インターネット村落の弊害
人間にはいわゆる身内を贔屓する性質があって、この身内にぬるりと入り込めるかで人生のアドバンテージにだいぶ差が出てくる。言わずもがな、俺はどこに行っても部外者になりがちなクチ。
村社会くらいならまあ必要な機能だとして、これが現代の情報化社会だとちょっち意味合いが変わってくる。理由は思いついたので二つ。
一つは、身内をあまりにも集めやすすぎてしまうこと。
共通思想やら偏った考えの人間、というか、近い考え方を持っている人間があまりにも集約し易い構造を持っているため、意識的に広い物の見方を意識し続けないと、自分たちが正義、みたいな蛮族に成り果ててしまう。
こうなると、何を思想の軸にしているかによらず客観性を失った集団になってしまうため雑に暴走してしまう。当然、自分がその中に入っていると引きずられていってしまう。ヤバ味。
もう一つは、ステークホルダー、利益供与者を見誤ること。
例えば、現代に作品を遇する場合、認知した99%の人は無反応、1%の人が作品を購入し、0.01%の人が感想を出す。
作家にとって、この0.01%の感想はめちゃくちゃありがたいし毎回感謝するに値するものだ。
一方で、感想を出す郡の時点で強烈に濃縮還元されたセグメントであるため、ここだけを参考情報にすると猛烈な偏りが発生する。上の割合は適当にぶち上げた数字でたとえであり、具体的な統計データではないが偏りがあるのは間違いないと思う。
この、0.01%の層を身内として認識して優先してしまうと、書いている内容もジョジョに偏っていき尖りすぎてごく一部にしか刺さらない内容になってしまったりする。もちろん創作はある程度尖らせて丸みを取らないと刺さったものではないが。ある程度バランスを取る必要がある。
この辺の、あまりにも人間同士の距離が密接しやすくなりすぎてしまった結果、増幅された歪みたいなヤツは結構こわい。インターネットがなかった時代でも結構デカイトラブルの元だったものが、インターネットによってより増幅され拡大しやすくなった。
こういうのを防ぐために、家族と話したりいつものメンツじゃない人たちと会話する機会を得るのはおれはとても大事だと思う。
戦場へ
便利なものが利便性の代償って、時間が経ってからじわじわあらわになってくるもので、しかも統計データが取りにくいものほど悪影響が見えにくくヤバヤバのヤバになった時点で認知が進んだりする。
noteも、街じゃなくて交流の断たれた村落の集合体になるのはあんま良くないと思うし、運営もそこはわかってていつもの場所だけではなくもっとあちこち行ってほしいんだろうなぁとか思うのだった。
今回はここまで、またな。
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