失敗にしても後始末を周囲に丸投げするのではなく、生じた負担を自分である程度負うようにした方が良かったと考えられる。

付け加えると、このあたりの問題点はトーシロの俺でも一回読んだらはっきりわかるポイントであり、プロのライターが査読して気づかなかったとは到底思えない。つまり、何らかの理由で査読からの修正が発生しなかった可能性が高いと考えられる。あくまで個人の妄想なので確定的に明らかみたいに吹聴するのはやめていただきたい。わかるな?わかれ。

戦場へ

なんか事情があったんだろうなーという察しはあるものの、普通のひとは大人の事情を察して忖度とかせずつまらなかったら途中で辞めるので、つまんないということと向き合わずにはいられない。というか今回はマジでちゃんと周回している人も少なく、イベントのアレとか着けている人も少ないので無駄に苦労した。体感、普段の3割くらいしか最後まで進んでなさそうな感じなので、つまんない時の反応の容赦のなさを感じるのだった。

今回はここまで、またな。

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