アート教育とは何かを考える①

前置き

アート教育がもてはやされている、とまでは行かないまでも、取り組みとしてポツポツと、やっているところはやっています。

意外かもしれませんが、取り入れているのは進学実績が良好な中学校や高校です。学校理念に基づく独自性のある取り組みをしたい、他の進学校との差別化を図りたい、等の意図があるようです。

意外かもしれませんが、と述べたのは、アート教育は常に様々な人々から懐疑的な視線を向けられてきたからです。一言で言えば「役に立つのか?」ということです。ごく一部の芸術に関わる大学・専攻に進む人を除く大多数の中高生にとっては、主要教科と言われる国語・数学・英語・理科・社会さえ頑張って勉強すれば、行きたい大学に行くことが出来ます。だからアート教育と進学実績は相性が悪い、というわけです。

アート教育を取り入れた(取り入れようとする)学校や、アート教育に肯定的な人々からは、個性を尊重する教育の手段、あるいは予測困難な未来を生き抜くスキル、あるいは今までの知識偏重教育のアンチテーゼとして注目されているように思います。

しかし、「個性を尊重する教育」とか「予測困難な未来を生き抜くスキル」と言っても、いまいち弱い。「個性の尊重って好きな絵を描かせろってこと?」とか「スキル学ばせるならプログラミングでしょ」という話になるわけです。

そもそも日本の学校の授業には、アート教育にあたる科目がすでにあります。書道・図工(美術)・音楽、部分的なところで言えば、体育で身体表現をすることもありますし、国語や英語で詩を扱うこともあるでしょう。

結果、アート教育に関しては、分かる人は分かるし分からない人は分からない、両者の間に深い溝が出来ている状況であると思うのです。

そこで本記事では、「アートとは何か」から考え、その上で「アート教育はどういう意味があって、役に立つのか?」「具体的にどういうアート教育の授業が良いと思うか」ということについて考えることにしました。


そもそもアートとは何か

アートという言葉は、話者や文脈によって意味が変化し、また意味する範囲が広く、捉えどころのない印象を受けます。ここではざっくり2つに分けて考えます。

▼狭義のアート

日本語で芸術と訳されるもののことです。主に表現を生業とする人々による活動およびアウトプットのことを呼んでいます。

▼広義のアート

「表現」全般を指します。幼児がクレヨンで描いた絵がアートであるというのは、この範囲の定義です。

このアートの意味する範囲、「アスリート」という言葉の捉え方に近いように思います。アスリートという言葉は、狭義にはスポーツを生業とする人のことを指しますが、広義に捉えれば趣味も含めてスポーツをする人全般を指す、といったイメージです。


狭義のアートにしろ、広義のアートにしろ、「表現」が本質であることは変わりません。この記事ではアートを、あらゆる人が行う「表現」のことである、と定義します。

それから、ここで強調しておきたいのは、「表現は、認識と表裏一体である」ということです。どういうことかというと、例えばAというものを表現する時に、そこには表現者がAをどう認識しているかということが必ず含まれているということです。これは、表現方法――絵画なのか、ダンスなのか、楽器演奏なのか――によりません。

アートの発展は、認識と表現技法のイノベーションと捉えられます。例えば〇〇派等と呼ばれるジャンルは、乱暴に言えば「こういう認識しているからこういう風に描く」という認識と表現技法のスタイルです。表現は、認識と切っても来れない関係にあります。


▼余談・Artsとは?

世の中には、Arts(アーツ)という言葉もあります。日本語では、「リベラルアーツ」という言葉の中で出てくることがほとんどです。

Artsの意味は、サイエンス以外の学問のことです。俗っぽく訳すなら「文系」になります。

ここでは深入りしませんが、Artsやリベラルアーツについても、今後記事にできたらと思っています。


アート教育とは?

アートの定義を踏まえて、ではアート教育とは何なのか?

単刀直入に答えるならば、「世界を自分なりの見方で切り取り、表現する練習」です。

アートとは世界を認識し(あるいは世界に対しての自分自身の反応を認識し)それを表現することです。なので、それを実践の中から学んでいくことが、アート教育の意味です。

長くなったので、「アート教育は役に立つのか?」「こんなアート教育の授業が良い」という話は次の記事にします。





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