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息子の背中が教えてくれる

雨で延期になっていたまころ(息子・2歳10ヶ月)の保育所の運動会が、先週無事に開催された。
まころの通う保育所では、5歳児さんのクラスが毎年太鼓の演奏をして運動会の幕が開く。
その姿を見て(ちなみに知っている子はひとりもいないのだが)すでに泣きそうになるおかあちゃんがここにいる。
近い将来、息子もあんなに立派になるのかなあと思うと涙腺が刺激される様だ。

そして肝心のまころ自身も、昨年に比べてかなりの成長ぶりを見せてくれた。
園児全員参加の体操ではしっかり踊れないまでも、なんとなく音に合わせて手を振ったり、足踏みしながらぐるりと回ったりしていた。
2歳児クラスの演目でも、障害物をジャンプしながら超えたり、網の下をくぐったりと皆と一緒になって楽しそうに動いていた。
何よりかけっこでは、名前を呼ばれると「はいっ!」と元気よく返事をし、彼なりの全速力で走っていた。

そんな光景を見て、感慨深いものがあった。

 * * * * * * *

まころは赤ちゃんの頃、反り返りが強かった。
柔らかくまぁるい姿勢のはずの赤ちゃんが、こんなに強い力で反り返って、抱っこすることすらままならない。
何かがおかしい。
そんな母親としての私の勘は、悲しいことに的中する。

反り返りは身体の緊張が強いことを意味し、姿勢発達に影響を及ぼすもので、まころは体幹も弱かった。
故にその後も、水分を摂るとムセやすい、離乳食をうまく噛めずに丸呑みする、お昼寝が苦手、うつ伏せでしか眠れない、腹筋を使って起き上がれない、片足をあげたハイハイをする、、、などの気になる諸症状として現れてきた。
そして歩き始めるのこそ標準的な時期だったけれど、走り始めたのも遅く、ジャンプなどの運動も苦手でなかなか出来るようにならなかった。

それが私達の抱っこや寝かせ方といったお世話に起因するところが大きいと知ったときのショックは、相当のものだった。
【私がちゃんと知っていれば、学んでいれば】
何度となくそれが頭を過り、自分を責め続けた。

私自身、小学校の高学年くらいだろうか、母親から
「アンタは姿勢が悪い、歩き方がおかしい」
と指摘され、ものすごく心の傷になっていた。
そして全身鏡やデパートのショーウインドウ、人が撮ってくれた写真に映る自分を見ては
「ああ…格好悪いなあ…」
と落ち込んでいたのだ。

そのような背景も相まって、姿勢への思い入れは強いものがあった。
さらに姿勢は見た目だけでなく身体の不調をもたらしたり、運動機能、学習意欲や集中力にも影響することを知ると、もういてもたっても居られない。

子どもたちに同じ思いはさせたくない、負債を負わせたくない。
そんな思いで、姿勢発達を改善させるために出来ることを探しまくった。
そしてそれを教えてくれる講座などに通っては、自宅でも出来る限りのことをして手を尽くした。

あの頃の私は、必死の形相だったと思う。

 * * * * * * *

でもどんなにこちらが働きかけようとしても、当の本人がやりたくなければ続かないし、効果も出ない。
嫌な空気が流れ、お互いに疲弊していくだけなのだ。

そもそもこちらが無理矢理やらせようとするは、親が【やれるだけはやった】と思いたいがための自己満足な行動ではないかとすら思う。

ただ子どもの持っているポテンシャルは計り知れないものがある。
こちらが何もしなくとも、本人がやる気になれば着々と力をつけ、知らぬ間に変化していく。
親が出来ることなんてせいぜい、子ども自身がやりたいと思ったときのために知識を得ておくことと、それがやりたくなるように声をかけていくことぐらいなのかもしれない。

まころも抱っこや寝かせ方の姿勢の見直しに始まり、体操、保育所の行き帰りに歩く、鉄棒にぶら下がって遊ぶ、胸や肩周りを中心にタッチやマッサージでほぐす…などを本人のペースに合わせながら地道に続けたことと、そもそもの成長も相まって、気になっていた部分がクリアになってきている。

 * * * * * * *

誰しも発達に凹凸はあるものだ。
そう頭では理解出来ても、心がついていかなかった。

でも子どもはちゃんとチカラを持っている。
今の状態をまるっと受け止めること。
そこからどう変化しているかを見守ること。
そして信じて待つこと。
親が出来るのはそれだけ。

【しんぱいごむみょー(心配ご無用)】

息子の背中がそう教えてくれた。

ここまで読んでくれたあなたは神なのかな。