見出し画像

こころの雨

このところのお天気と同じように、ここ最近こころの中がどんよりとしている。
水分をたっぷりとしたためた雲は、いつでも降り出さんとばかりにそこにあって、何かのきっかけで直ぐに雨を降らす。

そして水を貯めた池が、あっという間に決壊を起こす。

 ✳ ✳ ✳ ✳ ✳ ✳ ✳

以前、ぽこねんさんが書かれていたこの記事を思い出して読み返してみたら、もう本当にそのまますっぽりと当てはまっていた。

そもそも私は小さな池(ぽこねんさんの書かれているところのコップ)しか持ち合わせていない。
その上、子どもがふたりになったところで池は2つにはならないし、大きくもならない。

まころ(息子・3歳)もきぷく(娘・10ヶ月)も本当に可愛いし、その気持ちに偽りはない。
でも、それとこれとは別、な話なのだ。

 ✳ ✳ ✳ ✳ ✳ ✳ ✳

特にまころとの摩擦に耐えかねている。

頭では分かっている。
マイペースのまころにとって、自分のペースを乱してくるきぷくの存在がストレスになっていることは。
毎日家で過ごしているきぷくに対して、自分だけが保育所に行かねばならない不平等感をどこかで感じていることは。
どうしてもきぷくのペースに合わせなければならない場面が多々あり、ぐっとこらえて我慢してくれていることは。
そしてその度に、彼のこころにも雨が降っているのであろうことは。

まころにだって同じように池はあって、水が貯まればそれは溢れ出すわけで。
きぷくを押さえつけたり叩いたりすることも、保育所に行きたくないとダダをこねることも、構ってくれとばかりにお漏らしをすることも、保育所帰りに寄る祖父母宅でまだ帰りたくないと粘ることも、絵本をエンドレスに読んでくれとねだることも。

当たり前なんだ、至って健全な反応だ。

でも毎日同じことをこんこんと根気強く伝えるのは、どうしたってイライラする。
出来ると分かっていることを、わざとしないのを見ると、悲しい気持ちになる。

親子だって結局は人と人で、ぶつからなければお互いの歩み寄りの着地点は見えない。
でも、ぶつかることを避けて生きていた私には、ぶつかること自体がつらく、とてつもないエネルギーを消耗する。

子どもに言うことを聞かそうなんておこがましい、とか思いながら、どこかでコントロール出来るような気になっていることにも気づく。
そんな自分にも、ショックを受ける。

そのマイナスな感情たちが雨雲となり、しとしとと冷たい雨を降らす。

 ✳ ✳ ✳ ✳ ✳ ✳ ✳

これまでの経験がある分、きぷくとの生活はわりと平穏に過ぎていく。

とは言え、泣くというストレートな感情表現を目の当たりにしていると、時々通り雨のように悲しい気持ちになる。

成長のスピードが早い時期な分、気になるところや悩みが出てくるのもまた事実だ。

毎日夜中に起きて授乳をすることや、抱っこする機会が多いことで疲労は蓄積しやすい。
四六時中一緒にいて、小さな気遣いがそこかしこに必要だし、常にどこか緊張の糸は張っている。

そんなこんなもいつの間にか流れ込み、池の中の水位は常に高めだ。

 ✳ ✳ ✳ ✳ ✳ ✳ ✳

水位が高め、まさに心の余裕がなくいっぱいいっぱいな状態やから、少しだけ雨が降ればもう決壊。
ずぶ濡れで足元もぐちゃぐちゃのその渦中では、冷静に俯瞰する視点もぶっ飛んでしまう。

こないだは(私には)無駄だと思えるこだわりを突き通して泣きじゃくる息子に腹が立ち、一緒になってエンエン声をあげて泣いてしまった。
その前はわざとじゃないにしてもあまりにも何回もスプーンやフォークを落とすのにイライラして、息子を怒鳴りつけた上、落とされたスプーンやフォークをこれでもかと机に叩きつけるように置いてしまった。

こんなおかあちゃんになりたくなかった。
なりたくなかったよ。

 ✳ ✳ ✳ ✳ ✳ ✳ ✳

このままじゃ負のループに陥る。
そう思ってnoteを書き始めたら、ちょっと俯瞰出来た。
その都度その都度で、こうやって素直に吐き出せる場所の存在が、身にしみてありがたい。

それで、じゃあ、どうすればいいんやろうと考えてみたら。

天気(感情)はコントロールが難しいし、その変化がなくなると、それはそれで弊害が起こる。

そこではなくて、まずは自分を整えることに注力して、なるべく池の水位を下がっている(心の余裕がある)状態にしたい。
好きなように食べることも、休むことも、動くことも、散財することも、人と接することも、鎧をつけずに表現することも、知的好奇心を満たすことも、音楽を聴くことも、自分には必要で、そんなひとつひとつが溜まった水を減らしてくれる。
私の水が少なければ、子ども達の水を減らすお手伝いも出来るかもしれない。

あとは『溢れることもあるよね』という心構えがあれば、いざその時に自分を見失わずにに済むのかもしれないし、『ああ、溢れてるなあ』ていう俯瞰力が持てたら、爆発を避ける手立てになるのだろうなと思う。

もしドカンと溢れてしまったとしても、子どもに、周りの人に『ごめんね』と謝れたら、『あの時はこんな風に感じてたんや』と素直に伝えられたら、それで済むこともあるのかもしれない。

 ✳ ✳ ✳ ✳ ✳ ✳ ✳

きっとこれからも、何度となく、摩擦は起こるだろう。
でもそんなとき、ちょっとこれを思い出して、冷静になれたらなと思う。

※一回間違えて消してしまいました…。スキ押して下さっていた方、もし見てくださっていたらすみません。別のところに残っててよかった…。

ここまで読んでくれたあなたは神なのかな。