乱数はゲームに欠かせない、けど多すぎるのはシンドい
運ゲー、好きです?おれはきらいです。
好みに合わないとか遠回しな言い方を心がけている自分がはっきり嫌いという数少ない代物が運ゲー。その割には艦これとかウマ娘とか結構やっているけど、実のところゲームシステムとしては一番キライな部類に入る。
好ましいタイプのゲームシステムは、モンスターハンターとかアーマード・コアとかの操作技術が結果に直結するタイプ。ゼルダの伝説も3Dになってからパズル要素とアクション要素がバランスよく取り入れられたので良かった。
で、一番評価に困るのがローグライト系の運ゲーとアクション要素ないし知的能力が試されるタイプのゲーム。これはこれで楽しい。でもゲーム内調整が雑だと一気にクソゲーと感じるようになるので、やってて楽しいゲームはそうはない。
話を運ゲーに戻そう。
単純に運頼りの場合、それはプレイヤーの介入要素がないためゲームではなくくじ引き、ガチャ、となる。ゲームを名乗る以上、何かしらの介入余地が施されていることが多い。(まあほぼほぼくじ引きの代物をゲームと名乗るトンチキな物体も割りとある)
この乱数要素はゲームと切っては切れないしろもので、大多数のゲームにはこの運頼みの要素は搭載されている。プレイヤーの介入余地は、おおよそ勝てる確率を上げ、負ける確率を下げるところになる。
一般的に、楽しいと評価されるゲームはプレイヤーの介入余地を大きくもたせつつ、ギリギリで運負けするくらいのバランスにチューニングされる。シリーズが続くとプレイヤーがうまくなりすぎて、理不尽一歩手前の難易度になったりするが。
話を最初の艦これとかウマ娘に戻すと、これらはプレイヤーの工夫で勝率を上げられるが、絶対ではない。100%にはならないようにデザインされている。(チャンピオンミーティングくらいの試行回数なら見せかけ上は100%勝っているような高い勝率にはできる)
これ自体はゲームとしてはおかしくはない。
だが、一般的なコンシューマーゲームに比べると勝率を上げるための時間や現金などのリソースは非常に大量に要求される。
結果何がおきるかというと、頑張った量の割に見合ったほどには勝率が上がらないという徒労感である。娯楽としてのゲームの割には、致命的な問題だ。しかも肝心な時に限って低確率の負けが来たりする。そうなったら心が折れるのも致し方なし。
戦場へ
運要素がでかすぎるゲームに疲れたら、運要素が絡みにくいゲームに逃げたほうがいいですよ、というわけ。
今回はここまで、またな。
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