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適応障害との共生日記 退職するまで

はじめに

前回の投稿から約1週間も空いてしまいました。
何事も続けなければ・・・。もう少し投稿回数を増やします。

本日は、標題にもある通り、退職のご報告と、休職の間何をしていたのかです。
よろしくお願いします!

本題① 退職を決める

結論から申し上げますと、僕は7月10日付で会社を退職しました
2019年4月に入社し、1年と3か月。
とても短く、キャリアを積むことはできませんでしたが、後悔は決してしていません。

4月に「適応障害」と診断されてから、もちろん復職を前提に会社を休職させてもらっていましたが、正直なところ戻る気なんて一度も思ったことがありませんでした。

休職前の総務部との面談では、復職しても部署移動や取引先の変更などはすぐにはできないといわれていました。
(もちろん取引先を変えようが、労働時間や会社の体質が変わるわけではないので関係ないですがね!)
部署移動ができないのは、周りの目があるからだそうです。

僕は会社から「復職」前提に、休職することとなりました。

さて、4月の末に休職してから、僕はどのようにして過ごしてきたのでしょうか。

本題② 5月

5月は、とにかく休養に励みました。
適応障害の症状としては、

①朝の吐き気
②日中の倦怠感
③漠然とした不安感
④人生の虚無感
⑤夜の寝付けなさ

でしたので、病院からもらった薬を服用し、「頑張らないことを頑張る」というめちゃくちゃ難しいことを頑張っていました。

しかし、具体的に何をしていたかと言われると、何もしてないなぁと今では感じてしまいます。
休職前は5時半に起きて朝から仕事をやっていましたので、相変わらずその時間に目覚めますが、病院の先生やカウンセリングの方からはもっと寝てくださいと言われるし、何もせずボーっとする時間ですよとも言われていました。

やるべきこと(いままでは仕事)や目標がないと、こんなにも何もない人生なのだなあと思いました。

本題③ 6月

僕はふと思いました。

「1年前より明らかに太ってね?」

僕は身長177㎝あり、1年前の体重は67kgとネットに出ている平均体重くらいでした。野球をやっていましたし、お医者さん曰く骨格がしっかりしていているといわれているので、理想であった「スラッ」としているようには見えませんが、いわゆる普通でした。

それが社会人となり、毎日のストレスを帰宅後の勤務後のお酒(23時以降に飲む)で発散し、食べる量も増えてしまい、いつも間にかぷくぷくと太り始めました。

さらに追い打ちをかける情報が。
病院で処方される抗うつ剤の中には、副作用として「太る」と書いてあるのです・・・。絶望

これは何とかしないと思い、僕の空白で何もなく、そこには虚無感しかなかった人生に、「あ、痩せよ」という目標が増えました。
(社会人とか働くこととかそんなの何も関係のない、「あ、痩せよ」)

もともと野球や大学時代からよく使っていたエアロバイクがあったので、とりあえず平日はそれを漕ぐことにしました。
時間はだいたい30~40分。汗だくになります。

そしてこのエアロバイクは今日まで続く趣味的なものになりました。
(結果はまだ出ていない)

(最近はストレッチや体幹、スクワットもしている)

(もっと効率的な痩せ方があったら本当に教えてほしいです)

(もう一度言います)

(もっと効率的な痩せ方があったら本当に本当に教えてほしいです)

本題③ 7月

エアロバイクは習慣化して、毎日の目標が決まりましたが、適応障害の症状に関しては、特によくなるわけでもなく。むしろ睡眠薬はだんだん強いものになっていったり、薬の種類が増えていきました。

ここで一つの決心。

今の会社に縛られていたら、この病気は一向に回復しない気がする。
多分あと3か月後も同じ生活をしていると思うし、仮に復職しても異動できないし、この状況ってなにも変わらなくね?

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辞めよう。


おわりに

こうして僕は7月10日、退職しました。

電話で退職の旨を総務にお伝えしましたが、辞めるという決断を了承してもらい、次のようなお言葉をいただきました。

「これまで一緒に働いてきた仲間なんだから、何かあったら頼るんだよ。ほかの会社にいっても、私たちは仲間なんだから」
「身体だけは気を付けてね」

内心では「や、どの口が言えるんだ・・・。頼ったら病気悪化するわ」と思いながらも、丁寧に電話を切りました。

僕は今、転職活動をしています。

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