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ただ生きるのがしんどくて死にたいと考えてしまうことについて

私は、人として壊れてしまった際※の、安楽死制度は今すぐ必要だと考えている立場なため、安楽死についてNoteを投稿している。
その記事に対して、「スキ」を押してくれたこちらの秋茄子さんの記事をざっと読ませていただいた。

記事上、タグには「ヤングケアラー」や「老老介護」等の文字もあったが、おそらくそういう事ではなく、純粋にこちらの記事にある通り、ただ生きるのがしんどいから、楽に死にたいとお考えなのだろうと思った。
(記事にはしていないだけで、生きるのがツラいと感じる境遇であれば、ごめんなさい。)

私もさすがにこの「ただ生きるのがしんどい」という方が安楽死を選べるようになる社会は、危険だと考えるので少し記事にしてみようと考えた。

安楽死の制度は、私は「死ぬ権利」ではないと思っている。どちらかというと「殺す権利」のために必要なものだと思う。
それは、「自分を殺す権利」と「親族を殺す権利」だ。
「死ぬ権利」は、今も持っている。(正確に言うと、権利という言い方は正しいとは思わないが)
苦しまずに死ぬだけなら、高層ビルから飛び降りてしまえばよい思う。
頭から落ちれば、苦しいとか痛いとか感じる事なく一瞬で死ねるはずである。うまく行けば、落ちている最中に気を失って一瞬の痛みさえもないかも知れない。
でも、それは当然ビル関係者や警察等色々な人に迷惑を掛ける。
迷惑を掛けたくないから、死にたいと思っている人もいる、多大なる迷惑を掛けなきゃ死ねない状況が今だと思う。
(・・・なんか書きながら纏まりがない文章だなと…まぁいいか)
これでは、死ぬことすら苦痛になってしまうのだ。
だから、「自分を殺してもいい権利」が「安楽死制度」として必要なのだと考える。また、老介護(特に認知症介護)で資金がなく親族で介護をしなければならない場合に、その介護対象を殺す権利として「安楽死制度」が必要だと考えている。今は、親族の場合、介護が必要でどうにもならない状況の人を無視すると罪になってしまうのだ。自分も精神的に壊れるまで尽くせば、見捨てるという選択肢も実質的に可能になるが、壊れないとそれは許されない。これは本当にひどい状態だと考える。だから安楽死制度という「殺す権利」が必要だと思うのだ。
もちろん、日本が経済成長がものすごく、介護用のリソースが100%以上存在しているのであれば、そんな権利は必要ないが、衰退国でそれは実現不可能なのはわかりきっている。だから「安楽死」しかないと考えている。

なので、「生きるのがしんどい」という方の安楽死とは、異なったものである。

当然、人によって価値観は違うものだから、私から秋茄子さんに

「価値観を変えましょう」

と言っても、何も響かないだろうし意味のない事だとは思う。思うのだけど、やっぱり「無駄に考える」ことが好きな私としては、一度コメントしておきたく、今、記事を書いている。

生きているだけで
誰かを傷付けたり、あるいは傷付いたりする。

愚かな人間、自分というものがとても嫌なのです。辛いです。

なぜ死にたいのか?

そもそも私は低能なので、正しく読み取れていないかも知れないが、ここから秋茄子さんは負の共感性が高すぎる方なのかな、と思った。
だから人を傷つけ傷つけられる愚かな自分を感じ過ぎてしまい、自分も他人も嫌いでしんどいのだろうと。
私も人口の6,70%は、愚民だと思っている。当然そこに私も入っている。(しかもおそらく下位40%ぐらいに私はいる)
そして低能だから、人を傷付ける行動も意図せずしてしまうし、勝手に傷付いてしまう事もよくある。
だけど、私はそれらもすべて受け入れてしまえば、そういうものだしと開きなってトータル的に幸せだと思っている。
自分には、優秀な能力はなかったけど、今こうして生きていられる。低能でも働いて賃金を貰えば、コンビニスイーツくらいは時々買うことも出来る。ぶっちゃけコンビニスイーツ以上に純粋に美味しいものなんて、ないのではないか?と考えているので、それで本当に幸せだと思うことが出来る。
また、私以上に低能な人であれば、生活保護がある。この生活保護があれば、やはりコンビニスイーツを時々食べることは可能だ。スマートフォンも持つことが出来るので、無料ゲームを楽しむことも出来る。
(生活保護については、破綻しているシステムだと考えているので、個人的にはUBIに切り替えるべきという考えだけど)

これはただの私の価値観で、秋茄子さんからしたら「私には関係ない」となってしまうのではないかと思うが、どうしてそう考えてしまうのかは知りたいと思う。

私は、低能のワープアなので当然将来の不安はある。でも将来の不安は、今は関係ないと思っている。その時になったらまぁ考えればいいや程度で。だって私は低能なのだから、そんな先のことを正しく把握して考える能力なんてないとわかっているから。これが自分を受け入れることだと考えている。

衰退国とはいえ、現状の日本は、低能でも幸せに生きていけるそこそこ良い国だと思う。そんな日本で、

「ただ生きるのが死にたいほど、しんどくツラい」

という人には、価値観を変えて楽しく暮らしてほしいと思っている。

さらに言うと、私は、この前も座談会という会合にも参加しなかった幽霊会員みたいな存在ではあるが「創価学会」に所属している。
価値観を変えるためのツールとしては、この仏法という宗教は本当に優れていると思っている。でも学会活動と言われる活動は、コミュ症でめんどくさがり屋の私には、しんどいので不参加なのだが。
それでも、退会しようという気持ちは今のところなく、朝夕の勤行という行動だけほそぼそと続けている。
なので、その価値観を変えるという事をした方が、生きるのが楽しくなるので、是非、生きるのが死にたいほどしんどい人には、やってみて仏法の価値観を学んでほしいと思っている。
と言っても、何度も言うが低能なので、私がどれほど仏法を理解しているかと言われれば、ほとんどしていない可能性が高いわけだけど。それでも、こやって今を幸せに生きることが出来るのは、この価値観を学んだ事も大きいと感じている。

と、低能が頭に思いつくままに書き殴っただけのこの読み辛いコメントを、誰が読んでくれるのか?という感じだが、まぁ低能がそんなことを気にしても良いことはないので、自己満足して終えようと思う笑

この世から、1人でも多く、「生きるのがしんどい」という人が少なることを祈りつつ…

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